2018年3月11日

2011年3月11日は 小倉にいた。

私が乗車した新幹線が小倉に到着して降りたとたんに、新幹線は全線止まった。

その時は「東海地方で地震」というアナウンスだった。

東北の震災の一週間後2011年3月18日に京都から東京へ

その翌週の3月24日からは、京都から静岡~名古屋と向かった

当時、その時に東京へ行くことを止める人もいた。

旅の途中で、何かあれば何らかの判断を私がしなければならないことが起こるのかもしれない、、、と思いながら東京へ行った。

旅の間は、かなりの緊張が続いてたから、実は断片的な記憶しかなくて。

震災の一週間後、東京へ向かう昼間の新幹線に乗って驚いたことは、のぞみ号なのに、まるで こだま号に乗った時のように空席が多かった。

指定席の車両に数人しか乗っていない。

新幹線をよく活用する人ならわかるだろうけど、新幹線の東京行きの のぞみ号、空席が多いというのは、普段ならあり得ない光景。

面食らった。

東京へ行って仲間にあえてほっとしたし、会えたことを喜んでくれた人たちもいた。

ありがたい、と思った。

品川駅や新宿駅の明かりはいつもより暗かった。

でも、今までが明るすぎたのだということに気づいた。

東京へ出かけて「疲れる」一つの要因は、夜も明るすぎることだ、ということに気づいた。

京都と夜の明るさが違うから、体内時計が狂うのかも、だから疲れるのかもしれない。と。

翌週も、京都から三島~静岡~名古屋。

都内はもちろんのこと、神奈川県から静岡県のあたりまで、計画停電が続いていた。

実は東京滞在よりも、この三島から名古屋~京都の旅の記憶がとにかくものすごく曖昧。

三島に出かけたことはかろうじて思い出したけれど

宿のお母さんと計画停電の話をしていたのと

朝、街の防災用のスピーカーから、計画停電が中止

というのが聞こえて来てたのは覚えている。

静岡では店のマスターが 皆が飲みだしてしばらくしてから少し深い時間にストーンズをかけてくれたのを覚えてる。ギミーシェルターが聞こえてきた。沁みるように体全体で聴いた。

移動中、三島は計画停電や節電ということで、駅が暗かった、とても暗かった。

翌日、静岡駅で降りたときは、明るすぎてめまいすら感じたりも。

そして、翌日、旅の次の目的地、名古屋駅を降りた時、ここは別の国だ、と思った。

そして、京都に戻ってきた時は、戻ってきた安心感よりも、東と西の違いに 気持ちと体がついていかなかった。京都の明るい街中、人の笑顔。数日前に、一週間前に見た様子とは違い過ぎた。

京都になじむために、大きな荷物を引きずっていたにも関わらず、家にはまっすぐ戻らず、数時間、散歩がてら喫茶店で過ごしました。

喫茶店で、携帯で眺めていたストーンズのイギリスのオフィシャルサイトのトップページだけに、日本の震災に配慮したコメントが載っていた、イギリスのオフィシャルサイトだけれどそこには日本語でコメントされていた、日本のサイトには掲載されてなかったコメントだった。

私は、緊張感が続き疲れていたのだろうな、そのストーンズのサイト見たとき、恥ずかしながらぽろぽろ泣けてきた。

スターも人間だけど、スターという仕事は、こういう時に支えになるのだろうな、と思った。

自分のために、思い出したことを。


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