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20210105 日記5

どうしても日記を書こうとすると時間が遅くなってしまうな……。

日中は仕事をしていました。よく頑張ったと思う。

集中力が途絶えると、甘いものが食べたくなり、甘いものを食べると集中力が低下するという悪循環に陥っている節があるので気をつけよう。

アサルトリリィBOUQUET

最終2話を残して、年を跨いでいた『アサルトリリィBOUQUET』を観ました。

普段から、私はあんまりバトルシーンが主軸に据えられる(と思われる)作品を観てこなかった。

苦手というわけではないけど、子供の頃から戦隊モノやロボットアニメにあまり興味を示さず、おジャ魔女とかセーラームーンの方が楽しい子供だったので、根本的な何かがあるのかもしれない。

アサルトリリィも、関係性の話ではあるのだろうけど、やはり外身だけみると生死の緊張感が漂う世界観と、リリィたちのバトルシーンが見どころなのではないかという印象を覚えていた。

今年の9月、舞台に連れて行ってもらって、面白かったのだけど「アニメで観れたらもっといいだろうな」という印象を覚えたのが、このアニメを観るきっかけだった。

いや……………本当に素晴らしい作品でした。

舞台を観て感じた「アニメで観れたらもっといいだろうな」という感情は、チャームを利用したアクション、世界観の壮大さに対して、それが実際に動いている姿は、かなりの比率でコチラの想像に委ねていたのが少し惜しいようにも感じていたからだった。

ブシロードさんは、そういう2.5次元コンテンツのノウハウを強烈に持っているので、舞台は舞台でちゃんと成立していたのだけど、先行してアニメのビジュアルを持っていた方が、その想像の解像度がさらに上がるだろうなと思っていたのだ。

そして、舞台はヒュージとの戦いをメインに据えて、後半部分をほとんどノインヴェルト戦術に充てていた(しかも、舞台から溢れんばかりの人数分の個性を掘り下げながらパス回しをしていたので、脳が破裂しそうにはなった)(脳が弱すぎるのでは?)ので、当然、アニメも戦闘シーンが山場になるだろうなという感触があった。

しかし『アサルトリリィBOUQUET』で、私が最初に心射抜かれたエピソードは、第5話『ヒスイカズラ』だった。

この話、概要だけを説明してしまうと、夢結様が梨璃ちゃんへの誕生日プレゼントとして、ラムネを買いに行くだけのエピソードなのだけど「普通の女の子」としての生活を丁寧に愛らしく描いてきたことが「決戦兵器としてのリリィ」という、彼女たちの避けては通れない命題を誠実に描くことにも表裏一体となっているのが、本当に素晴らしかった。

同時に、アサルトリリィの世界観の中で『アニメ』という画を見せられる表現媒体を、そういう風に使ってくるとは思っておらず、これは思いのほか「面白い」という以上に「好き」な作品かもしれない……と感じたのだった。

また、舞台と同時に展開しているということは、キャスト個人への支持を伴うキャラクターコンテンツという背景があるため、生き死にが発生する世界観でありながら、おそらく「主要キャラクターが死ぬことは無いだろう」(※離脱があると、そのキャラクター/キャストを支持しているファンも離れていってしまう可能性が高いため)という、メタ的な緊張の緩和がジレンマだなとも思っていた。

ただ、アニメはその身近なものの死が、切実なものとして起こり得るという世界観も一柳結梨という存在を通じて描かれていた。

しかも、結梨の物語は「リリィ」「ヒュージ」の違いとは何なんなのか「人」とは何なのかという、センシティブだけど目を背けてはならないテーマとも対峙するものになっていて唸らされた。

そして最終話ですよ。最終話。

これまで、とても繊細かつ緻密に紡がれてきた11話の物語の最終話に『俺が大好きなアニメ表現』全部乗せのエピソードが来るとは思ってなくて、大きな声が出そうになった。

アルトラ級ヒュージがいる海の底に、二人で降りて行くときに「胎内回帰!」という声を発するのを必死にこらえていたけど、服が二人を包む球体になって、二人で一緒に裸(※お風呂シーンでもタオル徹底のアニメなので、規制的下着であり、実質全裸だと思ってる)で、みんなの世界に帰っていくシーンで「いや、これは流石に胎内回帰からの生まれ直しだろ!」と声が出てしまった。

二人で一つの球体の中で生まれ直すのが第12話の根底だと思っていて、ダインスレイフを手に取った美鈴様と、夢結様の手をとった梨璃という対比になっていて、同時にそれはカリスマをチャームに発現させた美鈴様と、リリィたちに発現させた梨璃の対比にも繋がっている。

その上で、美鈴様も梨璃も夢結様を愛しているからこその行動だったことは確かだった。

だから、梨璃がダインスレイフを手に取りアルトラ級ヒュージと対峙する使命を与えられた時は、夢結様が一緒にその手を取る。

ラムネ一つ買うのにも上手くいかず、遠回りをしながら、それでもひたむきに動いたその行為こそが、夢結様の梨璃への愛を伝えたように。

例え救うことが叶わなかったとしても、結梨を最後までかばい続けてくれた学園長代理の意志にこそ、感謝を示したように。

失われてしまったものに囚われるのではなく、同時に忘れるのでもなく、手を取りあって生きていくことで、その想いと意志を繋いでいくという意味での生まれ直しの表現だったのだと思う。

あと、ノインヴェルト戦術がめちゃくちゃ良かったね……。ノインヴェルト戦術が嫌いなオタクはいない。

舞台版のノインヴェルト戦術、あれはあれで良かったのだけど、正直「パス回しの間にめちゃくちゃ心情描写が入るサッカー漫画みたいだ……」と思ってちょっと面白くなってしまったのも事実だった。

第12話のノインヴェルト戦術は、これまでの11話で描いてきた全ての時間が集約されたノインヴェルト戦術だったので、スピード感がありながら、ちゃんと舞台版と同じ文脈の重みのあるノインヴェルト戦術のように感じたのが、非常に素晴らしかった。

そして、これまでの11話のサブタイトルとして置かれていたのは『花』の名前だった。

そんなリリィ一人一人の意志と想いが繋いだマギスフィアを、最終話のサブタイトルである『ブーケ』と呼ぶのだとしたら……。

あまりにも美しい構成で、涙が止まらなくなってしまった。

その上で、楓・J・ヌーベルさんが終始めちゃくちゃ良かったのを筆頭に、一柳隊のみんなに萌え萌えしたりもしていたので、愛らしくて最高のアニメーションだったなと思った。

こんなに大好きになると思っていなかったし、ブシロードさんということもあり、舞台の展開次第ではアニメ2期なども期待できるのかもしれない。

このスタッフ陣が丁寧にコトコト煮込んだ一柳隊、まだまだ観たすぎるだろ。

先述の通り、12話のノインヴェルト戦術は、これまでの11話全てが繋がったものだったので、改めて前の11話を観直して、もう一回12話に至りたいという感情が芽生えてしまった。

あと、自分が「アニメのビジュアルが先にあったら解像度が上がりそう」と感じていたのもあり、舞台版を改めて観直せるのも楽しみです。

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