卵焼き

 塩辛いものが好きだ。由来はわからないが、東北の家系だからだろうか。お弁当に入っている卵焼きはいつも母が兄弟のも含めて日が明けるだいぶ前から目覚めて作ってくれたものだった。小学生の頃の遠足の時、中学生の頃の部活動の遠征の時、高校生の頃の修学旅行の一日目の昼食のなど、決まって母のお弁当を口にしていた。その「しょっぱさ」は自分にとって「当たり前」だったので、小学生の私は、あの遠足の時の友人との卵焼き交換(お弁当の具交換とでも呼ぶのだろうか)の味が、今でも忘れられない。

 羨ましいわけではなかった。ただ、自分は共働きの鍵っ子で、小学校から帰っても家には誰もおらず、兄弟も部活動と塾でほとんど家にはいなかった。その友人の家は(今思うと一人っ子だからだろうか)何でも買い与えられ、欲しいものがすべて手に入っているように見えた。家に帰ると優しい祖母がいて、私が家にお邪魔して友人と遊んでいると、お腹が空いた頃を見計らって、味噌をまんべんなく散らした、皿いっぱいのおにぎりをご馳走してくれた。ただ、その当時友人に貰った卵焼きは甘くて、なんだか胸につかえる味がした。

 今日は新年の初売りに母と二人で出掛けた。といっても待ち合わせ場所を設定してからは現地解散だが、数時間後、母はとある福袋を手に持っていた。「有名店の甘い卵焼き」が絶対に入っているらしい。帰宅してから食べてみると、確かに甘かった。あの友人の家の卵焼きでもなく、お寿司屋さんの「玉子」とは似ても似つかない、絶妙な味だった。甘くてふわふわした、後に残らないまろやかさ。かつての甘い卵焼きにはあまりいい思い出がないが、この卵焼きの味は自分の中で受け入れられて、少し一歩前に進めるような、そんな気がした。

 昨年の暮れ、環境や人間関係の変化に惑わされて飲み込まれてしまいそうになった私に、母は、「世界一かはわからないけれど、自分は今、胸を張って幸せだと言える」と言った。今も母は定年退職間際、仕事を続けている。亡き父の後、今もこうして頼もしい背中を見せ続ける母には敬意しかない。少しも他人と比べる必要はないのは分かっている。けれど自信がないから、自分にない「正しさ」を求めてしまうから、つい隣の青々しい芝生を見て、愕然としてしまうのだ。少しでも母のように強くしなやかに、そして今日の卵焼きとの出会いのように、20代の「今」の自分が切り取った世界の映り方を大切にしていける1年になることを願う。

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