見出し画像

朝日新聞記者による蓮舫氏への攻撃

  朝日新聞社の記者 今野氏によるTwitter(現:X) での執拗なまでの攻撃についていろいろな意見が出ている。これについて書いておこうと思う。
 これについては、朝日新聞を”不遇にも””不当に”扱われたという経験を持つ元朝日新聞社記者である佐藤章氏がyoutubeチャンネル一月万冊で解説をしている

 失礼だとは思うが、この動画を私は、まじめには視聴していない。字幕を出して流していただけだ。正直、あまりにも不快だったので。その上で佐藤氏の意見は一貫して、「朝日新聞社自体が権力者に媚びを売るようになりけしからん」「自分はそれの被害者で不当に扱われた(結果、自尊心を傷つけられた)」というものであると認識している。

 まず前提として、個人的にどう思うかはおいておくとして、今野氏がどのような政治信条を持っていてもそれは本人たちの自由である。その上で朝日新聞社自体が蓮舫氏を気に入らない、という姿勢なのであれば、組織としても彼がそのような発言をするのであれば特に問題ないだろうと思う。

 一方で石丸氏を動画に出演させ、蓮舫氏の存在を無視し、立憲民主党への攻撃を繰り返していたのは、佐藤氏も同様である。蓮舫氏へのバッシングがひどいというのであれば、取り上げない、ということでバッシングを側面的に援護していたのは佐藤氏も同様だ。小沢一郎の本を出し、立憲に近いと目される佐藤氏が推すのであればと石丸さんの支援者になった人も少なくないのではないか。その意味で、彼らは石丸現象の立役者の一人である。無関心であるということは、攻撃よりもひどい対応であるとは衆目の一致するところだろう。要するにいじめを看過することで拡大させた人たちがこの件になにかをいう権利はないと私は思う。

 なぜ、佐藤氏やチャンネル運営者である清水氏が石丸氏にシンパシーを覚えるかについて私がどう思うかはすでに書いた。自分たちの中にあるどうしようもない男性コミュニティへの憧憬、そして、それを破壊しかねない女性への嫌悪。このようなものが彼らになかったとはこれまでの言動からとうてい思われない。それは彼らが「差別主義者」であることを意味しない。差別しているつもりもないし、実際にそういった言動をとっているわけではないから。ただ、そういった”リベラル”な方々の姿勢と朝日新聞社が男性役員ばかりでしきつめられていることは無縁ではないし、朝日新聞社が最も恐れていることは無数の”蓮舫氏”が社内に入り込んで出世し、権力を持って、自分たちの守ってきた文化を破壊する事だろう。これは、佐藤氏や一月万冊というチャンネル自体にも言えることだと思う。

 「小池百合子は魔女」「(男性を)騙す」これらがミソジニストの言動でなくてなんだというのか。しかもほとんどが憶測で言っているだけに過ぎない、はっきりいえばただの誹謗中傷だ。このような非難に小池氏が長年晒されてきたことは、想像に難くない。

 現代社会における女性は、このような無数のミソジニストによって構成されている男性コミュニティで小池氏のように「わきまえて」「柔和に」振舞うことで生き残るか、蓮舫氏のように叩かれたり無視されたりして傷つきながら生きるかの二択だ。しかも叩いてる本人たちはまるでそのことに無自覚であり社会とはそういうものであり、女性でもわきまえた女がいることから、叩かれるのは当人たちの問題だと見なし、自分たちの男性優位性を疑うことをしない。佐藤氏の50分にわたる朝日新聞社への批判、今野氏への批判の中にご自身の男性性に対する自己批判はまったくなかった。

 このような”ジャーナリスト”が女性が不快に思う事、大声で怒鳴る、物を乱暴に扱う、恥をかかせる、言葉汚く非難する(魔女、ビッチなどといった性的なものを含む)、こういったことを無反省に繰り返している。これは現状の右左のスタンスにまったく影響を受けておらず、むしろ朝日新聞社などのこれまで”リベラル”と思われた記者に顕著だ。

 私から見れば、このような男性たちこそが「権力者」「強い者」だ。佐藤氏が権力者に媚びる朝日新聞が許せないというのであれば、ご自分の言動が女性にどう映っているか、近しい女性の反応から反省する事から始めるべきであろう




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?