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ハイチの不安定な政治

ハイチの独立まで

Haiti(ハイチ)はお隣の国 Dominican Republic(ドミニカ共和国)と同じ島に位置しているのですが、
スペインが島を占拠した後にフランスがHaiti(ハイチ)を支配し始めたので、フランス語が公用語になっています。

奴隷制度を利用したビジネスのために西洋諸国が植民地開拓を行っていったわけですが、Haiti(ハイチ)では奴隷にされていた人たちが立ち上がり、Haiti(ハイチ)国内の奴隷制度を終わらせるとともに勢力を強めることに成功しました。

ハイチの独立後

1804年にHaiti(ハイチ)が独立国家となると、黒人が北部を、白人に近い人たちが南部をそれぞれ支配することになったんですね。
しかし、のちにHaiti(ハイチ)が一つに統一された際には、黒人たちに実権はあたえられませんでした。

この人種に基づく問題を解決することを名目に、アメリカは Haiti(ハイチ)への干渉を強めていきます。

そんな中、一人の医者が軍部の力を利用してHaiti(ハイチ)国内における権力を手にし、生涯大統領を名乗って独裁政治をはじまるのですが、その息子に権力が継承されるときに国民の不満がつのったことで、独裁政権から国民による政治に切り替わります。

民主化の動きは成功した?

それでも、軍部の影響力が政治に強く残っていて、アメリカや国際連合が混乱を防ぐために介入していきます。
安定した民主主義を築いていく過程で、国際連合は経済的支援と職業訓練を強化すると同時に、ギャングなどの武装化を防止していく対策を行います。

しかし Haiti(ハイチ)の経済は安定しないままで、食糧危機に陥ったりして、国際機関やアメリカによる食糧支援や借金の軽減などが行われていきます。
それでも、Haiti(ハイチ)は地震や台風などの自然災害が頻繁に起こったり、コレラ感染が流行ったりして、今だに安定した国家体制をなかなか築けずにいるのです。

参考: BBC News, Human Rights Watch

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