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森摂:脱炭素は「きれいごと」なのか(オルタナ2022年6月発行号掲載)


オルタナより

先日、オルタナS編集長の池田真隆が、小泉進次郎衆院議員にインタビューしました。(「日本の脱炭素は『休憩』していないか」)。小泉氏は次のように語りました。

 「しかし、残念なことに日本はコロナ禍とロシア・ウクライナ危機を受けて、あたかも脱炭素政策の推進がスピードダウンしているように感じることがあります。一方で国際社会はウクライナ危機によって、脱炭素政策の『強度』と『速度』を上げています」

 私も全く同感です。そもそも2020年10月、菅義偉首相(当時)の「2050年カーボンニュートラル」は海外100カ国以上の後塵を拝しました。出遅れた日本は、その分、トップランナー国以上のスピードが必要なのです。

 この記事はYahoo!ニュースに掲載されましたが、150件以上のコメントが付きました。その多くは批判的なコメントでした。一つ、要旨をご紹介しましょう。

 「そもそもカーボンニュートラルなんてのは、ヨーロッパ諸国が言い出したプロパガンダであって、パリ協定で仕方なしに日本も決めた。でも米国はトランプがパリ協定から離脱し、中国も10年先延ばした。それを何で日本だけが、四角四面に再エネに固執するのか」

 どうも、最初から米国や欧州、「アングロサクソン」に押し付けられた感が否めなかったようです。CSRやSDGs、ESG、、脱プラ(レジ袋有料化)、エシカル、フェアトレードなどサステナビリティ領域全般に同様の反応があります。

 一方で、「日本人は環境意識が高い」という自己評価もあります。確かに、節電、節水、ゴミの分別などは得意です。ではなぜ世界と環境意識を共有できないのでしょうか。

 私は、環境の世界観の「大きさ」が関係していると思います。誤解を恐れずに言うと、多くの日本人は家庭や職場など、半径6メートル程度には確かに気を配ります。一方、地球の半径は6371キロメートル。その差は100万倍以上あるのです。ここに大きなギャップがあるように思います。

 もう一点、環境やSDGsはおよそ「きれいごと」と捉えられます。「きれいごとではビジネスは成り立たない」などと反論されて肩を落とすサステナ担当者の姿を、私は何百人も見てきました。

 過激な陰謀論とは言わないまでも、「きれいごとの裏には何かの策略がある」と疑っている人も多いのでしょう。自らの世界観との距離に、自分ごと化できない人も多いと想像します。

 この点は、逆に「『きれいごと』で動ける組織は強い」ことをお伝えしたいです。坂本光司先生の『日本でいちばん大切にしたい会社』に出てくる「まず社員とその家族を大切にする」も同様です。「きれいごと」で動くとは、理念や価値観を共有し、信頼し合うことです。

 「ガバナンス」の語源は、ラテン語で「船の舵を取る」ことです。組織を「統治」することではありません。船長(社長)が海図(市場)と天候(景気)を見て、この船はどこに行くのかを決めるのです。その舵取りの様子を見て、船員(社員)たちは安心するのです。それが本当のガバナンスだと思います。

 「日本」という船の船長は、その舵取りができているのか。脱炭素や脱プラへの猜疑心が多いという現状は、その舵取りへの不安なのかもしれません。

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#GlobalPress
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