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20210413 日記103 『街の上で』の感想

休み。映画を観に行きました。

1年前から楽しみにしてた今泉力哉監督の最新作。

アニメ映画を除くと、ほぼ唯一監督の名前だけで映画を観に行くレベルにまで、いつしか自分の中での存在が大きくなっている監督の一人ではある。

実は、Twitterおやすみのトリガーとなったのが、今泉監督のTwitter運用にあったりもする。

同時に、スーパーエゴサ監督でもあり、準備をせずに書いた感想をみつけられるのが怖いので「次は監督に見つかる前提で書きます」と書いていたのだけど、現在、私がTwitterにいないため、今度こそ、この感想もみつからない気がしているので好き放題に書こうと思います。

この映画、恐らく今泉監督の一つの集大成的な作品で、俺は監督の作品を全て観てきたワケではないため、現段階で分かったようなことは言えないな……という気持ちになったからです。

観客の人たちの笑うタイミングとかにノリ切れないシーンがあったのだけど、ギャグとしてどうという話ではなく(※会話劇として秀逸という感情も同時にあったため)俺の知識が至っていないタイプのノリ切れなさだったなというように感じたので、この映画を本気で語るのであれば、今泉監督の過去作を観た上で、もう一度戻ってきたいという気持ちがある。

そして、そんな状況だったとしても、大傑作であったことは間違いないなとも思った一作でもありました。

俺にとっての今泉監督、何がそんなに特別なのかといえば、どの作品にも『愛』という一貫したテーマが流れていることで、同時に、今泉監督が表現している『愛』というものは、人間の営みそのものの美しさであるように感じているからなのだと思います。

俺の中で、新作の発表があった瞬間に「きたな……」と身構えて、公開から1ヶ月は(テレビシリーズの場合は1クールは)人生を捧げるつもりでスケジュールを開けるアニメ監督が2人いて、山田尚子監督幾原邦彦監督なのだけど、俺はこの2人が共通して描いているものも『愛』だと思っている。

そして『mellow』を観たとき、その両者が描いてきた(俺がそうだと受け止めてきた)愛の形を両方とも内包しているようにすら感じるような衝撃を受けたことを覚えています。

そういう意味でも『街の上で』は、今泉監督が見つめ、そして祈ってきた『愛』の集大成のようにも感じた傑作でした。

『街の上で』は、広義のたまこまーけっとでした。(監督に見つかると書けないタイプの感想)

というものは、人の営みが集まり、誰かと誰かが出会い、そして別れ、少しずつ形を変えていく、それ自体が一つの生命なのだと思っています。

そして『愛』というテーマを描くにあたって、映画や創作物になるようなドラマチックなものではなかったとしても、そこに暮らす人が、それぞれの人生の中で、誰かと手を取りあって生きてきた証のようなものが『街』なのだと思います。

『街の上で』で描かれたのも、映画のようにドラマチックではなく、必ずしも全てが上手くいくわけでもなく、それでも、正直な気持ちを伝えるため、懸命に生きていく1人1人の姿だった。

そんな想いの一つ一つが『街』を形作っているのだということを、きっとこれまでの監督が歩んできた道をも重ねながら、きっと文字通り、ここまでの人生全てを懸けて描き切った傑作でした。

今泉監督の作品に出てくる登場人物は、みんなひどく不器用で、一歩を踏み出せないもどかしい人たちばかりだ。

そういう不器用な人たちが悩み苦しみながら一歩を踏み出す姿こそを、何よりも美しいものだと、映画を通じて肯定してくれているように思えて、フィルムを通したその眼差しに、本当に強い勇気を貰っています。

なんか感想にすると仰々しくなるのだけど、会話劇がとにかく愛おしく、それが映画の中で初めて出会った男女同士が、ただ、お互いの身の内話をするだけの長回しシーンを、退屈なものではなく、愛おしいものとして感じさせてくれてくれるものになっていたと感じる。

しかも、断片的に描かれていた全てのシーン、全てのエピソード、全ての愛が集約されていく構成になっていて、その想いの繋がりこそが街であり、愛であるのだと気付かされたのも非常に見事だった。

自分が生きている街の、そして世界の美しさをも信じさせてくれるような、愛にあふれた本当に素敵な映画でした。今年ほとんどイイ映画しか観てない気がする。


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