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そんなことある?〈黄泉返り〉


1.SNS上で突如出現

2024年8月29日、大手ソーシャルネットワークサービス『X』にて、何とも不可思議な事態が起きました。

ーー当ポストは削除済み
こちらはスクリーンショットで撮られたものです

逝去する直前には何かしらの手術、その説明を医師から受けている旨のポストを行っており(元ポスト削除済み)、その後しばらくは音沙汰が無くなっていましたが……事の顛末が、本人のアカウントを用いた父親によって報告されました。
この報告を受け、本人と親しい方、及びフォロワーの方々が彼の死を悼み、お悔やみを申し上げていたのですが……

突如として本人からこのポストが投稿されました。過多という表現すら物足りないレベルの情報を受けたせいか、大変混乱している様子が見受けられます。
ある程度状況が落ち着いたタイミングで、本人が医師から説明を受けます。

まああんたが分からんなら誰にも分からんわな。
このような状況なので、本人含めSNS上も混乱する事態となりました。
詳しい内容は以下のポストを参照していただけると幸いです。

2.事例

担当された医師は「マジで一回死んで生き返ったヤツ初めて見たわ」とコメントされていますが、実際に世界では、一度医師から死亡宣言を下された後、息を吹き返したという例が多く存在しています。

・ホンジュラスの16歳少女の例

2015年8月、南米はホンジュラス。
深夜、閑静な住宅街に、突如として銃声が鳴り響きました。
この時、トイレに行こうと目を覚ましていた16歳の少女、ネイシ・ペレスさんはこの銃声を聞き、強いパニック症状を引き起こした後に意識を失ってしまいました。ただならぬ状況に両親も起き出し、泡を吹いて倒れている娘の姿を目撃してしまいます。

「ネイシが悪霊に取り憑かれてしまった!」

信仰心が篤い両親は、地元の神父の元に娘を連れていき、悪霊祓いを行いますが容体が良くなることはなく、その後は呼吸も止まってしまい、緊急搬送されますが、搬送先の病院で死亡宣告が下されることとなりました。

ネイシさんは数ヵ月前に結婚しており、更には妊娠3か月。この訃報は多くの人々を悲しみの底に追いやり、かくしてウェディングドレス姿で棺に納められた彼女は、土とコンクリートの下に埋もれることとなりました。

しかしーー翌日。

夫のルディー・ゴンザレスさんが、墓の前に立った時に異変に気が付きます。

「墓の中から音がする!ネイシはまだ生きているんだ!」

微かに、くぐもって聞こえる棺を叩くような音と叫び声。
墓の前に立ってようやく聞こえるその音を、ルディーさんは聞いていたのです。後に合流した家族や友人達も総出で墓を破壊、棺をこじ開け、ネイシさんを救助しましたが……

「しっかりしろ!ネイシ!」

葬式が終わってから一日、狭い棺の中で必死に叫び、その蓋を叩き続けていたのでしょう。救助される頃には力尽き、意識を失っていました。壮絶な経験は、彼女のボロボロの手が伝えていました。
病院に搬送されたものの、懸命の治療も空しく、残念ながら彼女は再び死亡してしまいます。
この時のことは、以下のように推測されています。

・ネイシさんは意識を失った時に確かに心停止していたものの、てんかんに起因するものであり一時的なものに過ぎなかった。
・最初に診断した医師が判断を急ぎ過ぎたが故に、ろくに確認する間もなくすぐに死亡宣告を下されてしまった。

それ故にこのような悲劇が起きてしまったのでしょう。何事も急ぎ過ぎるのはよくないことが、よく分かりますね……。

・エクアドルの70代女性の例

2023年6月9日、ベラ・モントヤさんは脳卒中で倒れてしまい、心肺停止状態でエクアドル南西部に位置するババホヨの病院に搬送されました。心肺蘇生法による懸命な治療も空しく、ほどなくして死亡が確認されました。

「母の容体は……!?」

息子のジルベルト・バルベラさんが救急救命室に到着した頃には、既に母は事切れており、医師から死亡確認書などの書類を渡されました。
その日の内に葬式が行われることになり、ジルベルトさんは母の体が棺に納められる様子を目の当たりにし、死に目に立ち会えなかった分の余韻に浸りました。

ところがーー

「……棺の中から音がする?」

数時間後のことでした。母の体が納められた棺の中から。叩くような音が聞こえてきました。『まさか』と思い棺を開けてみると、そこには大きく息を切らした母の姿がありました。
ベラさんには元々、カタレプシー(全身が突如として硬直する症状)の気があり、恐らく診断した医師が誤って死亡宣告を下してしまったのではないかと推測されました。

この時のことは映像に残されており、世界中で大きな話題となりました。
エクアドルの保健省はより詳しい状況の調査を行うために特別委員会を結成しましたが、残念ながらその情報が公開されることがなく、その後の顛末も、一週間後にベラさんが脳梗塞で亡くなってしまったこと以外は一切分からない状態となっています。


・日本の例

日本において、死者が蘇生した実例で最も有名なのはーー
「石鐵県(せきてつけん)死刑囚蘇生事件」「田中藤作蘇生事件」です。
1871年、徳川幕府が幕を下ろしてから5年が経った時のこと。
石鐵県(当時の愛媛県)で一揆が起きました。久米郡(現在の東温市)の役所に対して放火活動を行った田中藤作は、その罪の重さから極刑に処されることとなります。

「本死刑囚には、絞首による執行を言い渡す。」

政府は死刑執行法を、明治3年より斬首から絞首刑にとって代わると布告しており、この時に囚人を柱に縛り付けた状態で、重石を付けた縄で首を締め上げるという方法で刑が執行されることとなった。
かくして刑は執行、役人によって田中の死亡が確認され、遺体に関しては引き取り手が無ければ医学のために解剖される運びとなっておりましたが……

「藤作はオラ達が育てた大事な大事な子だ、せめてその体だけでも、返してくだせえ。」

田中の親族が、遺体の引き取りを要求。かくして処刑場から田中の遺体が棺桶に入れられた状態で運ばれることとなりました。
しかし、一里(約4キロメートル)ほど進んだところで、信じられない現象が起きました。

「う、うう……ううう……!!」

棺桶の中から、突如としてうめき声が聞こえてきました。

「なんだ……?まさか……」

棺を運んでいた男達の予感は的中、蓋を開けた所、田中は生き返っていました。
この突然の事態に驚いた村人は役所に事の次第を報告。これに対して役所側はーー

「死刑は確実に執行され、また、検死作業に問題はなかった。よって直ちに戸籍を回復させるべし」

と回答。つまり刑罰に問題はなく、また蘇生したことによって再び処罰することもないとして、田中は再び農民としての生を受けることになりました。
より詳細な情報は以下のwikipediaをご参照ください。


3.そもそも死亡判定はどこから?

 第2条 死亡の判定は医師の医学的経験に基づいて行われる。

 呼吸と血液循環が完全に停止し、脳の全機能が完全に停止し、蘇生不能な状態に陥り、且つその状態が継続したとき、人は死亡したものとみなされる。

ーー『人の死に関する法律』より(訳・菱木昭八朗)

死亡判定は担当した医師によって行われ、また、脳及び心臓の機能が停止し、その状態が数時間続いた場合は死亡したと見做されるようです。
更に言えば、医師は以下の3点から死亡判定を判断すると言われています。

・呼吸の有無
・脈拍の有無
・瞳孔の反応

以上の点を踏まえた上で、手術の宣言をしたポストから訃報までにも数時間の間が存在しており、手術中に死亡(恐らくただの心停止)。
その後、医師から死亡判定が出されたものの、実際には要件には満たない時間での死亡判定であり、それを聞いた父親が早とちりし……最終的に件の蘇生事件に至るという形でしょう。
しかしながら、世の中にはこのような疑問の声もあります。

ーー脳死や植物状態はどういう扱いなのか


現在の日本において脳死とは、大脳、小脳、脳幹といった脳の機能を司る部分が全て停止した状態のことを指し、人工呼吸器を用いれば呼吸もでき、尚且つ心機能も動き続けます。故に『生きている扱い』にはなりますが、脳のみが死んだ状態であり『脳死』という形となるわけです。
しかしながら、脳は人間の体全体において極めて重要な機能。人工呼吸器が無ければいずれは心臓も止まり、やがて死に至ります。

一方で植物状態は、脳機能の内、大脳と小脳が停止し、脳幹のみが機能し続けている状態のことを指します。
起き上がることも話すこともできませんが、臓器を動かし、更には自発的に呼吸が可能な状態です。

混同されがちな脳死と植物状態ですが、最大の相違点は今後回復可能かどうか、という点です。
植物状態の場合は、自発的に呼吸している上、今後の治療次第では回復する可能性があります。
一方で脳死は、今後も回復する見込みは全くない状態であり、人工呼吸器なしでは生き長らえることは不可能であるとされています。
そして、脳死判定において一番重要なのは、本人が意思喪失前に臓器提供に関して肯定的である意思を示していたかどうかになります。

現行法上では、脳死及び植物状態の場合も死亡判定にはなり得ないものの、国によっては脳死判定=死亡判定と見做される場合もあります。臓器提供に肯定的かどうか、その一点で生死の一存が決まるのも少しやるせない気持ちがありますが……
心臓が止まった場合、臓器の機能が低下する可能性があるのも要因にある気がします。

4.最後に

死者が息を吹き返したーーその事例を実際に体験した人の中には、三途の川を見たという方や、亡くなったはずの家族に会った方もいます。

しかし、そんな人はこの世界の中でも極僅かな例です。

現在は削除されましたが、当事者の方は手術に関するポスト、及び人生に対する感謝や悲観を述べています。命が帰ってくることは基本的にはありません。それが普遍の事実です。

そして、命を失う時というのは誰にもーー本人にも想定できないタイミングでやってくる時もあります。明日は我が身、一日一日を後悔しないよう、しっかりと歩いていきたいものです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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