この数日、目に耳に入ってくるウクライナの状況は、どのように言っていいのか適切な言葉が見つからないほど。それは、私たちが今までに経験したことがない証拠だ。
色々な考え方があり、スタンスがある。なので、現地にいない我々が何をするのが正解だとか正義だとかはないのだろう。しかし、もし今この瞬間「何か自分にできることはないのだろうか?」と、もどかしく思っている方々がいらっしゃるのであれば、是非これを読み、ご自身にできることをして欲しいと思い、シェアする。
この内容は、筆者の親しい友人の仕事のチームメイトで、通常カナダ在住ウクライナ人の方が、ウクライナに帰省している間に今回の一件に遭遇し、現地から送ってきたメッセージ。許可をもらったので、それに日本語訳をつけてnoteに残すことにした。
このメッセージよりも前に届いたという、彼女たち家族の状況を知らせるリアルなメッセージの内容を友人から教えてもらい読んだ時、心臓のずっと奥の方をすごい力で鈍い音を立てながら握り潰されるかのような不気味な感覚を覚えた。
筆者の家族ぐるみの友人にもNY在住ウクライナ系の人がいる。彼らの心境の程は、もう想像の域を大きく超えている。
このような時、小さな一人間の無力感に苛まれる。だけど、今、自分にできることを一つでも多くやろうと思う。
筆者の場合、その一つがこの現状から目を逸らさないこと。そして、現地からのメディアには載らない声を少しでも広めること、そして現地から届いた「今あなたにできること」の中から”できること”をやること。
一つ明言しておきたいのは、これを日本語訳してnoteに掲載したのは、誰に強要されたわけでもなければ、誰かに「これをやれ」と強要しているわけでもない。だからこそ自分の意思で「やろう」と思ったら「できること」をするのが大事。
(*寄付先も、翻訳メッセージ内のものではなく、日本から協力しやすい先も多く存在しています。)
多くの人々の無事を祈り願いながら、ウクライナのために、今、私たちができること、それはある。
このメッセージを送ってくれた一市民であるAnnaの小さな声だけど、それをここに日本語で書くことにより、彼女のことを知らない、言語の違う人、1人でも多くに伝えられたら、そんなことを思って書いてみた。
きっとこれも小さなこと。だけど、例えどんなに小さなことでも、やらない「0(ゼロ)」より、やった「1」は大きな力の一部になるのだから。