おしゃべり教室

ミユンヘン大学での経験(3)

実際の授業
学生が何人受講するかはふたを開けてみなければわかりません。この年は150人でした。
それを二人の教員が教えます。当然、75人ずつ分担します。75人を一人で教えるのは無理。
それで北大からドクターが留学してきていたので、彼に手伝ってもらい、35人と40人に分けて実際の授業は始まりました。

少し傾斜のきつい階段教室に座った75人の学生の姿は壮観です。この人数を一人で教えるとなったら、ひたすら絶望するだけです。
北大ドクターの手助けは本当に助かりました。
その40人を8人くらいのグループにわけます。このグループが授業を進めるときの単位になります。

使うのは定められた教科書となっているので、あのとんでもない教科書を使います。次のような順序で授業を進めました。

①まず私が一通り見開き1ページのテクストを読む
②日本語の基本構造を、ドイツ語のそれと対比させながら、一通り説明する
③見開きのページに書いてある日本語の文を私が読み上げる
④第一のグループの人たちにそれを復唱してもらう
⑤全員が復唱したら、今度はその文を疑問文に変えて一人ずつ質問する
⑥質問の内容は飽きないように適宜変える。新しい単語を入れるときには、できるだけ学生が知っていそうな単語を入れる。そうでないときには、私がドイツ語の意味を説明してかたらしい単語を入れる。
⑦以上がワンサイクルで、同じことを第二のグループ、第三のグループと続ける。
⑧一サイクル終わるのはせいぜい2,3分。後のグループは聞いているだけ。終わったグループは次のグループが練習しているのを聞きながら、自分の話した日本語の文を確認する。

この練習の基礎となったのは、一つの文を言えるようになるには平均55回耳にしている、というデータでした。
ですから、隣の学生が復唱するのを聞いたり後ろの学生が聞いたりするのも、勉強の一部になっているわけです。
練習していて、時間に余裕がありそうな場合には、復唱した文をノートに書いてもらいます。必要なら私の方で筆記の練習時間をとります。
すでに覚えた文章を書くのですから、これは楽です。わからない漢字は私が黒板に書きます。

新入1年生の授業はこのように進められました。同じやり方で教科書の最後までです。最後の学期は日本語で日記を書くのを宿題にしました。これも成功しました。
こうした授業をすると、教科書の悪さは気にしなくなります。それに、購読・会話・筆記の違いが無意味になります。なにしろ教科書に書いてある文は網羅的に練習するのですから。
音読が大切といった訓えも無意味になります。この新入生たちでよく努力した学生は1年で日本語を話せるようになりました。私の確信は事実になったのです。

日本の大学の授業への適用
日本に帰ってきてから、上の方法をフランス語の授業に適用しました。なにしろ私の表芸はフランス語になっているので。
一クラス30〜40人です。一つの机に二人の学生が座るので、今度はその二人をペアにして、練習をやってもらいました。一方が文を読み上げる役、他方がそれを繰り返す役。うまく行ったら役割を逆にしてまた練習。最初に私がテクストを読み上げるのはドイツの場合と同じです。学生の様子を見ていて、書くのは最後にしました。
学生が恥ずかしがってやろうとしないクラスでは、この方法は使えませんでした。素直に互いに繰り返してくれるクラスでは成功しました。
大学のフランス語の教科書で一回に2ページ進むことができました。
大学はごく普通の大学です。偏差値で言えば50程度の大学です。そんな大学に来る学生でも、やろうとすればこれくらいできるのです。偏差値というのは本当にあてになりません。

私は2年でドイツを去りました。任期がありますから、どうにもなりません。学生たちは途中で放棄です。
数年後、この新入生のときから教えた学生が、授業は私が帰ったら元の木阿弥になったと言っていました。
でも彼ら彼女らの授業では日記を書くところまで進めることができました。あと一歩で論文やレポートを書く段階に入ります。しかしこれはセクションを変えて書く内容ですね。

最後に私がとても世話になったおじいさん教授がいる日本センターについて説明します。
日本学科は研究対象を幕末までにしています。当然、昭和は対象外です。ところが、その対象外の日本が80年代に大きな経済成長を遂げた。
これにはドイツ人も驚いて、大学が日本視察団を編成しました。ドイツには55の大学がありますが、その全部がこの視察団に参加していたのかどうかは、私にはわかりません。
当然通訳が必要になりますが、いろんな企業の在り方を説明するとなると、人がいません。やむなくおじいさん教授が通訳となり、使節団の見学は成功しました。
問題はその後です。もう古い話ですから公開しても構わないでしょう。
ミユンヘン大学の学長が、自分は日本がこうなっているということを、一言も日本学科の教授連から説明されていない、と怒り出したのです。
日本学科としては対象外のことだから責任がない。とするとミユンヘン大学には欠落している分野があるということになります。
それなら新しい研究所を創ろうとなりますが、日本学科の中に作ることは難しい。なにしろ対象が違いますから。それでその脇に「日本センター」として新しい研究所を作ったというわけです。
今日はここまでにしましょう。


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