『光芒』にみる『絶望』と『希望』のお話
おはようございます、こんにちは、あるいはこんばんは。
三寒四温も過ぎた日々が続いておりますが、皆さま主に花粉症とか大丈夫でしょうか。私は以前は呼吸困難起こしてぶっ倒れかけた程度の花粉症患者でしたが、舌下免疫療法を続けたおかげで、一昨年くらいからこの時期でも元気に過ごせておりますペクシッ。
突然ですが、少し歌詞考察というか「ねえねえこの曲ヤバいよね」という語彙力喪失した歌詞語りでもしようと思いまして、こんなものを書いております。
前々から「書きたいなー」とは思っていたのですが、面倒くささが先立って特になにもしてませんでした。
が、一度頭に浮かんである程度形になってしまったものは文章でアウトプットしないと頭爆発しそうになる面倒くさい文字書きなので、重たい腰を上げることにしました。
具体的な話をすると、B'zもしくは稲ソロ作品の歌詞における「絶望と希望のお話」とか、「90年代初期作品に見る『虚栄と見栄と夢と女』というテーマ性」とか、「B'zも稲ソロも不倫の曲ってないよね」とかなんですけど、2番目は最近『Don't Leave Me』を解説した記事の中で『Mannequin Village』が語られてましたし、3番目とか全方位から石投げられそうなんで書くかどうかわかりません。
というわけで、『絶望と希望』を書いた歌詞の話でもしようと思います。
語る前に
えー。歌詞語りをする前にいくつか諸注意がございます。
まず、歌詞の捉え方、解釈は十人十色です。ここに書く話はあくまで「書いてる人がどうその曲の歌詞を捉えているか」なので、こんな記事を読んでくださっているあなた様の解釈とは違う可能性があります。記事の内容が理解できないと思われる方もいるでしょう。
それは決して悪いことではないので、「ふーん。こいつはこんなふうに捉えてるんだな、理解してるんだな」で終了してくださると嬉しいです。「この曲はそんな曲じゃねえだろ」って石投げたり荒らしコメ残したりするのだけはやめてください。マジで。書いてる人マジモンの豆腐メンタルなので。
それと、書いてる人は語彙力皆無で国語能力もさして高い人ではありません。似たような表現が多用されると思いますし、間違った日本語の使い方をすることもあると思います。
「歌詞考察する癖に日本語う○こwwwww」と思われることもあるでしょう。ごめんね! でも書く! じゃないと頭爆発するから!
『絶望と希望』の物語
はい。諸注意読んでいただけましたね?
では早速語っていきましょう……と言いたいところなのですが、どの曲語るの~? の前に、書いてる人が前々から思っていることを書きます。
稲葉さんの書く歌詞って、『真っ暗な部屋の中からちょっとだけ開いたドアから差し込む光』を書いている曲が多くないですか? 伝わります? このニュアンス。
要は『絶望の中から一筋の希望を見ている(見出している)』ような曲が多い(ような印象)というか、印象深い曲ってこういう曲が多いよね、という話です。
『透明人間』みたいに最初から最後まで絶望しかない曲とか、『Okay』のようなクッソ明るい遺書みたいな曲もありますけどね。
上記の比喩で「あ、この曲のことかな」と悟られた方もいるかもしれません。合ってるかどうかはわかりませんが、これ以上前書き引き延ばすのもあれなので先に進みましょう。ドン。
Apple Musicからの引用……なんですけど、うまくいってるのかこれ。
というわけで、今回語るのは『光芒』です。
2007年に発売されたアルバム『ACTION』に収録された、言わずと知れた名曲。2018年に行われたライブで聞きたい曲のファンクラブ投票でも2位を獲得したファン人気も高い曲です(ちなみに1位は『恋心(KOI-GOKORO)』)。
今回の語りのため、当時の会報で稲葉さんどんなこと言ってたかなーと会報漁ったので、インタビューから抜粋。
だそうです。全然関係なんですけど、この頃の会報、松本さんノーサングラスなことが多いですよね。今も外してくれていいんだよ? いらんよサングラス。会報くらいノーサングラスにして?
はい、即行脱線したので話を戻します。
『光芒』は、先の稲葉さんの書く歌詞で印象深い「絶望の中から一筋の希望を見ている(見出している)」曲の筆頭だと思っています。
そして、小見出しの通り『絶望と希望』を描いた物語でもあります。
『希望と絶望』じゃなくてね。ここ大事。パンドラの箱と一緒です。最後に希望が来るって話なので。詳しくはあとで書きます。
多分この記事を読んでくださっている方は9割9分B'zファンだと思うので今更感凄いですが、ひとまず歌詞全文上げます。
久しぶりに『ACTION』引っぱり出してきて歌詞カード開いたら、めっちゃ引っ付いててペリペリいったから破れるかと思った。
いやあ、それにしても絶望感が凄い。イントロから不穏。というか楽曲全体が不穏。3分42秒あたりまで。
では、歌詞考察に入っていきましょう。
便宜上主人公と書きますが、主人公は恐らく歌い始め時点では学生さん、もしくは社会に出たばかりのまだ年若い子。個人的には前者だと思います。
理由はここ。
誰しもに経験があったとは言いませんが、学生時代(まだ狭い社会の中で生きていた頃)に抱えていた、『自分の未来は明るい』という根拠のない自信と『万能感』。
それがどこから来るかはわかりませんが、きっとドラマや漫画などの影響ではないでしょうか。
社会に出て、仕事をして、順調に出世したり仕事場で素敵な人と出会って恋をして。そんな、往々にして創作作品の中で語られる順風満帆な生活が自分にも『確約されている』という思い込み。
学校という狭い社会の中で、井の中の蛙になっていた可能性もあります。
そして、特に大きな挫折を味わうことなく社会に出たのでしょう。
これまで『子ども』扱いを受けていたのに、社会に出た途端『大人』の扱いを受ける。そこで初めて知った世知辛さと、自分がいかに天狗だったかという事実。
そして、明るいものだと信じ込んでいた自分の未来が、決してそうではないことを悟る。
現実を知り、少しずつ、少しずつ。未来に希望を抱くことができなくなっていく。だから『みずみずしい未来が ひからびていく』んですね。
やーーーーめーーーーーーてーーーーーーー。
もうこの時点で心臓痛いんですけど、心臓に釘でも打ち込まれそうな歌詞がどんどん続くよ!
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
これね。自分も経験あるのでわかるんですよ。
『社会』に出た瞬間、自分が全く通用しなくなる。
毎日仕事をこなすだけで精いっぱいで、土日は死んでてなにもできない。段々生きることが苦痛になっていく。
それでも必死に、がむしゃらに仕事をしても、評価されるどころかマイナス評価ばかりを受ける。
自分の存在意義ってなんだろう。なんのためにこんなことをしているのだろう。
未来はおろか、生きていることにすら価値を見出せなくなる。
打ちひしがれて絶望して、なにもかもがどうでもよくなる。
主人公はその一歩手前まで行ったんでしょうね。よかったね、くずれおち『そう』で。くずれおちなくて。
どうでもいいですが僕は壊れました。んで、B'zのおかげで今も生きてますThanks a lot。
ここでちょっと歌詞の雰囲気が変わります。
これまでは絶望に一直線、垂直落下みたいな歌詞が続いていましたが、自身に向き合う内容に歌詞が変わります。
恋人と別れる、友人と疎遠になる、会社内で孤立する、仕事などで笑われる(これ、本当は『嗤われる』だと思う。ちなみに『嗤う』の意味は『人を見下して、あざけり笑うこと』で、貶める時に使う漢字です)、欲しいものが買えないこと。
今の自分の嘆き、絶望はなにに起因しているのか。それをもう一度考えてみよう。
絶望に顔を伏せていた主人公が、立ちすくむだけではいけないと、嘆くばかりではなくちょっとだけ顔をあげるんです。
この『むなしいBlue』ってなんだろうね、という話なんですけど。
不思議なことに、人って喜怒哀楽を色で表現する際、プラスの感情は暖色、マイナスの感情を寒色で表現するじゃないですか。この『むなしいBlue』の『Blue』はマイナスの感情のことなのでしょうね。
あとは、途方に暮れている様の表現かな。
『むなしい』がひらがななので、『虚しい』なのか『空しい』なのかはわかりません(ここが稲葉さんの巧いところ。あえて漢字表記にしないことでどうとでも歌詞を解釈できたり、歌詞を『読み物』として見た時に与えるイメージが変わる)が、『むなしい』というのは『からっぽ、中身がない』、『無駄、かいがない、役に立たない』という意味なので、絶望して立ちすくんでいる、どうしたらいいのかわからない、そもそも(自分の人生や努力に)なんの意味があるのか、とごちゃごちゃ考えていることを統括して「途方に暮れる」と表現しました。
それと、『むなしいBlue』が『僕を包み込んで』いますけど、これそっと抱きしめる系の包み込むじゃなくて、『覆いつくす』、『視界を奪う』意味ですよね。だから『むなしいBlue』が『行く道を閉ざそうとする』。絶望が、嘆きが、焦りが、立ちすくむ自分が進むべき道さえわからなくする。そんな意味でしょう。
え? そんなこと言われなくてもわかる? そっかー。ごめんなさい。
それでもまだ折れていない、くずれおちていない主人公ですが、
と言っているので、まだ他力本願でいます。
誰かが自分を救ってくれるのではないか。自分に手を差し伸べてくれるのではないか。そもそも、そんな人はいるだろうか。
闇に閉ざされてしまいそうな人生の中、疑心暗鬼になりながらも手探りで自分を救ってくれる『光』を探している。
わかるよ……。絶望に打ちひしがれてる時って、ちょっとでいいから誰かに助けてほしいもんね。
あ、ここで誰も助けてくれない、サンドバッグにされている自分を見てみぬふりをして、全部終わってから「大変だったねー」とかほざく先輩しかいないような会社はどブラックなので今すぐ辞めた方がいいです。おじちゃんとの約束だ!
はい。主人公くんが悟りの境地に至ります。悟りの境地というか、覚醒したというか、目が覚めたというか。
自分を救ってくれるのは、他者でもなく、自分でもない。
救うとか救わないとか、それ以前の話だと気付いたのでしょう。
自分の人生は自分がその責を負うしかない。誰かがどうにかしてくれるものでもない。
これまでに知ってしまった現実も、これから知る現実も。全てを受け入れて、それでも前に進むしかない。
そうすることで『季節が変わる』。これは『見えるものが変わる』と言っているのと同じではないかと思います。
自分がこうなってしまったのは誰かのせいだと、他責にしたら楽になります。だって自分が悪いんじゃないもん。自分のせいじゃないもん。
でも実際はそうではない。全ては自己責任なわけなので(多少他責はあったと思うよ)、他者に救いを求めて考えることを止めるのではなく、考え続け、足掻き続ける。
冬の次にやってくる季節は春です。凍てつく寒さが和らぎ、あたたかで穏やか季節が来る。今自分がいる季節は冬。目指すは次の季節。
そこに辿り着くまで歩きつづけよう。そんな感じですかね。
『光芒』の最後。
一転して世界が変わるラスト1分。
未来に絶望して、なにに絶望したのか、なにを嘆いたのかを悩み、誰かを頼ることなくそれでも前に進むと決めた主人公の決意の先にあるもの。
詳しくはこのあと書いてますのでここでは割愛しますが、最後の4行は『絶望』からの『救済』、『絶望』の先にある『希望』を歌ったものですね。
歌詞の考察はこのあと書くので(2回目だぞ)置いときますが、『光芒』の最高音ってここですよね。
『誰かにとっての』の『か』の部分。CDでも『誰かにとっての 兆しとなるでしょう』の『か』の部分がちょっと掠れているというか苦しそう。ライブだともっと苦しそうですけど。
ただ、ここが最高音だからこそ、この歌詞が際立っていると思います。
だって、『誰かにとっての』ってことは『自分にとっての』光にはなってないし、兆しにもなってないもん。
主人公はまだ苦しい思いをしている真っ最中、足掻き続けなんとか進もうとしている真っ最中ですよ。
余談ですが、『ギリギリchop』は松本さんが「稲葉以外歌うな」と思って作った曲だそうですが、『光芒』も大概「稲葉以外歌うな」楽曲ですよね。
誰がこのキー出るねん。
見事なまでの起承転結
さて。ここからは完全に個人的な感想です。これまでも完全に個人の感想だったけども。
稲葉さんがどこまで意図的にこの歌詞をそう書いたかはわかりませんが、4分51秒の中で、406文字の中で、『光芒』は見事なまでに起承転結がはっきりした、ひとつの『物語』として完成されています。
起承転結ってなんじゃいって方は流石にいないと思いますが、一応辞書から転用。
有名な例文は「糸屋の娘は目で殺す」ってやつですね。
では、これが『光芒』の場合どう当てはまるか。
個人的にはこうだと思います。
転がどこに来るのかが微妙なところではありますが(『何を嘆いているのか/もう一度確かめて』の後ろでもいい気がする。が、やはり2番頭からの方がしっくりくるのでこのままで)、『光芒』は歌詞全体を起承転結に沿って4分割できるんです。
物語の導入である『自分の未来に絶望していく』1番サビ前まで。
『自分の未来に絶望した』ことで『味わう苦しみ』を描く1番サビ。
『苦しみを味わった』ことで『その苦しみの根源と救い』を探す大サビ前まで。
そして最後に来る『救済』。
『光芒』の面白いところは、起承転結の起~転までは第三者視点で主人公を語っていて、主人公以外の人は登場しません。
それが突然、結になると第三者(視点の第三者じゃなくてね)が登場します。
明るいものだと思い込んでいた自分の未来に絶望を覚え(起)
どれほど頑張ろうがうまくいかず、膝をつきそうになる。(承)
苦しみ、絶望の根源を認知したうえで、誰に対して救いを求めるのか。
そうではない。誰かに救いを求めるのではなく、苦しみも絶望も、なにもかもを受け入れ、それで前に進めるのならば、世界は変わるのではないかと考えを改める。(転)
そうやって藻掻き苦しんでもなお前に進もうとする姿は、誰かにとっての希望となる。(結)
勿論、一度は挫折を経験し、辛酸を舐めたであろう主人公がそれでも前に進むのであれば、絶望しかないと思っていた未来は変わるでしょう。若い頃に感じていた『万能感』はもう得られないかもしれませんが、未来は拓けるはずです。
しかし、『光芒』の最後で歌っているのは、主人公の『救済』ではなく他者の『救済』。藻掻きながらも前に進もうとする『あなた』の姿が、『誰か』を鼓舞するのですよ、という他者にとっての『救い』なんです。
ね。面白いでしょ。
改めて稲葉さんの言葉を引用しますが
とあるように、他者の『救い』になることで、自分が『救われる』。
なんとも言葉で説明しづらいのですが、あれですかね。『自分の努力は無駄じゃなかったんだな』と思えることで『救われる』感じでしょうか。
すっごい大事な部分なんですけど、うまく説明ができない。びっくりでしょ? こんなのが文字書きなんですよ。ボキャブラリーが無い人間の敗北を見た気がします。
自分の言葉で書くのがしんどいので、皆さんにちょっと思い出していただきたいのが『B'z LIVE-GYM Pleasure2018 -HINOTORI-』。
6年前……え、うそ6年前……? あ、でも去年35周年だったから……そりゃそうなんだけどマジ……? どうしようすごく動揺した。
えーっと、『光芒』ってライブで演奏されたの2回しかないじゃないですか。合ってますよね? 大丈夫だよね?
1回目が『B'z LIVE-GYM 2008 -ACTION-』、2回目が『B'z LIVE-GYM Pleasure2018 -HINOTORI-』。わぁお10年振りの演奏だあ。ねえB'zさん隠れた名曲が隠れたままになってるんでもうちょいセトリ変えて?
話がまた横道に逸れた。
で、HINOTORIの時って、稲葉さん喘息の発作起こして大変だったじゃないですか。『光芒』含めて声出てない曲いっぱいありましたし。
ただ、この2018年の『光芒』は、この楽曲そのものを稲葉さんが体現した演奏だと思うのですよ。
残り6公演?7公演?で声が出なくなる。あと1ヶ月なのに完走できるかも怪しい。そんな中で『ボーカル稲葉浩志の生き様を見てくれ』と歌い続けた稲葉さんの姿に、何人の観客が心を打たれたでしょう。何人の観客が鼓舞されたでしょう。
まさしくここです。
どんなことになろうと歌い続けた、足掻き続けた稲葉さんの姿。
あの鬼気迫る姿に立ち尽くしたのは、震えたのは僕だけではないと思います。
あの姿こそ、『光芒』に描かれた『どれほどの苦しみと絶望を味わおうが、それでも進もうと藻掻き続けた人』が他者に与える『希望』、『救済』だったと思うのです。
公式ちゃん、HINOTORIの『光芒』は、その時の稲葉さんがどんな状況だったかキャプションに書いたうえでつべに公開した方がいいよ(英訳テロップ付けて)。 あの稲葉さんは世界に見てもらった方がいいよ。本人は嫌がるかもしれないけど。
『光芒』
最後に語りたいのはこの曲のタイトル。
『光芒』って、このタイトルがとにかく秀逸なんですよ。歌詞も秀逸。メロディも秀逸。ですが、このタイトルがあってこそ、この曲は完成するんです。
そもそも『光芒』とはなんでしょう。
『光芒』とは、『光のすじ』のことをいいます。辞書を引くと『尾を引くような光』とか『光のほさき』って書いてあるんですけど、『光芒』は漢字の通り『光』なわけですから、『光』が一層際立つのって『暗い場所』です。
ここで皆さんに問いたいのですが、『天使の梯子』をご存じでしょうか。
『天使の梯子』とは雲の隙間から太陽の光が漏れ、放射状に広がって見える現象で、『薄明光線(光芒)』とも呼ばれます。
この楽曲のタイトル『光芒』は、まさしくこの『天使の梯子』を指しているのではないかと僕は思っています。
不穏なイントロから始まり、輝かしい未来がしぼんでいく。
まるで、晴れ渡っていた空に突如雲がかかるように。
焦燥感を駆り立てるような、不安を煽るようなメロディのなかで、打ちひしがれ、絶望の中で迷い立ちすくむ。
まるで、時間を追うごとに空を覆う雲が重々しくなり、足取りすら重くするように。
それでも絶望の中に活路を見出して前に進もうとすると、駆け上がるようなメロディを区切りにして、暗澹としたメロディと歌詞が一転、拓けたような、開放的なものに変わる。
まるで、空を覆いつくしていた雲に切れ間ができ、そこから太陽の光が差し込んできたかのように。
『光芒』の歌詞は、『絶望』から『希望(救済)』を見出すさまが、この晴れていた空に雲がかかり、暗澹とした曇天に立ちすくんでいたけれど、最後には雲が動いて光が差すような情景を思い起こさせるんです。
真っ暗な世界に差し込む一筋の光。たとえ無様でも、藻掻き苦しむ先には『救い』がある。
最初の話に戻りますが、『真っ暗な部屋の中からちょっとだけ開いたドアから差し込む光』がまさしくこれなんですよね。
この歌詞とは直接関係のない、それでいて本質に迫る情景が見える曲だからこそ、僕はこの曲が好きなのだと思います。
自分の好み云々は置いておいて、B'zの傑作を挙げてくださいと言われたら、僕は間違いなくこの曲の名前を挙げます。10指に入るほど、それほど、この曲は名曲です。異論は認めない。
最後に
突然ですが、ここで『光芒』の制作についての松本さんの発言を会報から引用します。
いや……、あのね?
稲葉さんも「歌詞がなかなか書けなかった」って直後に言ってますけど、難易度高すぎやろこの曲。メロディからして超ハードモードやん。
これにどんな歌詞乗せろっていうのさ。
そりゃあ最後まで出来ないよこの曲。稲葉さんマッッッッッッッッッッッッジでお疲れ様でした……。
というわけで、B'zもしくは稲ソロ作品における『絶望と希望』を書いた代表作、『光芒』について語らせていただきました。
もう毎回申し上げますけど、ホント中身が無くて申し訳ありません。
あと100回くらい謝罪します。
でもね、『光芒』はマジでいい曲なので。もしこの記事を読んでくださっているあなた様がB'zのファンじゃない、もしくは最近B'zを好きになった方で、まだ『光芒』聞いたことないよ、という方でしたら、今すぐこのnote閉じて『光芒』聞きに行ってください。
『光芒』聞かずに人生終えるとか、マジで人生損してますから。
ひとりごと
まずは、安定の中身のない歌詞考察を最後まで読んでいただいたことに心から感謝申し上げます。
もうちょっと……、もうちょっとまともなものが書けると思ってたんです……。無理だった……。
いつかリベンジで丸っと書きなおすかもしれないし、本投稿に加筆するかもしれません。その頃にはもうちょっとまともに思考をまとめられるようになっておきます。100年くらいかかるかな? そもそも仕事終わりに書くなって話なんですけどね。土日に書け土日に。
それと、以前書いた『ペインキラーが怖すぎる』の時もこんな文体で書いたんですけど、どうして歌詞考察的なものを書こうとするとこういう文体になっちゃうんでしょうね。
いや、まあ、かったい文体(小説を書くような)で書くとカチカチしすぎて読みづらいからなんでしょうけど。自然とこうなっちゃうのはどうかと思うよ?
では、ここまで読んでくださったあなた様に、改めて心からの感謝を。
Love Ya!!
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