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サッカーにおける不平等や理不尽について(GKコーチ目線の随筆)

問題提起(仮説)
・サッカーは理不尽なスポーツなので普段から不平等に接したり理不尽に振る舞うほうがいいのではないか。
・GKコーチは全GKを平等に扱うのはやめたほうがいいのではないか。

結論
・GKコーチが全GKと「平等」に接すると「不公平」になるので平等ではいけない。
・GKコーチは全GKに対して「不平等」であっても「公平」に接することが大事である。
・ただ、「不平等」は選手にとって「理不尽」になるので対話が必要。
・そもそも「平等」「不平等」という言葉の存在自体に疑念がある。


0始めに

このnoteはまとまったものではなく考えがまとまる過程をまとめずに書いたnoteなので読みにくいと思います。問題提起と結論を冒頭に書いたのでそれを念頭に読まれるといいと思います。GK指導者仲間から送られきたメッセージをもとにそこそこちゃんと考えました。自分も比較的「理不尽」だと言われていた(?)高校サッカー部にいたので教員になってから断続的にこのテーマは考えてました。5年後同じ考えかはわかりませんが一度まとめます。


1問題提起と当初の見解

・サッカーは理不尽なスポーツなので普段から不平等や理不尽にしたほうがいいのではないか。
・GKコーチは全GKを平等に扱うのはやめたほうがいいのではないか。


最初、このような問いを投げかけられた時の自分の答えはこうでした。

理不尽や不平等を受け入れて最適解を見つける力をつけさせるのが指導者なので押し付けるべきでも排除すべきでもない。自然体でいいのではないか。

2問題提起の具体的な事例

 メッセージをくれたコーチは現在1種のチームで指導をしているのですが、GKによってアプローチを変えることに対して考えを整理したいということで連絡が来ました。
 例えば、
  ・同じメニューの練習のセット数だけを変える
  ・同じようなプレーに対してのコメントを変える
  ・それぞれの立場によって声かけが変わる

という様にチーム内のGKに対してアプローチに差をつけるのは不平等(良くないこと)なのか。ということでした。

3不平等とは

自分は常々
 ・人間生まれた瞬間から平等に不平等
 ・本当に平等なのは「いつか死ぬこと」だけ

だと思っています。だから不平等を受け入れることは大前提にあると思うし、理不尽に感じてもそれに対する最適解を淡々と導き出すことが大事なのではないかと思っています。なぜなら、不平等も理不尽も自分には変えられないものによってもたらされるからです。だから、自分にできることに集中することが大事なのではないかと考えました。
(もしも世の中が本当に平等なら自分もガッキーと結婚できていたはずです!なんて世の中は不平等で理不尽なのでしょう!!(笑))

4わがままとは

 昨年まで勤務していた高校の校長でサッカー部総監督の先生は物事の抽象化・言語化・定義づけがとても上手い人でした。色々な話をされましたがその中に「わがまま」の定義について話を聞ける機会がありました。

わがまま=10人がそれと同じことをしたら迷惑になること。

例えば、バス乗り場の列に割り込むのはわがままです。しかし、バスを待っている間にゴミを拾うのはわがままではありません。

自分にできることに集中するのは「わがまま」とは違うということを明確化しておきます。

5 不平等と理不尽と不公平

 人は不平等によって理不尽を感じるというところまで来て、考えが煮詰まりつつあったので視点を変えてみました。そこで「平等」に似た言葉に「公平」があることに気づきます。平等と公平(=不平等と不公平)は何が違うのか。色々考え調べる中で1枚の画像と出会います。

画像1

この写真が正しいとして自分なりに解釈するとこうなりました。

平等=手段
公平=結果

そこからさらに考えてでた一つの答えが
 ・平等が不公平になることがある
 ・不平等が公平になることもある

大事なのは「平等かどうか」ではなく「公平かどうか」なのではないかという仮説がここで立ちました。この仮説を立てて再び画像をスクロールするともう一枚興味深い画像があったので貼っておきます。

画像2

6理不尽の正体とは

平等と公平の違いがわかったことで、もう一つのワード「理不尽」について改めて考えます。

理不尽・・・道理に合わないこと、様子、態度。

監督「Aチームはスパイク履いてグランド集合、Bチームはランシューで河川敷集合!」
選手「なんであいつらだけグランド使うんだ!理不尽だ!」
選手「あいつらはお気に入りだからグランド使えるんだ!理不尽だ!」

母親「ゲームは1日1時間まで!」
子供「ろこくんの家は何時間でもやっていいって言ってた!理不尽だ!」

お客「この店で買った服に醤油をこぼしたから新しいのと変えてや!」
店員「いや、お前が悪いやん!どんだけ理不尽なクレームやねん!」

監督「お前GKのくせになんでそんなクロスもキャッチできないんだ!」
GK 「普段、足元ばっか求めてGK練習させてくれないのに!理不尽だ!」

上司「明日急遽、お得意先の接待が入ったから夜予定を空けておくように」
部下「勤務時間外に接待とかありえない!でも拒否したら…理不尽だ!」

(一般常識は置いておきます。)


 シチュエーションは無限にありますが、こんな例で伝わったでしょうか。ここで大事なのは「道理」が人によって違うということです。どうみても頭のおかしいクレーマーも、その人の中では「その人なりの道理」があるのです。自分の道理と相手の道理が合わなかった時、そして自分が損をする、ネガティブな感情を抱く、そのような時に人は「理不尽だ!」と思うのだと考えました。
 

7大事なことは

「理不尽!」と思った時に同時に理解しておきたいことは「相手は変えられない」ということです。クレーマーを納得させるのは至難の技です。その選手にとって理不尽な監督はずっと理不尽な監督です。ではどうすれば良いか。答えは簡単。自分を変えることに集中するしかないということです。自分にできることに集中するしかないんです。自分が変われば相手の評価も変わるかもしれません。もしくは環境を変えるという手段もありますよね。「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」とはよく言ったものです。
「5年前理不尽に思えた上司は今思えばありがたかった。」これは上司が変わったのではなく自分が変わったのです。

8「平等」「不平等」という言葉の違和感

 最初にも書きましたが、私は「人間、死ぬこと以外不平等」と思っていました。人種・国籍・言語・性別・身長・体重・思想etc違うことしかありません。 そこで出てきた疑問が「なぜ平等・不平等という言葉があるのだろうか」ということです。
 高校現代文ではおなじみのテーマ【言語論】で出てくることですが、言葉には何かと何かを分ける役割があります。(言葉の分節性)人は現実世界では分かれていないものを言葉で分けることによって認識します。 

例)海・湾・川  山・谷・丘
だから、「平等」「不平等」という言葉が生まれた背景が何かしらあるはずなのです。以下完全に私の想像ですが、「平等」という言葉(=概念)が生まれる以前、人間はお互いの様々な違いを受け入れながら生きていたのではないでしょうか。違うのが当たり前。そこに善悪や優劣はないのです。しかし、何かをきっかけに互いの違いを受け入れるのが難しくなりました。違うことが悪い、違うものを排除しよう。そのような違いに価値観を植え付けるようになった時「平等・不平等」という言葉が生まれたのではないかと想像します。多くの人は「平等=善」「不平等=悪」という価値観を無意識的に受け入れています。それは「平等」「不平等」という言葉そのものに善悪の価値観が載っているからです。金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」という詩を小学校で習ったのにです。
みんな違う。違うのが当たり前。そこに善も悪も優も劣もない。「違う」。ただそれだけのはずです。
みんな違ってみんないい。。。

9日本人の特徴

 これは大学の授業の記憶ですが、日本人の「察する雰囲気」は日本が外国と海によって隔絶されている地形が大きな影響を与えたとある授業で聞きました。日本人はほとんどの人が同じ人種です。宗教が原因で争いがおきることもなかなかありません。外国との戦争も日常的に起きるわけではありません。そうなってくると異質なものを受け入れにくい文化が醸成されます。強く他人に主張することが苦手な国民性もそこからきています。自分と他人は違うのが当たり前でそれを主張することや主張されること。それを受け入れることを一番学ばなければいけないのは日本人だとその教授が言っていたのを思い出します。

10結局GKコーチは・・・

話は長くなりましたがまとめです。
GKコーチとして選手に対する時に大切なのは「平等」ではなく「公平」だと思います。全員に同じ練習機会を与え同じ話をするのが大事なのではなく、全員が同じようなレベルまで上達することが大事だと思います。なぜなら、選手は全員「違う」からです。現在のレベル、VAKの特性、好きなプレー、全部違います。だから選手によってアプローチが変わるのは当然で、時に不平等になります。なぜなら選手のレベルを揃えるよう持っていかなければGKチームとして練習が成立しなくなってしまうからです。
 ただそうすると選手は「理不尽!」を感じるようになります。だから指導者は「自分の道理」を選手に説明しなければなりませんし、「選手の道理」を理解しなければなりません。そこの食い違いを放置すると選手は指導者に対する信頼を失い練習どころではなくなるでしょう。
 平等を優先すれば「試合に出るチャンスは全員にある」と言わなければなりません。しかし、全員にチャンスがあると本心から言えるでしょうか。GKほど監督が序列を覆しにくいポジションはありません。嘘は自分もGKも苦しめます。だから、平等に接することより公平に接する方が大事だと思います。全員が同じレベルまで上がるために、自チームで出れなくても次のカテゴリーや別のチームから必要とされるGKになれればいいわけで、そこを目指すのが公平なのかなと思います。そうすれば自然とGKチームとして互いを認め合い、いいトレーニングができ、切磋琢磨できるのだと思います。

11参考文献

参考文献というわけではありませんが、この話をした翌日Twitterでこのノートが回ってきました。僕らがまとめきれなかった感覚がまとまっているのでオススメです。


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