結局インセンティブ・デザインだよね

米国の大学生はマジメに勉強しているが、日本の大学生はマジメに勉強しておらずけしからん、とのたまう人がいる。この主張は一見正しいようで正しくない。確かに米国の大学生は日本の大学生よりも勉強しているが、それは大学の学業に集中せざるを得ない、良い成績をとると報われる仕組みがあるからである。前述の主張をする人々には、表面的な理解ではなく「なぜマジメそうに見えるのか」という構造を理解してほしいと思う。

例えば、米国で博士課程に進学するためには学士や修士のGPAがほぼ4でなければいけないそうだ。就職ランキング上位に位置する企業も応募者をGPAで足切りしているそうだ。となると自らのよりよい人生のために、よいGPAを獲得しようと思うのは合理的だ。特に学部では成績が相対評価とのことで、学生も必死だろう。

あと採点基準が非常に明確なのだ。中間・期末試験の点数は最終的な成績の何%を占める、この宿題は何%を占める、ということが学期頭に配られるシラバスに書かれている。そこには最終成績が何点以上ならGrade Aだ、何点以下なら不合格だ、ということも書かれている。しかも複数の宿題が学期全体に均等に分布しているので、学生は絶えず勉強せざるを得ない。

これにはデメリットもあり、学生は成績に関係のない課題は手を抜きがちだ。例えば授業への出席が成績に加算されない科目では、授業に来ない学生が多い授業は録画されているので、自宅からでも聴講できるからだ。就活のためには授業外でのクラブ活動、インターン経験、研究室でのリサーチ経験もほしい。成績に関係がないものに時間を割いている暇はないのだ。

翻って日本では(私は就活を経験していないので不正確かもしれないが)、大学の成績と就活の関係は緩いと思う。成績のつけ方もファジーな部分が多い。大学の勉強をがんばることのインセンティブが少ない。しかも「大学の勉強は実社会では役に立たない」と豪語する成功者は数知れず。コツコツ勉強や研究に打ち込んでPhD取得しても、食いぶちに困る人が溢れている。極論を言ってしまうと、要領がよく楽をしている人間の方が一生懸命な堅物よりも成功しているように見えてしまうのだ。マジメに努力をして、人生報われるのだろうか?マジメな人間は、結局、人生損をしているのではないか?そりゃ…勉強する気にもならない、という話だ。

マジメな人間が報われる社会であれば、人々はマジメになると思う。そんな社会じゃなければ、不マジメな人間を「マジメじゃない!」と非難したところで、彼らの行動は変わらないだろう。そんな彼らも、ちゃんとしたインセンティブがあれば勉強するのではないか?そんなことを言うとインセンティブがなくても勉強する人間が、本当のマジメなんだとか言われそうだが。そんな精神論には返す言葉がない。


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