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オープン戦全日程終了。やって来る春、やって来ない春。

さっきまで、G+でやっていたDAZNの去年の巨人特集総集編を見てました。

このnoteを始めるきっかけとなった8月の大逆転の試合。
人生で一番多くSeptemberを聴いたありがとう慎之助。

そして、横浜での優勝決定戦。
(ハマスタレフト最前列で椅子にふんぞり返りながら偉そうに拍手する自分がいて笑っちゃいました笑)

たしか、その試合のnoteのタイトルは「終わらない青春」だった気がします。

いつまでも、
どこに行っても、
どんなときでも、
心を若くして、とびきり弾けられて、一緒に見に行く人たちと楽しんだり、落ち込んだり、喜んだり、時には泣いたり。

それはとても尊いことなのは十分に理解していました。自分にとってかけがえのない時間であることも理解していました。

けれど、それがこんな形で自分の手の届かないところへ遠ざけられるとは夢にも思っていませんでした。


開幕延期の経緯等に関しては、あえてノータッチで書きます。
皆さん嫌というほどご存知でしょうし、なるべく個人的な気持ちをまとめたいので。


金曜日からGAORAで日ハム戦を見ていると、ツイッターで歌声を募集していたチャンテが流れてきました。


とても当たり前なチキバンのメロディとそんなにノっていない声援がレフトスタンドに置かれたスピーカーから流される様は、おそらく普段の感覚から見たらとてもシュールな絵面なんでしょう。

ただ、それを聞いて、自然と涙が出てしまったんですよね。

おそらく自分と同じような気分の落ち方をしている人が無数にいて、そんな人たちの気持ちがレフトスタンドの一角のボードや、あの微妙なチャンテを作り出したのだと思うと、どうしたってグッと来てしまうんですよね。

普段球場で満員のファンが作るそれとは比べ物にならないようなクオリティですが、あそこにはファイターズ職員が知恵を巡らせて思いついた、球場を「日常」に近づけるためのアイデアと努力が形になっていたんですよね。


きっと我々の「日常」は、その人たちも含め、多くの不断の努力によって支えられているんだなと、改めて気付かされました。

ファイターズのあの企画、本当に最高でした。



僕が普段通っている外野スタンド(応援エリア)は、なかなかにうるさくて野球も大して見えない劣悪な座席です。

球場によっては、酒を飲みながら隣の人と話しつつ応援で騒ぐのがメインになったりもします。
言い方は悪いですが、その程度の座席です。


ただそれでも、通っていくとそこが居場所になってしまうものです。

毎年2月最終週か3月1週目の土日のドームのオープン戦に顔を出し、
スタンドを回って友人や顔見知りの外野常連の方と「あけおめ」挨拶をし、
喉の調子を整えたり今年の応援を覚えつつ騒いだりTwitterをぽちぽちしたり、
そんな当たり前のルーティンワークが自分に根付いていました。


ビール臭いコンコース。
おっさん率の高いスタンド。
何故かビジター応援席から日々受ける煽り。
微妙なリードの応援団。

けど、ああだこうだぶーたれながらも、通って、応援歌を歌って、コールして、つまんなきゃケータイいじって.......。

東京ドームが読売巨人軍のホームスタジアムであるように、東京ドームの外野スタンドは僕にとっての「日常」であり、一種の"ホーム"になっているんです。



先の見えない状況なのがまた輪をかけて苦しいですが、一旦チケットは取り続けています。
もし応援できたら、そのときライトにいれないのが嫌なので。

ただ、応援できない場合は今年はほとんど球場に行かなくなる想定でいます。チケット押さえちゃった試合だけライトに座りに行く程度でいいかなあと思っています。

実際問題応援をやめさせることができるの?という問題はありますが、一旦それは置いといて、
個人的には今季通年で鳴り物応援が無くなるところまでの覚悟はできています。


悔しいというか悲しいというか、なんとも言えない気持ちですが、まあ仕方ありません。
我々はコンテンツの上に乗っかっている人間です。
むしろ、今まで築かれていたこの観戦環境の尊さに目を向けるべきなんでしょう。



それに、悪いことばかりじゃないと思うんですよ。


最近、YouTubeで前にも増して応援動画を見るようになりまして、欲求不満を解消しようとしてます。

で、こうファンのボルテージが高まった球場の様子を収めてる動画とかを見ると思ってしまうんですよ。

「ああ、多分、応援が解禁されたときのスタンドって、それはそれは熱くて、エモーショナルで、人の心を動かすんだろうなあ」

って。


きっと我々の我慢も、いつか喜びの感情に昇華される時が来ます。

あのファイターズの微妙なチャンテがくれた感動が、それを予感させてくれました。


想像してみましょうよ。
この鬱屈した毎日から解き放たれて、皆が弾けられるようになったときの光景を。


楽しい時もなんでもない時も辛い時も苦しい時も、
誰かに助けてもらいたい人も、何かを見て勇気づけられたい人も、
老いも若きも男性も女性も、お金持ちも貧乏人も、
全てを受容し、皆に等しく熱狂を与えてくれる、そんな日は必ず帰ってきます。

暖かい春も、熱い春も、きっとやってきます。


皆で当たり前の日常に感謝し、涙を流せる日を想って。

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