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20210117 日記17 IDOLY PRIDE 第2話の感想と川咲さくらについて考えたこと

※ネタバレにご注意下さい。

前回の続きです。

IDOLY PRIDEと俺2021

私が何故このIDOLY PRIDEにここまで肩入れしているのかというと、スフィアという声優ユニットを結成当初から追いかけ続けて来たことが、大きな理由として存在しています。

スフィアという声優ユニットは、今年で結成13年目に突入しようとしていて、女性声優としては中堅、ユニットとしてはベテランの域に達しようとしています。

ここまで活動が続くと、ここまで追いかけ続けてきたファンは、よほどのことが無い限り離れることはなくなります。

ただ、それは同時に新しいファンが生まれづらくなっていくことにも繋がっているように思いました。

かつては女性声優ユニット最速で日本武道館にたどり着き、飛ぶ鳥を落とす勢いでキャパシティを伸ばして行ったスフィアのライブでしたが、今はライブBDが発売されない公演も出てきたり、次のシングルは配信と通販限定での発売という形になったりしています。

音楽活動の充電期間を経た後、スフィアとして歌い続けることを選んでくれた4人は、必ずしも新しいファンを増やすことを一番の目的に歌ってはいないようにも思っています。

私が大好きな豊崎愛生さんが「ひとりでも耳を傾けてくれる人がいるのなら、私たちは声を出し続ける」と話してくれているように、今は、スフィアという私たちと彼女たちが想いを交わす大切な場所を少しでも長く続けるために、歌ってくれているように感じています。

俺は少しでも長くスフィアの音楽を聴いていたい。

2019年、音楽活動の充電を経て戻ってきたツアーを回りながら、自分はスフィアのために何を返せるのだろうかと、強く思い悩んでいました。

そのツアーを終えた後で、発表されたのがIDOLY PRIDEというプロジェクトだったのです。

ソロではそれぞれの個性をそれぞれの形で伸ばし、ポテンシャルの高さを見せているのに、ユニットになると、いい意味でも悪い意味でも『ランティスの音作り』に慣れてきていたスフィアの楽曲たち。

LizNoirという、IDOLY PRIDEの作品内でスフィアの4人が声を担当するユニットの楽曲を聴いて、俺は作り手としても、歌い手としても、そして聴き手としても「そういうものだ」と思っていた固定概念をブチ破ってくれる期待を確かに持つことが出来ました。

ミュージックレインが総力を挙げて、豪華な音楽陣を揃え、莫大な広告予算を使用して展開されるプロジェクト。

目論み通り、IDOLY PRIDEのプロジェクトが大成功をおさめて、ライブでLizNoirのパフォーマンスを通じてスフィアに触れる人が現れるとすれば、その魅力に気づいて、新しいファンが増えてくれるかもしれない。

また、その景色が見られるのだとすれば、俺はこのプロジェクトのことを心の底から応援したい。

プロジェクト発表当初から、そういう気持ちを勝手に乗せていたので、IDOLY PRIDEに対する感情はどんどん重たいものになっていきました。

IDOLY PRIDE第2話 ここに立つその理由

感覚的な話だけをすると、そもそもこのアニメ、そういう「戦う準備は出来ている……お前も全力でかかってこい……」という姿勢で観ることが正しくないような気がしてきました。

ここまでの違和感の原因、全部広告屋のせいな気がしてきた。

莫大な予算がかけられて「#これはただのアイドルアニメじゃない」という、あまり品を感じないハッシュタグで宣伝をしたり、アイドルという概念がやり尽くされた2021年に「これまでとは違う」(これまでって何?)ということを前面に押し出してきたので、いやが上にもアイドルアニメとしての新機軸を打ち出してくれるのを期待してしまっていた。

広告屋がオラつくので、その「真新しさ」という尺度で対面した時に、こちらが新しいものヤクザになっている気がしてきた。

アイドルのランキングシステムは「アイカツ!」で、第2話の路上ライブのくだりは「Wake Up, Girls!」で、伝説のアイドルと同じ歌声を持つ女の子は「Tokyo 7th シスターズ」でみたことがあるな~と思っていた。

幽霊の部分は新しいのかもしれないが、現状、面白いとは思うけど、アイドルアニメとしての本筋からは、外れた部分にあるなと感じている。(※アリバイは維持されてるので、イマジナリーの線は全然消えてないと思ってるが)

もしかしたら、いろんなアイドルアニメで観たことある描写をあえて踏襲して、全部吸収した上で、ブチ破ることが狙いなのかもしれませんが……。

物凄く身もふたもないことを言うと、第2話の段階で、アニメとしての演出や画の部分にあまり高い期待を求めすぎないようにした方が良いのかなという気がしてきた。

決してダメというワケではないのだけど、さっきも言った通り、勝手に心のハードルを上げ倒してしまっていて、そのハードルさえも飛び越してくれるという期待は、ちょっと重たすぎるような気がしてきました。

コレに関しては全面的に俺が悪いので、俺がもうブンブン肩を振り回すのはやめようと思います。

川咲さくらについての考察

なのでここからはトンチキな妄言として考察をお読み頂ければと思います。

第2話で本格的に物語に絡んできた「長瀬麻奈に似た歌声を持つ女の子」川咲さくら。

どうも身体が弱いことを示唆する描写があり、自分にとって大切なことや必要なことを、胸のドキドキが教えてくれると言っている。

さくら「小さい頃は、歌は得意じゃなかったんです。でもある日、こんな風に声が出るようになって」

オーディションで初めてさくらの歌声を聴いたはずの牧野は「ああ。分かってる」と意味深なことを言っていた。

そして、妹の琴乃の姿を見て逃げてしまった麻奈も「自分では(歌声が似てるか)分からない」といいながら「すごく歌声が気になる」と言っていた。

ここで、IDOLY PRIDEの相関図を思い出してみましょう。

「長瀬麻奈→💓川咲さくら」と書かれていますね。

この💓が何を意味するのかというと「心臓移植」なのではないかと推測しました。

こんなに物理的な意味で💓の矢印が向けられることあるんだ……。

奇しくも、交通事故後の臓器移植を経た共感覚性の話を最近どこかで観たな……と思ったんですけど『岸辺露伴は動かない』の第3話ですね。

牧野は、病院かどこかでさくらのことを見ていたから「ああ。分かってる」と言ったんじゃないかなと思います。

メタ的なことを言うと「神田沙也加さんと菅野真衣さんの歌声が似ている」というのを歌で表現し続けるのは、結構難しいんじゃないかと思います。

今回「似ている」という描写は、事務所の人たちや街の人たちの証言によって担保されていました。

なので、麻奈が「自分では分からない」と言っていたように「歌声そのものが似ている」のではなくて「(歌声の中にある)ハートが似ている」ということなんじゃないかなと思います。(何故なら麻奈の心臓を持つ女の子だから……)

これ本当にそうだったとして、どういう気持ちになればいいのかは分からんが……。

同時に、この説が真だとすると、やはり麻奈は牧野の中のイマジナリーフレンドである可能性が高まるのではないかという気がしています。

第2話の感じだと、麻奈の存在が、牧野の日常生活にかなり支障をきたしている気がするので、イマジナリーフレンドだと、ちょっとかわいそうになっちゃうが……。

路上ライブを見た星見市の人たち、あまりにも物語に要請された言葉しか喋らないので、めちゃくちゃ怖くなってしまった。

右のばあさんが「あなた麻奈ちゃんに似てるわね~」「あなたの歌を聴いてると、麻奈ちゃんを思い出すわ」という、物語的に言って欲しい100点満点のセリフを言い残して去って行ったので、星見市で生まれし者たちは、物語に求められる100点のセリフを残すために生まれ、そしてその使命のために、天寿を全うするのかも知れませんね……。

結局長くなっちゃった。

次回以降は、肩の力を入れすぎずに観ることを意識しようと思います。

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