ショートショート 「オアシス」

 飲み屋が何件も立ち並ぶおやじ共のオアシス街。あちこちに点在する嘔吐物を避けながら、野良猫が走り回る。掃除をするものは誰もいない。強めの雨が降ればある程度綺麗になるそうだ。自然の偉大さを教えてくれる。

 異臭が漂うオアシス。人里離れたオアシス。子供は存在すら知らない。おやじ共は、夜になるとオアシスへ集う。店の従業員もおやじばかり。花の一本すら咲いてやしない地。雑草すら、存在を辞めたらしい。

「兄ちゃん、ビールで良いかい?ほら、こっちこっち」

 初めてオアシスに足を踏み入れた。そんな俺に声を掛ける何処ぞの店の親父。裸足で嘔吐物を踏んでいるが、お構いなしだ。野良猫ですら、踏む場所を選んでいるというのに。

「おい親父!ビールくれ!」

 土曜日だからだろうか、まだ17時だというのに人が多い。

「あいよ。兄ちゃん、後でで良いから寄ってくれな。俺の店は、あの赤い壁の店だ。ここで一番綺麗な店。分かったか?じゃあ!」

 今気づいたが、このオアシスにある店には店名がない。看板1つ見当たらない。店名を付けたところで、覚えられないから意味がない、という事だろうか?そう言われれば納得する。既に、ゴミ置場は泥酔者のホテルと化していた。

 カラスの鳴き声は、夕焼け空によく似合う。今日ばかりはカラスの鳴き声が『ばぁ~か~』と聞こえた。ほぼ目の前を一瞬縦に横切った白い液状。肥溜めの地によく似合う。

 こんな場所で綺麗なものを拝むことが出来るとは思わなかった。空が、地を写し出す鏡でなくて本当に良かったと思う。そして、この地に集うような者にも平等に表情を見せてくれる。真っ赤な夕焼け空を見て、自然の一視同仁の心に感謝した。

「おぉ~、見てみろ。空が梅酒の色してやがる!」

「今日の1杯目は梅酒といきますか!」

「あちゃ~、梅酒用意しときゃ良かったな」

「丁度良かった、俺んの店梅酒山ほど置いてんだ!おーい、空さんよ!それ以上黒くならねぇように日焼け止め塗っとけよ!ははは!」

 自然を見てそれをどう感じとるか、それは人それぞれだ。人の感性を否定するつもりはない。ただ、『ばぁ~か~』とこのオアシスを罵倒するあの集団に混ざりたい、そう思った。

 ビールジョッキに梅酒を入れて、店からゾロゾロと出てくるおやじ共。目的は、言うまでもなく夕焼け空だった。どうやら、夕焼け見梅酒は梅酒の大海に潜った様な感覚になり、気持ち良く酔えるらしい。肴も無しに、魚の居ない海を仰ぎ、梅酒を喰らう。あちらこちらから聞こえてくる地面を打つ様な音は、このオアシスが梅酒と胃液の海になりかけていることを示していた。夕焼け空、つまり明日は晴れの可能性が高い。雨でこの池の集落が流されないと考えると、あの野良猫が気の毒でならなかった。そして、この臭いはどこまで届くのか。街にたどり着く前に消え去るのを願うばかりだ。

「あ!さっきの兄ちゃんじゃねーか。どの店入るか決めてねーのか?だったらうちに来な!皆梅酒梅酒うるせーけど、あんなのに惑わされんなよ!梅酒が旨い時間なんか一瞬だ。うちには色んなビール置いてっから。さぁ、こっちこっち」

 こればかりは、おやじのいう通りかもしれなかった。どこぞのおやじの願いは虚しく、空は黒を彩り始めている。ただ、おやじ共は梅酒の大海で溺れてしまったようだ。読んで字の如し浴びる様に梅酒を飲む。ゴミ置場ホテルは、既に満室となっていた。

「さぁさぁ!ビール冷えてるよ!あの黒い壁の店が俺の店だ。さっきも言ったけど、ここで1番綺麗な店!」

 この時期には珍しく夏日を記録した今日。生暖かい汚物のせいもあってか、じっとりした空気が気持ち悪い。喉の乾きが、ひときわ目立ち始める。無理矢理手を引かれるが、抵抗することはしなかった。酔っぱらいに先導される屈辱を噛み締める。店に入る直前、壁の色が赤でも、黒でもなく白であることに気づいた。おやじの後頭部を睨み、鼻で笑う。

「はいどうぞ!オススメのビールだよ!」

 入店してすぐビールジョッキが手渡される。不覚にも、ビールという名の生ぬるい梅酒を1口飲んでしまった瞬間、このオアシスの永住権を手にしてしまったような気がした。

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