”独立国家かどうか" コソボ
コソボの人たち
The Ottoman Empire(オスマン帝国) による統治がバルカン戦争を経て終わり、Kosovo(コソボ) はセルビア帝国の一部となった歴史があります。
Kosovo(コソボ)では、
多数派でアルバニア語を話すアルバニア民族のイスラム教徒と、
少数派でセルビア語を話すセルビア民族がいます。
独立をめぐる争い
1946年からセルビア帝国がユーゴスラビアに編成すると、
1974年に Kosovo(コソボ)はユーゴスラビア内での自治を認められるようになります。
しかし Kosovo(コソボ)国内では、
独立を望む Kosovo Liberation Army (KLA)と、
多数派による迫害を訴える少数派セルビア人
とのあいだで争いは続いていきます。
1999年に Kosovo(コソボ) が独立をしようとした際には、
Serbia(セルビア)が軍事攻撃や民族虐殺などを行い、NATOがとめに入る事態になります。
2008年に Kosovo(コソボ) は、
多数派アルバニア民族による統治を認める新しい憲法とともに独立を宣言し、
アメリカやヨーロッパ諸国はこれを認めるのですが、Serbia(セルビア)はこれを認めません。
Serbia(セルビア)の同盟国であるロシアも国連における拒否権を使って、Kosovo(コソボ)の国連加盟を阻むんですね。
2009年には Kosovo Security Forceという複数の民族で構成された軍隊が NATOの管理のもとで形成されます。(ちなみにNATOはもともとソ連の共産主義が広がっていくのを防ぐために作られました。)
2013年には Kosovo(コソボ)内での少数派セルビア人の権利を保障することを条件に、Kosovo(コソボ)と Serbia(セルビア)のあいだで関係を正常化する約束が交わさるのですが、不安定な関係は続いていきます。
2021年にも、Kosovo(コソボ)が Jerusalem(エルサレム)をイスラエルの首都として認める代わりに、イスラエルが Kosovo(コソボ)を独立国家として認める、ということが発表され、状況は変わっていません。
参考: BBC News, Al Jazeera, TRT World, The Economist
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