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ART-SCHOOL(木下理樹)について語りたい

大学卒業を間近に控え、社会人になっても続けられる趣味が欲しいなぁと思い、noteを書き始めることにした。記念すべき最初の記事にはどんなテーマがふさしいのか悩み抜いた末、かの有名な国民的大人気日本初オルタナティブロックバンドであるART-SCHOOLについて書くことにした。

常日頃Twitterでウザイぐらい必死に啓蒙活動を行っているのだが、一向にファンが増えてくれないのでこの記事を機会に彼らの音楽に触れてもらえると嬉しい。

出会い

私がART-SCHOOL、もとい木下理樹と出会ったのは、2017年の秋、私が大学2年生の時である。

当時の私(今もだが)は、生粋の細美武士ヲタであった。ELLEGARDEN、the HIATUSと続きMONOEYESに入れ込んでいた私は、夏休みに同じ細美ヲタの友人を引き連れZepp Sapporoまでライブを観に行った。そこで輪をかけてMONOEYES愛を拗らせた私は、帰京してすぐにウィキで MONOEYESの記事を読み、その時にメンバーである戸高賢史の名の横に連なる「ART-SCHOOL」という単語を目にしたのである。 

直訳すると「芸術の学校」。さぞかし高尚なバンドなのだろうと興味を持った私は、ネットに転がっていたライブ映像を観た。 

(ライブの動画はなぜか埋め込めなかった...)

愕然とした。

きのこヘアーでフライングVを掻き鳴らすそのボーカルは、絶望的に歌が下手くそだったのである。よく恥ずかしげもなく「芸術の学校」なんて名乗れたものである。名前負けもいいところだ。向井秀徳に「もっと腹から声出せ」と言われたという伝説を持つそのボーカルの歌声は、あまりに下手くそで、弱々しく、そして繊細だったのである。

歌声だけではない。メロディ、歌詞も陰湿で切ない雰囲気を纏っており、私が今まで出会ったことのないタイプだった。その奇妙な雰囲気に惹かれた私は、気がつけば2時間ほど動画を鑑賞していた。

自称「NIRVANAの再来」

私は所謂「メンヘラ」というジャンルに属する人間である。今はそうでもないが、高校生の頃なんかは本当に酷かった。本気で死のうと思っていた時期があったし、その事で親を学校に呼ばれたこともある。些細な事で傷つき、辛いことがあれば何日間も引きこもる。当時付き合っていた彼女に依存しすぎて「もう付き合ってられない」と言われ振られた事もある。

付け加えるなら「陰キャ」でもある。3年生でゼミに入るまでは、私の周りには"孤独"の二字が常に付きまとっていた。1人で大学へ行き、1人で講義を受ける。1人で飯を食い、1人でタバコを吸って1人で帰る。1日を通して他人と会話をしないこともザラ。グループで談笑しながらキャンパス内を歩く茶髪のEXILEみたいな奴らに対し「群れないと何も出来ないカス共が」と歪んだ憎悪を向け、カップルなんか見かけようものなら嫉妬で憤死しそうになる。そんなどうしようもない日々を送っていた。 

そんな自分に、彼らの音楽は刺さりすぎた。ひたすら後ろ向きで、「愛にできることなんか1つもないよ」とでも言いたげな歌詞。「両性具有の女神」なんてフレーズ、どんな生活を送っていたら浮かんでくるのだろうか、不思議である。決して上手くはないが、美しく哀しい雰囲気を帯びたギターの音色。「サッドマシーン」のイントロなんか最高である。高音はかすれて出せないが中性的で儚げなボーカルの歌声。圧倒的きのこヘアー。早口でボソボソとしたMC。意味不明なPV。


すっかりアートの虜になってしまった私は、例の如くウィキで調べ上げた結果、「木下理樹」にたどり着いた。

愛すべきヘタレ

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イケメンすぎだろ!!!

他の写真も見た感じ、恐らくこれは奇跡の1枚なのだが、それにしても良い。この世の全てに悲観しているかのような目元なんか最高である。「かっこいい」というより「美しい」の言葉の方が似合う彼の魅力は、外見ではなくむしろその性格にあった。

子供の頃から映画と洋楽に強い興味を示しており、彼の作る音楽も名画に影響を受けているものが多い。Smells like teen spiritに感銘を受けるというベタな厨二ルートも無事通過した彼は、18歳から5年間ほど引きこもり、親の仕送りだけで生活していたらしい。ティッシュ配りのバイトには落ち、ピザ屋のバイトは3日目にして「このままだと死んでしまう」と思い道端に捨ててそのままバックれたエピソードは古事記にも描かれている。邦ロック界を震撼させた「アイコンセクシー乗っ取ったやつやめて」事件は皆さんの記憶に新しいところではないだろうか?
mixiではエゴサを繰り返し、魔法のiらんどでは「皆殺しのキキ」なる珍妙なオリジナル小説(しかも未完)を書く彼のよう人間を世間ではなんと呼ぶか。

そう、彼は紛うことなき社会不適合者なのだ。 

僕らはみんな独りだ

そんな彼の一面を知った私はますますアートのことが好きになった。私が思春期からずっと抱えていた心のモヤモヤを、彼らが代わりに音楽として表現してくれている、そんな気がした。
私がここまで彼に酔心するその最たる理由は、彼が「人と深く付き合うことがとにかく下手なせいで愛に飢えてる悲しい陰キャたちの味方」だと感じたからである。

私は昨年の夏に就活をしたのだが、そこで強く感じたことは「スキルのない人間はコミュ力がないと詰む」ということである。
ITや語学のスキルがある人は別として、私のようになんの専門性もスキルもない人間が組織に所属するためには、他者と良好な関係を築くためのコミュ力を持っていることが必須なのである。幸いにも私の年は「空前絶後の超絶怒涛の売り手市場」だったためなんとか乗りきれたが、もし違う時代に生まれていたら本当に社会から爪弾きにされていただろう。

そんな社会で苦しみもがく私たちに対し、アートは「ぼっちでもいいんじゃないの?愛されなくてもいいんじゃないの?俺たちがついてるぜ」と言ってくれているように感じる。だから私はART-SCHOOLが大好きなんだ。

私はまだまだニワカ

ここまでアツく語ってきた私だが、実は私はまだまだニワカである。アートはとにかく曲が多い。数えたことはないが軽く100曲は超えているのではないだろうか。だからこそ面白い。

昨年の秋、私は彼女に振られた。久々に他者からはっきり拒絶された私は酷く落ち込んだ。電気もつけないで真っ暗な部屋で独り、RADの有心論やHIATUSのinsomniaなどの定番鬱ソングをひたすら聴いたあと、シャッフル再生でアートを聴いていた。シャッフルすると、今まで聴いたことの無かった曲に出会うことができ、新鮮な気持ちになる。「なんかこの曲好きだなぁ」という曲に出会えると、それだけでその日1日だけはいい気持ちで過ごすことが出来た。ちなみにその時出会った「SWAN DIVE」は、トップレベルで私のお気に入りである。アートでたまにある「何となく優しい曲」なのだが、ギターが最高なので是非聴いて欲しい。


恐らく20代のうちはアートを聴き続けるだろうが、30代、40代になったら分からない。人は良くも悪くも大人になるからだ。あんなに憎んでいた社会にもいい感じに溶け込んで、いい感じにゆるゆる生きてるかもしれない。それはそれでいいのかもしれないが、出来れば私は、結婚したとしても、子供ができたとしても、嫁や子供と一緒にART-SCHOOLを聴きながら「やっぱ世の中ってクソだわ」とTwitterで吐き捨てるような大人でいたい。

木下理樹の体調が早く良くなりますように。

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