深く「読む」技術ーー解説10

問題点の大まかな考察

ここでは問題点を五つに絞っています。どれも結構長いので、要点だけを取り出します。
 ①記者たちは百姓すなわち農民という通念から脱却できない。何があったから研究所の人たちはこの通念から脱却でき、誤解をふくむ記事を書いた記者たちは何が欠けていたから脱却できなかったのか。
 ②「百姓」ということばが使えないのは「言葉狩り」をする側の問題としても考える必要がある・購買者や視聴者にはその実態はほとんど伝わっていないのが実情である。
 ③第三は記者の記事にデスクが「農民も船商売に進出」という見出しを付けた点です。「百姓」が差別語だから避けたのか等々、デスクの判断の背後の理由は一つではないだろう。
 ④他の新聞に現れた「百姓」と「お百姓」の違いから推測して、ただ「百姓」と呼んだのでは差別した感じになる。
 ⑤30分くらいで取材を切り上げたベテラン記者は、なぜ事実と購読者をあなどることができたのか。

何とか短く要点を取り出すなら、およそこんな具合になるでしょう。
上では百姓すなわち農民という通念と書きましたが、この「通念」は本書のように「思い込み」と言い換えることもできますね。
その思い込みがなぜ根強いのか、ここまでの流れから考えて、この点に焦点を当てることはやはり間違ってはいないと思います。
①24ページの「わかったつもり」②29ページの「百姓すなわち農民」という思い込み、この二点がこれまでの検討から導きだせたわけです。それでは次に移りましょう。

⑶既知の枠組みのなかで理解する
①常識に反する
網野さんの説明では、「百姓」が農民ではないということに記者たちがなかなか納得しないのは、当初、この事実が常識に反するからとなっていました。
②思いこみ
次いでその理解は「思いこみ」と言い表されるようになります。
納得
本書では以上の二点からまず「納得」という点に焦点を当てます。ここから話が厄介になってきます。頭や心の動きが話題になるからです。

*それにしても解説となると枠組が大きくなるので、説明することが膨大に増えます、以下はその一例です。
ふだん私たちは自分の目を自分の外に向けています。朝目を覚ますと、まず目に入るのは天井か布団ではないでしょうか。このように目は自分の外を見ているのです。
天井も布団も「もの」です。漢字で書けば「物」です。ここで漢字の物は物質的なものを指すと考えましょう。そして平仮名のものは頭や心で受け止めるものと考えましょう。
ここでもう平仮名のものが出てきました。このようについつい使ってしまう「もの」ですが、これからの話題で大切になるのは頭や心の目で、それが受け止めるものを「もの」と書き表すことにするわけです。
なぜなのか。それを知ろうとすると哲学をかなり深く学ばなければなりません。その挙句にどうなるかというと「もの」に突き当たるのです。なぜなのか、どうしてなのか。それはここでは割愛します。興味のある方は哲学書を手にとってください。
こんな調子で話が面倒になるので、なかなか筆が進みませんでした。「深く『読む』技術」は日常語で哲学が扱っている対象を書き表そうとしたものですので、話が一部で面倒になっています。そのつもりでこの本を読んでください。
わからない箇所があっても全然おかしくないのです。そんなつもりで「納得」の話を読んでください。

納得」とはどんな心の動きなのでしょうか。辞書を見ると、ある辞典では「物事の内容などがよくわかって承知すること」となっています。他の辞書でも同じようなものですから、基本的にはこの説明を利用しましょう。
頭と心という対になっている言い方を利用すると、「よくわかる」は頭の動きです。「承知する」は心の動きになります。
ところが本文では、「納得しない」という状態を、頭の働きの点では「説明を受け入れようとしても、自分のこれまでの理解と『かみ合わせられない』状態のこと、と説明します。
「かみ合わせる」は歯車の場合なら「歯車などの凹凸の部分をぴたりと合うようにする」ことになります。
しかしここでは人間の理解が問題になっているので、人の頭(つまり頭の働き)と自分の頭の働きがうまくかみ合わないの意味です。心と心がうまくかみ合わないの意味が主になることもありますね。

このように物的な意味から心的な意味に移っていく語がたくさんあります。これはことばが最初は物を名付けたことから生まれてきたことを意味するのでしょう。
大昔の人は自分の目を自分の心に自覚的に向けることはなかったのだろうと思います。この話は本書の内容から大きく逸れていくので、ここではこれまでにして、改めて「納得」の方に話を戻しましょう。

本書での「かみ合わない」や「すりあわない」の意味
次回はここから始めます。

前回はそう書きましたが、本文の流れに沿って解説を続けるほうがよいですね。「かみ合わない」や「すりあわない」を説明するために必要な語彙がすでに本文に記されているからです。
ですから「理解の枠組み」に移りましょう。

理解の枠組
まず「枠組」から手をつけましょう。この漢熟語は
①「枠を組むこと」
②「組まれた枠」
この二つの意味で使われます。①~すること、②その結果得られたもの、という考え方から生まれた熟語です。これは欧米語での考え方に沿って生まれた熟語です。
幕末以降、非常に多くの漢熟語が作られましたが、それはすべて欧米語からです。欧米語の考え方を学んだ人たちがそれを漢熟語を作るときにも応用したのでしょう。
①動詞、②~その動作をすること、③その結果得られたもの、欧米語ではこの三点が基本です。②と③が名詞で、そのどちらも使われている場合が多いけれども、どちらか一方だけが使われる場合もあります。
「枠組」の場合には②と③の両方が用いられているわけです。

では「枠」とは何でしょう。
大辞泉を引くと①木や竹などの細い材で、器具・建具などの縁(ふち)にしたもの②物の周囲をふちどる線、他にもありますがこの二点で充分です。
「枠」の基本的な意味は二つの意味を抽象して「何かをふちどるもの」と整理できます。

30ページの冒頭に、
「何かを理解しようとするときには(中略)
「百姓すなわち農民」という理解が動員されており、それが円次郎の話を理解する枠組になっていました。

だいぶ間が空きました。すみません。「深く『読む』技術」の解説を続けます。

「納得しない」→「かみ合わせられない」
網野さんの説明では、「百姓」が「農民」でないということに記者たちがなかなか納得しなかったことを、百姓≠農民という事実が常識的な理解に反するからとなっていました。
次いでその理解は「思い込み」と言い表されるようになるわけですが、本文では「納得しない」を自分のこれまでの理解と「かみ合わせられない」状態と受け止めました。
なぜかみ合わせできなかったのか
事態を明らかにしようとすれば、ではなぜかみ合わせできなかったのか、ということが疑問になります。
これは物事を理解するときに一般に認められる頭の動きが問題となっていると受け止めることができます。

いろいろな事情で断片的にしかかけず、公開を渋っていましたが、この状態がもうしばらく続きそうです。
そのため、途中で終わっている箇所の次に、別の新しい説明がはじまります。でも、このまま不完全なままに公開します。そして公開原稿を修正しながら、まともなもににするつもりです。



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