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「海辺の光景」安岡章太郎

 作者は第3の新人と言われた方で日常に潜む虚妄を描いた作品が多いそうです。
ネタバレありの感想になります。
 読んでみて感じたのは、空気感・質感が伝わってくる小説であるということです。
 まず、主人公の母親が入院している病院の雰囲気。
 病院というと内装は白というイメージが多いですが、この小説で描かれる病院は剥き出しのコンクリートというイメージをしてしまうのです。
 それは、主人公の虚無的なフィルターを通して観ているようで、現在進行形のリアリティーさを追体験させられます。
 コンクリートの壁とリノリウムの床に囲われ、コンクリートのコツコツとした硬い質感と灰色、同じ灰色でも、てらてらとしたリノリウムの床。
 そして窓が1つもないようなじとっとした地下室のイメージが広がります。そのため、主人公が廊下を歩いている時に視界に入ってくる光景も、廊下の先の方や、時折ある脇に分かれていく廊下の入り口は必ず影があり、影に支配されているように思えてきます。
 そして、母親の病室に着くのですが、病状が末期で、認知が低下してしまった母親はうわ言を発する程度で、主人公と意思疎通が全くと言って良いほどとれません。一方で、平常だった時には嫌っていた夫のことをうわ言のように呼ぶのでした。
 そして徘徊を防ぐためなのでしょう、確か鉄の扉か格子で入り口は管理されています。
 母親の体調は悪く、時々吐いてしまったり、苦しそうに体を折り曲げたり、唸ったりするのです。 
 この病室での描写は母親の人間というよりは生き物としての生々しさが強烈で、それまで描写されていたコンクリートや鉄の無機質さとのコントラストが否応なしに伝わってきて、無機質の冷徹さと人間の匂いのようなものを突きつけられるような感覚になります。
しかも、その母親が病状のため人間としての成り立ちを崩しつつあるので混乱してきます。それまでの人生は何だったのかという理不尽さや恐怖、哀しみ、憐憫などが混沌として襲ってきます。
 一方で主人公は、なす術なく見守るばかりなのです。
ここでも、読者の目の前に現在進行形のリアリティーが拡がっていきます。
 また、医者も母親の具合を診るのですが、病状的になす術が無く、そこには医者として患者をどうすることも出来ないやるせなさから事務的な手順を行う行為と苛立ちが見て取れることを主人公は感じ取ります。しかし、主人公はそれに対して怒るでも悲しむでもなく、ただ淡々と「ああ」と受け入れているという様子なのです。
 そのような主人公の心理的なフィルターから、私も状況としてはあまり思わしくないにも関わらず、ただただ状況を受け入れるような気分になってくるのです。これが虚無的な感じかぁーと思ったりします。
 そんな淡々と物語が進む中で、ちょっとそれまでとは違った光景が出てきます。
それが海辺です。
その描写は病院内とは違い、外ということもあり光を感じるのです。とはいっても主人公の虚無的な視点はそこでも健在で、どこかしら夢心地なような淡い光といった印象です。また、空気感は無味無臭といった感じです。そこで主人公は誰かに出会うというわけでもなく、1人でこれまた「ああ」という感じで歩きながら光景を見るわけなのです。
 そして、更に物語は進み、主人公の母親は亡くなってしまうのですが、その場面でも劇的なことはありません。
 そして病院をあとにした主人公が何気にまた海辺に行くと、偶然、珍しい現象を見ることになるのです。
 その時、主人公の心に去来したものは何だったのだろうと想像します。
 それまで自分の力ではどうにも出来なかった主人公。言ってみればなす術がなかったのは医者も主人公の母親本人もそうです。登場人物達は皆それぞれに自分の想いはどうあれ、現状を受け入れるしかなかったのです。
そんな折、滅多に見る事のないような現象を見た時には流石に「おお」と思い、心動かされるのでしょうか。
その時、主人公の心理を反映するような描写は無く、見た事実だけが書かれています。そして、そこで物語は終わります。
主人公は心動かされてエンディングを迎えたのか、また「ああ」で迎えたのか。
読者としては前者の場合であればちょっと主人公のこれからに希望を持てるような気になります。一方で後者であれば、そんな光景を見ても引き続き虚無的なのかと、末恐ろしい気分になります。
 私が感じたのは、後者でした。
物語をずっと辿ってきてのこのラストはやはり虚無的な印象が残りました。
 しかし、末恐ろしいというまでの気分にまではなりませんでした。かといって虚無を一貫して描いた事の凄みというものも感じませんでした。
 感じたのは、虚無は虚無なのだという事です。虚無とはこういう感覚なのだという事をいつの間にか感覚的に理解させられたような体験に近い感覚です。それがこの作者、安岡章太郎さんの凄いところなのかなと勝手に解釈しました。
 言い方を変えれば、「虚無」というものをじっくりと味わえるライブ感のある小説でした。
 読みすぎるとダークサイドに落ちて行きそうな気もしますが(笑)。
 また味わうために、たまーに読みそうです。




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