見出し画像

180619多国籍ルーツを持つ子どもたちへの支援団体「ワールドキッズコミュニティ」①

4/18(水)に実施したゆめ·まちヒアリング(公開取材)報告第1弾!

(阪急阪神 ゆめ・まちソーシャルラボからの転載)

【ゆめ・まちソーシャルラボVol.18】ワールドキッズコミュニティへのヒアリング①

――本日のゲストは、ワールドキッズコミュニティの村上さんです。

よろしくお願いします。

――まずは団体のご紹介をお願いいたします。

ワールドキッズコミュニティは、神戸市長田区の鷹取にある、カトリックたかとり教会の敷地内にて、阪神淡路大震災の時の救援基地が設けられたことが始まりになります。

震災以降も同じ敷地で、多文化共生支援の団体がたくさん拠点に置きながら活動をしていて、ワールドキッズコミュニティは、たかとりコミュニティセンターの中の一団体という位置づけです。外国に関わるこども達が、自分らしさを維持しながら成長できる環境を作るための団体で、1999年から活動しています。

――1999年といえば、震災後ですね。

はい。震災のときはやらなければならないことが多くありました。例えば非常時の救援活動、救援時の社会的課題をなくしていけるようなまちづくりなど。ちょうど制度設計が始まった時期でしたね。

――ワールドキッズコミュニティの活動を具体的にお教え下さい。

1つは、「外国にルーツのあるこども達が日本社会の中で気後れせず暮らしていける啓発活動」です。あとは、「こども達自身の居場所づくり・表現活動」。こども達が安心して成長していくために、家でも学校でもなく、「自分らしく過ごせる場所」を、というのが目的ですね。

活動は、こども達による映像制作などの表現活動(「Re:C」―レック―)から始めたのですが、最初から映像作りをしたい子が多いわけではなかったんです。だから、まずはこども達が自由に出入りできる居場所を作り、その中で映像作りに興味をもってもらえれば…という流れでした。

外国人のこどもサポートは、たかとりコミュニティセンター内の他団体もやっていたので、連携しながらやっていき、お互いのバックアップもできるなと。

――活動は神戸市長田区中心ですが、なぜ長田区にはなぜ外国人が多いのでしょうか。

長田区は下町でして、古くは朝鮮半島から日本にきた方々がその土地で仕事をするようになり、居住するようになった…というその中で、ゴム産業やシューズ産業が盛んになっていったんです。いわば街を発展させていったのが、在日コリアンの方々ということですね。

――そういった産業は、いつぐらいからあるのでしょう?

震災前までは上り調子だったんです。特に60年台、70年代は街自体に活気が溢れていました。例えば、今、高齢の方でも下着1枚を仕立てに出されていたような裕福な時代もあったんですよ。

60年代から70年代に、インドシナからの難民を受け入れていなかった日本が、国際的な視点から受け入れを決めた頃、その拠点が姫路の方にあったんです。難民の方々はそこで3ヶ月程度の日本語の勉強をした上で居住許可をもらうんですね。

ただ、3ヶ月程度の勉強では挨拶程度です。それでもなんとか仕事を探さねばならない。

そこでその雇先として受け入れたのが長田だったんです。

では、なぜ雇うようになったのか?と疑問に思われますよね。たとえば日本人の社長ならば「言葉もできないのに雇用は…」と二の足を踏むかもしれないのですが、先代が起業した在日2世の社長であれば、「うちの親父と同じや。困っている状況はよくわかる。この人は働くで!」と自身の親と同じ境遇を共感して受け入れが広がったんです。

長田は、ベトナムの人に優しくとっても住みやすい街。長田の人口は10万人ですが、今では外国にルーツのある方は人口の10%程度います。その内訳は、コリアンが7割、ベトナムが2割から3割くらいですね。

(つづく)

「福祉と組めば、上手くいく!」をテーマに、【障がい者福祉】では【伝統工芸、都市農業、空き家問題など】の新しい協働を。まちづくり、教育など、人口減少時代の課題解決に取り組んでいる。