台所は母の城

空は高く、風は冷たく、そして時は流れる。僕は実家の台所を借りていた３週間、母の不在を埋めるため、家族の食事の準備をしていた。それは、まるで別世界のような時間だった。実家の台所は、僕にとって未知の領域だった。小さな窓から差し込む光、鍋やフライパンが並ぶ棚、そして何年も使われ続けた木製のまな板。それらはすべて母の物語を紡いでいるかのようだった。

僕が毎日3食を準備する中で、徐々に自分なりの手順が見えてきた。料理は決して得意ではなかったけれど、日々の繰り返しの中で、少しずつ自信を持って台所を動き回るようになった。それは、僕にとって小さな冒険だった。まるで、自分だけの秘密基地を持っているような、そんな感覚。

しかし、母が退院して実家に戻ってきた時、僕はある事実に気づかされた。実家の台所は、母の城だったのだ。母が台所に立つ姿は、慣れ親しんだ風景そのもの。彼女の動き一つ一つが、その空間に自然と溶け込んでいる。僕がたかが一ヶ月で築き上げたと思っていた城は、実は母の長年の愛と労力で築かれたものだった。僕が無意識のうちに母の居場所、役割を奪ってしまっていたのかもしれない。

その夜、僕は一人で台所に立った。窓の外には星が輝き、夜風が涼やかだった。僕はコーヒーを淹れ、小さなラジオから流れるジャズを聴きながら、この３週間を振り返った。母の城を借りていた時間は、僕にとってかけがえのない経験だった。そして、それは僕が母の存在の大きさを再認識する機会でもあった。

僕は気づいた。家族というのは、互いの存在を尊重し合い、支え合うことで成り立っている。僕が台所を借りていた３週間は、母への感謝の気持ちを改めて深める時間だった。そして、僕たちは互いの城を守りながらも、その城を共有することのできる家族なのだと。

夜が更けていく中、僕は母の城である台所を静かに後にした。明日からはまた、母の手による温かい料理が家族を待っている。僕には僕の、母には母の、そして僕たちには僕たちの場所がある。それぞれが互いの場所を尊重し合うことで、僕たちはもっと強い絆で結ばれていくのだろう。

そして僕は思う。気づいて良かった、と。