AGIが医業に与える影響について考えた

最近、各国の知識人の間で汎用人工知能(AGI)の話題がフィーバーしている。かなり盛り上がっている。AGIは我々が思っている以上に早く、世の中に普及するらしい。そういえばAGIが普及すると医療はどうなるのだろうという予測は、あまり見ない気がする。筆者はAGIについてはど素人だが、見知った情報をもとに頭をひねってみた。

病歴聴取

AGIに代替されやすいと思う。主要な病歴の感度・特異度はかなりわかってきており、インターネット上にある膨大な文献から検査前割合を推定する力はAGIの方がありそうだ。ただしAGIが自律的に病歴聴取を行うには適切に質問し、人の言語を理解する言語機能を獲得できるかによる。正確なインプットがなければ、アウトプットの確度は落ちる。病歴をいちいち医療者が手入力するようだと、使い勝手は悪そうだ。

身体診察

実はAGIに代替されにくいと思った。診察という技術は、未だに未知の部分が多いと思う。診察所見の感度・特異度に関する論文は数多くあるが、検査者間一致度が低いものが多い。つまり研修医やヤブ医者にはわからないが、ドクターGにはわかってしまう所見がある。AGIは人間が解明できていないことまで解き明かせるのだろうか?また正確な診察所見を得るためには、人間の感覚器に劣らないセンサーが必要だと思う。視診は別として、微妙な触覚・圧覚などは機械では感知が難しそうだ。そうしたセンサーはどこまで開発が進んでいるのだろう?

鑑別診断・検査

正確な患者情報をインプットできるという前提があれば、AGIに代替されやすいと思う。またAGIには認知バイアスや感情・疲労などに意思決定が左右されないというメリットがある。

治療

一部の治療は、早い段階でAGIに代替されそうだ。手技・プロトコルが平易で標準化されていたり、ガイドラインに準拠することが強く求められるようなものであれば。麻酔や集中治療などは早い段階からAGIが活躍しそうな気がする。AGI付き人工呼吸器があれば、在宅で神経難病患者さんも楽に呼吸サポートができそうだ。しかし『神の手』と呼ばれるような職人技、臨機応変が求められる救急などはAGIが代替できる日はまだ遠い気がする。

心理社会的調整

まだまだ人間の役割が大きいだろう。これをAGIがおこなうためには、人間の感情や非合理性を理解し、受容する必要がある。人類がいかに愚かであっても「人類を滅亡させる」とか口走っているようでは調整なんかできない。

事務作業

AGIにまず代替されるだろう…というか速やかにされてほしい。例えば医師のカルテ内容をディープラーニングして、退院サマリーや主治医意見書を下書きするとか。AGIは医師を事務作業から解放するかもしれない。

看護・介護

SF映画やアニメの世界ではないが、AGIに代替されるリスクがありそうだ。ただし看護・介護はマンパワーが必要なので、AGIの製造コストを下げられるかがネックになりそうだ。また人間対人間の癒しの面についてAGIがどれだけ代替できるのかはよくわからないが、AI女子高生とチャットして喜んでいる人も多いので、意外に大丈夫なのかもしれない(苦笑。

漢方・東洋医学

これは代替できないだろう。職人芸の塊である。でも将来AGIが進化して、今まで職人技と言われていたものも解明される日が来るのだろうか?まぁいつか来るかもしれないが、直近ではないだろう。

以上をまとめると標準化されているものほど、AGIに代替されるリスクが高そうだ。医療の標準化は質の担保・均てん化という意味で推進するべきものだが、それをすることで機械に取って代わられてしまうというパラドックスを内包している。僕らは標準的なことをできるようになった上で、それ以上の何かを修めるべきなのだろう。

そういう意味では実は身体診察は大事なのかもしれない。いわゆる『職人芸』であり、機械とは遠いところにある人の技術。私は今まで身体診察をいまいち信用していなかったのだけど、反省しようと思う。


もし記事の内容が役に立ったと思ったら↓ボタンをポチッとお願いします!