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「引っ越し」グラフィティー②

2001年4月に川崎市高津区に引っ越しました。理由は転職したから。最寄り駅は溝の口です。アパートは246号の近くで駅まで徒歩700mぐらいだったでしょうか。目の前に南武線が走っており、数分ごとに電車の通過音(かなりうるさい)がしていましたが、不思議なことに慣れちゃうんですね。人間の適応力というか日常化というのはすごいと実感したものです。

2003年3月21日の高津区下作延付近

溝の口時代は肥満解消のためランニングを始めました。アパートを出て246号沿いを東に走り、久地円筒分水の近くを通って久地駅の近くまで行き、南部沿線道路を南下するコースを走っていました。

この頃はあまり近所を徘徊することなく、だいたい都心に出ることが多かったです。あとは時々聖蹟桜ヶ丘や等々力渓谷、二子玉川にも行ったりしたぐらいです。

あと印象深いのは、駅の北側に闇市っぽい雰囲気の通りがあって、そこだけ昭和感が漂っていたのが面白かったです。

勤務先は港区青山だったので田園都市線を利用していたのですが、この線は混雑度が非常に高くて苦痛そのもの。仕方がないので比較的空いていた各駅停車に乗車していました。なお、通勤経路としては溝の口から外苑前だったのですが、少し料金を追加して神保町までの定期券を買っていました。なので毎週のように神保町、お茶の水、水道橋付近には行ってましたね。

溝の口には2003年3月までの2年間住んでいました。せっかく転職した会社でしたが、なんだか馴染めずストレスが多かった気がします。また、税理士の資格を取得しようとTACに通っていたのですが、無理がたたって体を壊してしまい地元に戻ることを決意しました。

5年ぐらい前に溝の口を訪問してみたら、当時住んでいたアパートは解体されて駐車場になっていました。

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