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漫画喫茶の栞先輩

「先輩、ハサミどこに行ったか知りません?」
「う~ん、どこだろうね」
「そうですか……それより先輩」
「なに?」
「仕事、してくれませんか?」
 椅子の上でほとんど水平になりながら漫画を読む栞先輩を横目に備品の荷ほどきをしていたが、さすがにもう限界だった。
 ここは都内某所に居を構える漫画喫茶。時刻は深夜二時半。客足も完全に途絶え、エントランスは静寂に包まれている。
「失礼失礼! まるで私がサボっているみたいな言いぐさじゃんか」
「どう見てもそうでしょう」
「違うよ。これはトレンドチェック。発注担当として、新作漫画をウォッチしているんだよ」
 そんな事を言いつつ、先輩の身体はしっかり監視カメラの視覚に入り込んでいる。どうやらこの人の面の皮は随分厚いらしい。
 思わずため息が零れる。研修期間の時はあんなに真面目そうで、仕事も丁寧に教えてくれたのに……入って2週間。こんなに早く化けの皮が剥がれないでくれよ。
「そんなことよりさ、後輩君も漫画読んだらどう? この店唯一の福利厚生みたいなものなんだから」
「いや、僕はいいですよ。漫画、好きじゃありませんし……」
「ええ? じゃあなんで、ウチなんかに?」
「単純に給料が良くて暇そうだったからです」
 実際、それは当たっていた。時給は深夜手当も込みで1600円を超え、この時間帯にもなれば入客もほとんどなくストレスも少ない。
「そっか、そういう子もいるんだね……私なんて、漫画が読めるぞ、としか思わなかったけど」
「みんなそうですけど、好きですね、本当に……」
「……後輩君は、漫画嫌いなの?」
「嫌いという訳ではありませんが、漫画を読む暇があるなら、もっと勉強でもした方がいいと思う事は度々あります」
 大学でも講義を聞かずにスマホをいじっている輩は多い。そのくせ、テスト間際になると過去問がどうとかいって、高得点を取るのだから不愉快だ。
 『漫画なんて読むと馬鹿になる』なんて、偏見に塗れた母の言葉を信じているわけではないが、ああいう奴らは留年すればいいのに思ってしまう。
「あはは、後輩君が言うと説得力があるなぁ。休憩時間もいつも勉強してるもんね。……なにか、将来の夢とかあるの?」
「そんな大層なものはありませんが、勉強しておくことが成功の近道であることは間違いないでしょう?」
 一流企業への道もきっとその先にあるはずだ。少なくとも、僕はその方法以外を知らない。
「そうだね……でも、後輩君はもっと漫画読んだ方がいいと思うな」
「どうしてです?」
「笑顔が堅いから!」
「理由になってませんよ……」
 漫画を読んだくらいで朗らかになるなら、この店の客はもっと愛想がいいはずだろう。しかし、実際そうではないということは、そういうことだ。
「後一応、漫画喫茶の店員だし。名作一つ知らないのは、寿司屋なのにマグロも知らないと同じことだよ!」
「まあ、それは確かに」
 例えはともかく、それに関してはその通りだ。命じられるなら勉強の必要がある。
「暇な時間、従業員が漫画を読むのは社則で認められている権利だし、後輩君が読書中の時は私が仕事をしておくから安心して良いよ!」
「分かりました。では、何を読めばいいでしょうか?」
「う~ん、そうだね。……なにかこう、好きなジャンルとかない?」
「好きなジャンル? 読んだことがないので正直よく分からないですね」
 強いて言えば、昔スポーツもののドラマは見たことがあって好きだった気がするが、あえて言う必要もないだろう。所詮、タイトルも思い出せないぐらいの思い出だ。
「りょーかい! それじゃあ色々おすすめ持ってくるからちょっと待っててね」
 言うや否や、漫画棚の方に向かう栞先輩。
 ガタガタと棚を物色する音が響き5分ほど、両手いっぱいに本を携えて戻ってきた。
「さあ、選びたまえ! 君のデビュー作を!」
 ドサッと音が鳴り、カウンターに漫画本が置かれる。……多い。ざっと見たところ20~30冊はある。
「こんなにあったら逆に選べないですよ。どんだけ気合入れてるんですか」
「ごめーん! 私の好きな作品をピックアップしてたら止まらなくなっちゃって……」
 栞先輩は照れくさそうに頬を赤らめる。本当にこの人は漫画が好きらしい。
「――ざっとだけど、どう? なにかピンときそうなものはある?」
「そうですね……」
 1冊1冊手に取って、軽く表紙を眺めてみる。正直、いまいち見分けがつかない。そもそもこういった絵的な物に触れてこなかったからなんとなく目がチカチカする。
「……それじゃあこれですかね」
 サラリーマンの男性が映っている1冊を手に取った。よく分からないが、他に比べれば少しはためになる内容なんじゃないかと思う。
「そうだね。ぜひ、後でそれも読んで欲しいけど……後輩君が本当に読みたいと思ったのはこっちなんじゃないの?」
 栞先輩が突き出してきたのは、赤いユニフォームを着た男の子がボールに手を伸ばす絵が描かれた一冊だった。表紙には大きく『アイシールド21』と書かれている。
「……なんでそう思ったんですか?」
「だって、一瞬手を止めてたし、裏のあらすじまで読んでたのそれだけだったし」
「別に読みたいとかじゃないですよ。単になんだろうと思って気になっただけで」
 どうやらアメフトを扱った漫画らしいが、読んだところで僕にとって参考になることはないだろう。それなら、少しでも得になりそうなビジネス系の話に時間を使った方がいいはずだ。
「せっかくだし、気になったなら読めばいいじゃん」
「いやいや、いいですよ。時間ももったいないですし」
「うーん、そうだけどさ、そうじゃないと思うんだよ」
 言いよどむように栞先輩は指を顎下に当てて考えこむようなしぐさを取る。僕を説得する様な言葉でも考えているのか。
「……ところでさ、話は変わるけど後輩君は手塚治虫は知ってる?」
 しばらくして、栞先輩は突然そう言った。
「なんですか、藪から棒に」
「まあ、いいから」
「……えぇ、まあ。人並み程度には」
 ――手塚治虫。昭和の時代に活躍した漫画家で『鉄腕アトム』や『ブラックジャック』などの名作を生み出した偉人だ。作品に触れたことのない僕でさえも知っている。
「で、それがなにか?」
「彼は色々な名言を残したことでも有名なんだけど、私が好きな言葉でこんなのがあるの。”好奇心というのは道草でもあるわけです。確かに時間の無駄ですが、必ず自分の糧になる”――どう、いい言葉だと思わない?」
「……」
「後輩君からすると、漫画なんて時間の無駄に見えるかもしれないけど、それが巡り巡って自分の力になることだってあると思うんだよね」
 そう語る栞先輩の顔にはいつものおちゃらけた様子はない。だからだろうか、どことなく感銘を受けたような気分になってしまったのは。
 一秒、二秒見つめ合って考える。……分からない。いや、言いたいことは分かるが納得はできない。道草を食うよりも、真っすぐに進み続ける方がずっと成長の幅は大きいはずだろう。
「僕は――」
「――いらっしゃいませー!」
 か細い僕の声はかき消すように先輩が言った。ハッとして振り返る。すると、そこには若い男女が立っていた。どこかの飲み屋帰りだろうか。深夜帯でも入客が集中するタイミングは時たまある。
「4名様ですか?」
 入客に対応する先輩をしり目に僕はバックヤードに向かう。カウンターに乗せたままになっていた漫画を両手に抱えて。
 なんとなく、逃げる様な気分だった。
 足元に気を付けながら歩いていると、つい頂点に乗っていた表紙と目が合う。
(好奇心、か……)
 ふと昔を思い出す。ミニバスケットボールクラブに所属していた小学生時代の事。どうして親に無理を言ってまでバスケがやりたかったのか。
(僕も漫画の影響を受けていたんだな……)
 小児科クリニックの待合室に置かれていたシリーズ。中途半端なところだけ読んだから、キャラクターもストーリーもよく分からなかったけど、カッコイイと思ったことは覚えている。
 事務所の机に漫画を置き、一冊手に取る。
 選んだのは――『アイシールド21』。
(ちょっとだけ。そう、ちょっとだけだ)
 誰にも告げる事のない自己弁護の言葉を並べ立て、僕はページを開いた。そして、物語の海の中に埋没していった。

◆◆◆◆◆
「……………こ、……くん……後輩……、…………後輩君!」
 肩に衝撃が走り、意識が紙面から浮上する。
 振り返ると、栞先輩の姿がそこにあった。
「え、あ……はい」
「忙しいところ悪いんだけど……謎に混んできちゃったから、ヘルプお願いしてもいいかな」
 言われて思い出す。そういえば今は仕事中だ。
 時計を見ると、いつの間にか20分も経っていた。
「す、すいません今行きます」
「ああ、うん。じゃあ214と226、それと231の清掃お願いね」
 言われるがまま事務所を出てフロアへ。
 雑巾片手に無心で掃除。ゴミを片付け、PCを再起動している内に段々と頭がスッキリしてくる。
  ついでにトイレとシャワー室のチェックも済ませて戻ってくる頃には、混雑も解消されたようで、エントランスは再びの静寂に包まれていた。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
 何とはなしに言い合って、僕は栞先輩の隣に戻った。
 自然と、カウンターの向こう側の漫画棚が眼に入る。
 大きな大きな書架が一つ、二つ、三つ。ここからでは見えないぐらいの数がある。今まで認識していなかったが、そこにはもっとたくさんの漫画詰まっているのだろう。
「……栞先輩って、どれぐらい漫画読んだことあるんですか?」
「そうだね~、数えてないから適当だけど1万冊以上は堅いかな」
「1万……さすがベテランなだけありますね」
「でしょー! アタシって漫画マスターみたいなところあるからね!」
 栞先輩は得意げになって胸を張る。
 ふと、出勤初日に店長に言われたことを思いだした。「笑顔が足りない」。実際そうだろうから否定はしなかった。
「後輩君もこの高みに登れるよう精進しなさいな!」
「はい」
 眩しい笑顔だ。僕もそういう風になれるだろうか。
 多分、顔が可愛くないから無理だろうけど、接客業として及第点なくらいではありたいと、そう思う。
「――ところで先輩」
「なーに?」
「ホッチキスどこにやりました?」
 いつもの道具箱を見ても見当たらない。こういう時は大体栞先輩の仕業だ。変なところに持ってくくせに、戻すのを忘れる。
 そろそろレジ締めの作業をする時間だ。必要な伝票はまとめておきたい。
 しかし、栞先輩はまたしても、ぐでーとなって漫画を読み始めてしまった。そして言った。
「”ないもんねだりをしてるほどヒマじゃねぇ。あるもんで最強の闘い方を探ってくんだよ。一生な”――アイシールド21 37巻から引用」
「……どういう意味ですか、それ?」
「要するに、覚えてないってこと!」
「そうですか……」
 怒りたいのはやまやまだが、仕事をサボってしまったのはお互い様。だから、今の一冊を読み終わるまでは堪えることにしよう。……代わりに次暇になったら僕が続きを読みに行かせてもらうけど。
 休憩が待ち遠しいのは初めてかもしれない。
(よし、頑張ろう)
 そう思い、僕は一人事務作業を進めるのであった。

(終)

◆キャラクター紹介

1.主人公(後輩君)

2.栞先輩

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