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意味を求めるなかれ

時々、なぜ人は生きるのか?自分は何者なのか?何をすべきなのか?と、不安に陥るときがあります。

昨日まであんなに楽しかったのに、生き生きしていたのに、突然そんな不安が襲ってくる。

その深くて暗い穴に陥ると、負のスパイラルです。いくら考えても、いくら悩んでも、正解など出てきません。
それどころか、そんな自分に絶望さえ感じてしまう。

でも、これって、実はそんな意味を求めること自体が意味のないことなのではないでしょうか?

≪悪魔の証明≫ってご存知ですか?

悪魔の証明とは、「《この世には悪魔など存在しない》と主張するのなら、それを証明してみせろ」と迫ることである。要するに、「証明が到底不可能な事柄」のこと、および、そのような証明不可能な事柄について「証明しろ」と迫る態度や言動のこと。
 参照:https://www.weblio.jp/content/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E

人生の意義や、目的、意味、自分の価値やあるべき姿など、実は「証明が到底不可能な事柄」なのではないかと思います。なぜなら、人が生きるとは、生きること自体がその証明を求め続けることだからです。

目の前に正解があるに違いないと思うから苦しいのでしょう。

なぜ自分で、自分のことを苦しめる必要があるのでしょう?
まさに心の隙間にひょっこり顔を出す悪魔の仕業なのかもしれません。

悪魔のささやきに惑わされそうになったら、右手を胸に当て心臓の鼓動に思いを馳せてみると良いと思います。実際には鼓動が手に伝わることはないでしょうが、その手の下では、しっかりと、そして定期的に鼓動し、命を支えてくれているのですから。

生きていることに感謝して。

島崎ふみひこ
異文化コミュニケーション研究所(R)
https://www.globalforce.link/
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