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夢日記はまじでやめろ

都市伝説が好きな人なら、一度はこんな話を聞いたことがあると思う。
「夢日記をつけてはならない。なぜなら、気が狂ってしまうからだ。」

これは、私がたったの二日間、夢日記をつけた結果、メンタルに結構なダメージを受けてしまったため
夢日記はまじでやめたほうがいい、という、啓蒙のnoteです。

夢日記1日目。
私は、景色のきれいな田舎の夢をみた。
さすがに、詳細はもう思い出せない。

少し詳しく解説する。
私が田舎を夢に見るというのは
家族とのいさかいで帰れなくなってしまった故郷の、郷愁の念であることも明らかなのである。
これは決して「いつか行きたい旅行先の夢」などではなく
幼い日、父と母と、きょうだいと見た、どこかドライブ先のことを思い出して見た夢なのだろう。

夢日記2日目。
オシャレだがこぢんまりとしたアパートに、両親、きょうだいと引っ越しをする夢。
妹があまりにも身勝手な事を言うので、腹が立ってひどく怒鳴り散らかしてしまった。しかしそれを母は微笑んで見ているものだから、この世には誰も私の理解者などいないんだと悲観し、夢の中で希死念慮を抱いてしまうほどだった。
すっかり怒った私は家を飛び出し、街の繁華街へ足を運んだ。
街並みは朱色に包まれたアジア風で、街の各所にはちろちろと小川が流れていた。
それから、中東系の顔の人が集う宝石の販売会。真っ白い石が売られていたから、多分全てダイヤモンドだったと思う。
その後は、風が吹く原っぱの中にある線路に沿って、遠くまで歩いてゆく夢も見た。

これも少し解説する。
私の父は職業柄引っ越しが多く、覚えているだけでも何度も引っ越しを経験した。だから、夢の中でも「またいつもの引っ越し」という空気感だった。
妹と私は、例えて言うなら「アナとエルサ」のようなところがある。
長子は得てして、親などの年長者からのプレッシャーを受ける。
対して二女である妹は、親のプレッシャーをさほど受ける事なく、のうのうと育った。
と、無意識の私は思っているようである。
家族から受けた無力感による希死念慮も、何年か前には恒常的に悩まされていた。気持ちに整理はついたので、今ではすっかりもうなくなってしまったのだけど。

それから、最後に出てきたのもおそらく、私が5歳くらいの頃に通っていた町の景色があらわれた物だと思う。


以上が、たった2日つけた私の夢日記の全容である。
その後、私はこんなことを書いている。


1日目も2日目も、体感として「目覚めた直後はぼんやりと覚えているけれど、ご飯を食べる頃には忘れているようないつもの夢」だったと思う。
しかしこれをあえて文章化してしまう事により、本来忘れてもかまわないはずだった夢を、記憶の中に固定してしまう感覚をおぼえた。
人は本来、大事なことは覚えておくし、忘れたいことは忘れてしまう。
特に、世界にはどうでもいい情報があふれている。
さっき見た意味のないツイート、特に興味もない広告。ショート動画の背景。
脳みそとは賢いもので、どうでもいい情報はすぐにサクサクと処分するようにできているらしい。
しかし、もしもこの処分の機能を壊してしまうとどうなるだろう。
脳みその中には不要な情報が次から次へとあふれてゆき、いつの間にか脳みそがパンクしてしまうのではないだろうか。
例えて言うなら、捨てるはずだったゴミをゴミの日に出しそびれ、そのまま棚の中にしまったような、そんな気味の悪さを覚えたのだった。

こうして私は、たった2日間の夢日記を終えることにした。

そして3日目。
記録をつけていないので覚えてはいないけれど、やはり故郷の家族を夢に見た。

さらに4日目の今日。
やはり、何らかの形で故郷の家族を夢に見た。

うちの親は、平たく言えば毒親である。
思い出したくない事もたくさんあるし、反対に、押し殺した愛着も山ほどある。
最初の頃はよく泣いた。
しかしそれは何年も前の話で、整理もついたし、今となっては、別にどうでも、なんでもいいと思って過ごしている。

しかし私の無意識は、毎日夢に見るほど、いまだに家族にとらわれているのか?
整理がついたと思ったのは、気のせいだったのか?
しばらく悩んでしまった。
結果的に、最初の頃と比べて今は少しだけメンタルが落ち込んでいる。
触れる必要のなかったトラウマをゴリゴリと掘り起こしてしまった。

これは、今からあと何日もかけて癒して行く必要がある。
たった2日の夢日記の代償は、思ったより高くついた。
「気が狂う」と言えば少々大げさだけれども、メンタルにはしっかりとダメージを与えることが分かった。

夢日記は、精神を不安定にする。
なので、皆さんはみどりと言う例を胸に「やらない方がいいことだ」と覚えておいてもらえたらと思う。


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