日本語をありがとう
1月が終わる。
ここ数年、大晦日は友人を招いて紅白を見ながら飲むのが恒例だったが、今年は家族だけで過ごし、三が日が空けてからも昼に近所で外食をすることはあっても、夜はもっぱら自宅で過ごすようになった。
緊急事態宣言の影響もあって、対面での仕事はオンラインに再び戻った。対面で会うのは家族と週3で通うジムのトレーナーだけ、時々仕事仲間や友人同士で桃鉄オンライン対戦をやっていた一ヶ月だった。
再び去年5月頃のような生活サイクルになるのかなと思った矢先、突如やってきたのが音声SNS「clubhouse」だった。
clubuhouseに関する説明は省くが、ある知人が「ジュリアナ世代ではないが、これがお立ち台かと思った」と別のSNSで評していて、言い得て妙だなと得心した。ここには見えないお立ち台が確かにあり、それがこのSNSを急速に広める理由にもなっているのだと。
意識の高いテーマや「相互フォロー」とか芸能人の駄話に食傷気味になっていた頃、付き合いの長い友人が部屋を作っていたので入った。
そこでは普段から付き合いのあるーーといっても、この状況もあって対面では数ヶ月会っていない友人や、会ったことはないがTwitterで相互にフォローしていて現在は海外に住んでいる人がいた。
お立ち台というより、おなじコタツに入って雑談するような時間が30分ほど過ぎたあたりで、その海外に住む人が「あっ!買い物に行かないと」と言ったので、それをきっかけに「じゃ、そろそろ」ということで解散する運びになった。
「じゃあ、またねー」
「おやすみー」
「おつかれさまー」
という挨拶に混じって、「日本語をありがとう!」という声がして、それが強く印象に残った。普段日本にいて、聞くことのない言葉なのもあるけれど、その一言は自分たちの間にあった距離が持つ意味を、何よりもシンプルに教えてくれたような気がした。それと同時に「いつものインターネット」のように見えた景色の先に、まだ知らない奥行きがあることに気づいた瞬間でもあった。
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