深く「読む」技術ーー解説5

第一講 知識を理解に変える

⑴ 百姓は農民か
この章は網野義彦先生が書いた『日本の歴史をよみなおす(全)』(2005年、ちくまプリマ―ブックス/ちくま学芸文庫)の第一章「日本の社会は農業社会」の冒頭にある一節「百姓は農民か」の内容から、興味がわいた箇所を取り上げて検討したものです。

この本が書かれてから19年後の現在でも、「百姓は農民か」と訊かれたら、それは当たり前でしょう、と答える人が圧倒的に多いと思います。
常識を覆すこと、常識を直して正しい理解をもつこと、こうしたことは本一冊がよく売れたくらいではどうにもならないのでしょう。長い時間と時流の変化が必要になると思われます。

では「常識」とは何でしょう。こう改まって尋ねられると、一瞬ことばに詰まります。
それで辞書を引いてみましょう。『大辞泉』には「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見・判断力」とあります。これは英語の「commonsenseの訳語として明治時代から普及」、という付け加えもあります。
だれもが日常なにげなく使っていると思われる「常識」ということばも翻訳語だったのですね。こうした翻訳語は予想以上に多く、おそらく現在の日本人が日常の談話に不可欠な語彙には、探してみればもっともっと見つかるでしょう。
私の感想や検討はこれくらいにして、網野さんの説明に入りましょう。

日本の社会は少なくとも江戸時代までは農業社会だったという常識が非常に広くゆきわたっているが、網野さんはそうではないと言います。
その説明を少し聞きましょう。ーーこの誤った常識がひろまった理由は、何よりも、支配者がほぼ一貫して「農は国の本(もと)」という姿勢を取りつづけたことにある。
水田のないところでも一定面積の水田をあたえ、水田を租税の基礎に国家をささえる制度をしいた律令国家から、商業の利潤まで米に換算して課税した近世の幕藩体制にいたるまで、変わりたない。
その姿勢が社会にひろく定着したため、「百姓は農民」という意識が一般の人々にまで浸透した。

網野さんがこの常識から脱却したのは7,8年前のことだったと言います。歴史家も常識を疑っていなかったのですね。
網野さんがこの根深い常識から抜け出せたのは、彼の研究所が奥能登の時国家を調査したところ、江戸時代に200人ぐらいの下人をしたがえていたこの時国家は、北海道から京阪神にいたる回船業をいとなむだけでなく、製塩・製炭・山林経営・金融業なども手掛けていた。
(奥能登と言えば2024年正月に大地震のあったところですね。当地の人々は今も大変な生活をしているのでしょう。)
その時国家に百両の貸付をする資力のあった廻船商人の芝草屋が水吞(=年貢を負荷される田畑をもっていない人)とされている。
芝草屋は土地をもてない貧しい農民ではなく、土地をもつ必要のない人だったのである。

この章でおもしろいのは、「もうひとつ同じような事例を紹介する」と断りがあって次に紹介される百姓円次郎の話です。
これは次回にいたします。









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