コロナで考えた「生きる」ということ。

コロナがやってくるなんて、誰が予想したことだろう。

本当は、2月から東京オリンピックの運営に一職員として携わり、7・8月には大会を見届けるはずだった。1964年に開催されて以来、56年ぶりに日本にやってくるオリンピック。それを自分が東京で見ることができるだけでも奇跡のようだった。転職を考え、せっかくならオリンピックに関われたら…と思っていた矢先に、その夢のようなチャンスが舞い降りてきたのだ。私は、そのチャンスを掴まないわけにはいかなかった。

2月半ばに転職をしてやっと仕事に慣れてきたと思った1ヶ月後、コロナが日本でも広がりを見せるようになり、オリンピックがどうなるのか心配する声を聞くようになった。そして24日の夜に突然、1年延期されることがテレビで報道された。25日の朝の職場のあの重く暗い空気は今も忘れない。

あれから、約2週間のうちに海外スタッフはほとんど帰国し、現場を任された数人だけが残された。これからこの一年を私はどう過ごすんだろう、と呆然となった。

仕事量はガクッと減り、以前のように出勤して同僚と顔を合わせることもほとんどなく、時間だけが過ぎていった。しばらくは、毎日「今日の感染者は〇〇人」などのニュースを眺め、漠然と不安に駆られ、気持ちも落ち込んだ。外に出て気分転換もできない。こうしている間に最前線で戦っている人もいるのに、私は何をしているのだろう、と罪悪感にも苛まれた。

ただ、たまに友達とオンラインで話したりして、自粛しながらも前を向いて活きている皆に勇気づけられ、この空いた時間を有効に使わなきゃ、と思った。こんなに自由に使える時間ができることなんて人生で滅多にない。しかも幸運なことに、私はまだ仕事を続けられているしまだ収入もある。今だからできることをするべきではないか。

そこで、以前から声をかけられていた学校の運営支援の仕事を引き受けることにした。学校現場で働ける機会なんて本当に貴重だし、自分が少しでも子どもたちの役に立てるなら幸せだろう。軽い気持ちでは引き受けられない責任の伴う仕事だが、やろうと決めた。

始めてみたら、自分が今まで見てこなかった世界に踏み込んだ感覚で、毎日が新鮮な発見の連続だ。仕事内容もそうだが、校長先生や周りの職員方との会話から学べることが多い。塾業界で働いていた時には持てなかった視点や気付きを得ることができて、刺激があった。仕事量のバランスには少し困る時もあるが、負担に感じることはあまりない。

また、同時期にオンライン家庭教師のアルバイトを始めた。これも、生徒が受験生なので手は抜けられないが、「今日は生徒に何を教えるべきか」考えて授業を設計し、結果的に生徒の学力が伸びたりやる気になっている姿を見られると、純粋に嬉しい。「生徒が頑張ってるから自分も頑張ろう」と元気ももらえる。

こうして、色んなご縁に助けられ、自分も今も元気に健康に毎日を過ごすことができている。生活面に困ることなく生活できていること、仕事をいただけていることを心から感謝しなければならない。


コロナが起きて、考えたことはたくさんあるが、一つは「生きる」ことの意味だ。コロナはたしかに未曾有の危機を引き起こし、私たちの健康や生活そのものを脅かしている。当たり前だと思っていた日常も、コロナによって崩れてしまった。「これから未来はどうなってしまうのだろう…」という不安も感じざるを得ない。

しかし、そんな危機の中でも、私たちは生きなければならない。どんなに悔やんでもウイルスはなくならないし、しばらくは残り続ける。時間も止まってはくれない。毎年のように、12月になれば自分は1歳さらに年をとる。

どうせ生きるなら、楽しく生きたい。元気で、健康に、笑顔で前を向いていたい。家族や友達との時間を大事にしたい。新しいことを学んだり、色んな人に出会って話したい。

”Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.”
Mahatma Gandhi

ガンジーのこの言葉にはすごく励まされる。

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