深く「読む」技術ーー解説8
百姓円次郎の願書
円次郎の父はもともと船商売を専業にしていた。
松前まで行くといって水子たちと出かけたが、数年たっても帰ってこない。
残された円次郎は父親が借りた借金の取立てに苦しむ。
円次郎は、蝋や油の商売でその日暮らしはできるようになったので、借金の50年年譜にしてもらえないかと、代官に願い出る。
曽々木はもっぱら塩を作るだけの、まことに貧しい村と思っていたが、その一人が松前まで行く廻船交易をやっていた。網野さんたちはたいへん興味深いことと思っていました。
徒労に終わった説明
以上が準備です。ことばの読みと意味の違い、江戸時代までの農本主義と、わかる必要のある範囲が広いですね。しかもそれが全部準備だったわけです。
たまたま夏に、新聞記者が数人やってきたのです。そこで以上のような出来事を新聞記者に説明したのですが、これがどうもうまく伝わらない。記者たちの質問を列挙します。
①なぜ「百姓(ひゃくしょう)」が松前までいくようになったのか。
②これはつまり農民が松前まで行ったのはなぜかという質問。
この筆問に対して網野さんは以下のように答えます。
㋐この「百姓(ひゃくせい)」は文書にも書いてある通り廻船人である。
ところが記者たちはなかなか納得しない。
(これを打っている私には、記者たちがなかなか納得しないのはなぜか、と疑問に思います。以前、本の原稿を書いていたときもそうですた。たかだか「ひゃくせい」と「ひゃくしょう」の違いでしかない。なぜこんな簡単なことを理解しないのか。わかりませんねえ。
記者たちはどうやら挙句の果てに次の問を発します。
③廻船人を百姓と表現するのか。
網野さんは二時間近い時間をかけて説明することになったわけです。
その結果がどうだったかを翌朝の新聞を見ると、
Ⓐ農民も船商売に進出←せめて「『百姓』も船商売」と書くべし。
Ⓑ能登のお百姓、日本海で活躍
Ⓒ江戸時代の奥能登の農家、海運業にも関与
一番の傑作は
Ⓓ曽々木で食い詰めた農民円次郎が松前に出稼ぎに行った
まあ、どれもとんでもない間違いですね。
ではどうしてこんな間違いが大の大人から出るのか。それが本当の本番です。次回にします。
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