おしゃべり教室
§4 ミユンヘン大学での経験から⑵
授業の最初にテスト
私がミユンヘン大学に赴任したのは93年4月だったと思います。授業開始に際して教員が銘々学生たちに挨拶する場がもたれました。行われたのは講堂ででした。
この講堂は天井がかなり高い。そして館内は古色蒼然としている。なにしろ昔の王宮を大学の建物に利用しているのだから、これは仕方がない。それにそもそも、靴を履いたまま入るのだから、綺麗になりようがない。
学生たちに挨拶する場に話を戻しましょう。学生は200名くらい集まっていたと思います。それに対して教員は10名くらい。
学生たちに挨拶するのだと言われても、そんな話を聞くのはその日が初めてです。
連れていかれたところが講堂で、間もなく主任教授が学科全体がどのようなところなのかを説明しながら挨拶することで、始業式は始まりました。
主任教授とか何とかは日本の制度に合わせて変えます。実際の組織はかなり面倒になっていて、実際にその場を見た者でなければ見当がつかないからです。
新米の私が話したのは、最後の頃だったと思います。まだ何も知らないドイツ人学生に向かって話す内容はない。
それに彼ら彼女らがどの程度に日本語を理解しているかもわからない。その理解力を知る簡便な方法はテストをすることです。
それで、「私は新任の今野です。授業の最初にテストをします。」とだけ言っておしまいにしました。
日本人以上にテストのことを気にするドイツ人学生
おもしろかったのはその後です。間もなく場はお開きになって、各自行きたいところへ行きました。
私は食堂へ行きました。食堂も講堂と同じくらい広いが天井が低い。
適当に座って昼食を食べていたら、2年生がわっと私の周りを囲んで、どんな試験をするんだ、と聞いてきます。
そのうるさいこと、うるさいこと。こちらはなだめることで精いっぱい。
ドイツ人も試験のことは気にするんだ! それも、日本人学生には見かけないほどに、ひどく!
これが私のドイツ人学生に対する最初の印象であり、学生たちの最初の認識でした。
教科書
次は教材の番です。曰く「教科書」と言われるものが一冊あるきりです。
それも編集が悪くて教科書なんて言えたものじゃない。よくまあ先任者たちはこんなもんで授業をしていたもんだ、と呆れました。
日本センター(これについては後で説明します)のおじいさん教授にどうしてこんなもんを使っているのかと尋ねると、いやまあ、それは仕方がないんだよ、とはっきりしません。
どうやら語りがたいことがあるのだろうと見当をつけて、その場は引き下がりました。
ミユンヘン到着から授業開始まで2週間弱の時間があったので、その教科書に合わせたドリルを作っておいたのですが、最初の授業でそれを使うのは諦めました。
ミユンヘンを見物する暇もなくドリル作りに専念していたのですが、無駄な努力でした。
私はドイツ人だからドイツ語を話す
何しろドイツ語に閉じこもって、日本語を話そうとしない。
君らは日本語を勉強しているのだし、勉強を始めてから1年半になる。だから日本語で話そうと言ったら、私はドイツ人だからドイツ語を話す、という返事です。
口に出して言う言わないの別はありますが、全員がそうです。
全員と言っても20人くらい。ドイツの大学は秋に始まるので、春になると1年半日本語を勉強してきたことになります。その1年半の間に学生数がどんどん減ってこの程度になるようです。
要するに生き残った学生が20名。それが悉く日本語を話そうとしない。はてさてどうするか。
手を変えて、教科書をどこまで勉強したのか、と私の方から尋ねました。下手なドイツ語を使って、このページは? この練習問題は? と一つずつ訊ねていきました。
その結果を見ると、どうやら前任者が文法に焦点を当てて教科書を一通り終えていたようなのです。
これでは話せないのも無理はない。それで学生たちがまだ勉強していない部分を授業で勉強しては練習することにしました。
授業のスタート
無理に日本語を強制せず、学生たちが使いたい言語で話してもらうことで授業はスタートしたのです。
こんなことはもうわかっているだろうと思うとわかっていない。これはわからないだろうと思うとわかっている。その度に私は、えっ、と叫ぶ。その繰り返しで彼ら彼女らとの授業は終わりました。何とか最初の授業は乗り切ったわけです。
最後に期末テスト。日本の大学を受験するべく、英語を熱心に勉強してきた人がその問題を見たら、えっ、これが大学の期末テストの問題? と驚くでしょう。
実は、日本の大学でも、外国語の期末テストの問題は簡単です。事情は色々ありますが、やはり大学は自分で勉強するところ、と心得ておくべきなのでしょう。
外国語は1年で話せるようになる
この2年生との授業は3か月程度だったので、あまり覚えていることはありません。それでも大きな宿題をもらったことは疑いようがありません。
外国語は1年で話せるようになる、これが前々からの私の確信です。しかしこの確信を実行に移すにはまだ知らないことが色々とあります。
それで、つてを辿ってアメリカ大使館の日本語研修所を見学しました。そこにいたアメリカ人は全員がすでにハーバードで1年の日本語研修を受けた人たちでした。
しかも全員が外交官です。女性が一人自分たちのことを説明してくれました。それで上に記したような事情がわかったのです。
次にイギリス大使館の語学研修所を訪ねました。
ここはどの授業も個別授業。あるクラスでは、先生が生徒に新聞記事を一つ読ませ、その内容を要約して話すように求めていました。
この授業は研修の最後の段階にあるようで、生徒も優秀でした。
しかし、帰り際に、一階のホールでは、若い女の先生に向かってイギリス人が、じたばたしながら、もう帰ってもいいですか? と尋ねているところに出くわしました。
夏休みの間にこんな訪問をして授業を見学するなど、あれこれの準備をして次の学期に向かいました。イロハのイから教える1年生の授業が最大の課題です。
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