心の日記 #発症

コンビニのアルバイトを辞めて3ヶ月ほどした頃、私は台湾へ短期留学に行きました。そして現地で、病気を発症したのです。

台湾留学は、3週間のプログラムでした。中国語の学習のほか、皆で遊びに行く内容も盛り込まれていました。中国語の習熟度に合わせてクラス分けがされ、私は1番上のクラスでした。それでも、授業の内容は簡単で退屈だった印象です。
そのプログラムでは、日本人1人に対して、世話役の台湾人1人がついていました。
一緒に参加していた他の子たちは、日本人同士や台湾人と仲良くなって、昼食や夕食を一緒に食べに行っているようでした。私は、世話役の台湾人と授業以外はいつも一緒に行動していました。友達ができなかったからです。
授業では、3週間の学習の成果として、最終日にクラスごとに発表を行うことになっていました。私がいたクラスでは、二人羽織をするという意見が出ました。なぜ二人羽織なのか全くわかりません。クラスは9人だったので、1人余る計算になります。当然私が余ることになります。わたしは、皆が私を仲間外れにしたいのだと思いました。話し合いは進まず、授業は終わりました。
留学に行った日本人は、寮に泊まっていました。寮では、2人1部屋で割り振られていました。私は明るい女の子と一緒になりました。その子は仲良く接してくれました。初めのうちは、話すこともありましたが、二人羽織のこともあり、私はその子が私のことを他の人に悪いように言っているのではないかと思うようになりました。また、留学開始から10日ほど経った頃から、夜に部屋で1人でいると、階下から笑い声が聞こえてくるようになりました。主に、クラスで1番のムードメーカーの男の子の笑い声が聞こえます。私のことを笑っている声でした。私は怖くなりました。

そして、14日目の夜、決定的なことが起こります。
その日、世話役の台湾人に、夜に寮でピザパーティーをやるから参加しないかと誘われました。私は悪口のこともあるし、気が進まなかったのですが、彼女があまりにも参加してほしそうだったので、参加することにしました。夜、寮のホールに行くと、大勢が集まっていました。皆、いつの間に仲良くなったのか、わいわいおしゃべりをしています。世話役は椅子に座って他の台湾人とおしゃべりし始めたので、私は完全に1人でした。隣にいた女の子に、ピザおいしいね、と話しかけましたが、無視されました。私はピザを食べることをやめ、台湾人たちが座っているソファーの向かいの席に座りました。すると、信頼していた世話役から、中国語で悪口を言われたのです。何度も何度も、「她很奇怪」と強い語気で言われます。彼女の友達も言っています。私は当時中国語をがんばって勉強していたので、彼女らが何と言っているかはわかりました。とにかくひどい言葉を浴びせられました。
私は、ピザパーティーから部屋に逃げ帰りました。その夜から朝にかけては記憶がありません。
翌朝、私は1人で寮をチェックアウトし(なぜ受付のスタッフがおかしいと思わなかったのか謎)、タクシーで空港に向かおうとしました。とにかく日本に帰りたかったのです。スーツケースを引きながら歩いていると、この道が世話役の家に向かう道だと気づきます。しまった、と思ったときにはもう遅い、彼女が向こうから歩いてきました。どうしたの!と言われ、寮に連れ戻されました。私は、ずっと泣いていました。寮の前に台湾人のチーフみたいな人がいて、「那个复杂的人…」と2人で話しているのが聞こえました。そうか、私はずっと复杂的人と思われていたのかとさらにショックを受けます。
その日は、行き先は忘れましたが皆で出かける日でした。私はとても行く気にはなれず、皆が出かけた後に台湾人と寮に戻りました。寮のホールの椅子に座り、何があったのかと聞かれます。私は、あなたに悪口を言われたと言いました。彼女は驚いた顔をして、言っていないと否定しました。私はとにかく日本に帰りたいと言いました。彼女は何度も引き止めてきましたが、私の気持ちは変わりませんでした。タクシーで空港まで送って行きなとチーフに指示され、明らかに不機嫌そうに私を連れてタクシーに乗り込みました。空港に着くと、最速で帰れるチケットを買いました。だいぶ後に確認したら、45,000円でした。値段を気にする余裕がありませんでした。
私は飛行機に乗りました。世話役は見送ってはくれましたが、バイバイもせず厳しい顔をしていました。当然ですよね、朝から(おそらく)自費で空港への2人分のタクシー代を払わされたわけですから。
飛行機では、前の方の列の真ん中の席でした。離陸し、私はやっと帰れると思いました。しかし、後ろに乗っている大勢の乗客が、中国語で悪口を言ってきます。私は混乱しました。まさか、私が変人だということが台湾人皆に広まっているのか、と。子供の声で悪口も聞こえてきます。皆、歌うようにメロディーにのせて中国語で悪口を言っています。そっと周りを見渡しましたが、乗客は大人しく座り、私のほうを見てはいません。パニック状態になりながら、空港から家の最寄駅まで帰りました。そんな状態でよく帰れたものです。最寄駅まで母が迎えに来てくれていました。家まで帰る途中も、すれ違う人たちがみんな私の悪口を言ってきます。悪口を言われると母に言っても、母は、何も言われてないよと答えます。

これが、統合失調症発症の日の出来事でした。
今でも、どこまでが現実でどこからが幻覚なのかわかりません。
当時は、私にとってはすべてが現実でした。
もしすべて本当に起こったことであれば、あのときの参加者がこの記事を見たら、変人が幻聴のせいにしてる、と笑うでしょうか。


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