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反出生主義という危険思想

はじめに

 近年ではSNS上でも反出生主義という言葉をよく見るようになりました。そしてそれについて反論する人も。
 そうしていつからかこの主義は「(〇〇な)人が嫌い」だったり「自分が苦しんできたからこの世界が憎い」という優生思想や厭世主義、あと人間不信みたいなのと混同している人達が反出生主義者を名乗りだしたから、なんか訳わかんないヘイト集め集団となりました(´・ω・`)

・反出生主義とは
・彼らの主張と、なぜ思想に共感している人が増えているのか
・反出生主義は最終的に何を目的としているのか

 そういう訳でこのnoteでは現代の反出生主義ついて以上の3つを、初めて聞いた人にも分かりやすく解説したいと思います。

結論

 ちなみにぼくも反出生主義者ですが、”反出生主義者は絶滅すべき”だと考えています。これは一部の過激な方とかじゃなくて、あまねく全ての反出生主義者が消えてなくなる方がいいと思っています。
 その理由は後ほどお伝えします。まずは反出生主義とは何かを見ていきましょう。

反出生主義とは①現代のメインストリームから知る

 この主義は文字通り出生に反対するという思想です。

・すべての人間は生まれない方が良かった(誕生否定)
・すべての人間は子どもを産むべきではない(出産否定)

 この二つが合わさったものが現代における反出生主義の基本的な主張になります。

 ……この段階で嫌悪感を抱いてしまう方もいるかもしれません。ぼくもです。笑
 しかし人間は事象について正しく理解することで、嫌悪感や恐怖心、怒りというものは消し去ることができます。一緒に頑張りましょう!

反出生主義とは②ジャンル別に見る

 実はこの思想自体は紀元前からあったりします(仏教の原始仏典が有名)。とりわけ「誕生否定」というテーマについては多く議論されてきました。
 しかし現代である21世紀に入ると、「誕生否定」となんか似た雰囲気のそれっぽい考え方も一緒くたにして『反出生主義』と呼ぶようになったのです。

 ただしこれには大きな問題がありました。それはまとめられたジャンルを見て貰えればわかると思います。それがこちらです。

1「誕生否定」すなわち「人間が生まれてきたことを否定する思想」
①人間が生まれてきたことを否定する思想 ★
②自分が生まれてきたことを否定する思想

2「出産否定」すなわち「人間を新たに生み出すことを否定する思想」
(派生として「生殖否定」「反生殖主義」「無生殖主義」)

 このように二種類のジャンルに大別した後に細分化されます。しかしこれがヤベェんすよ。パッと見では似てるけど、実は全然違う思想がくっついちゃってるー(´;ω;`)!って感じです。

 1-①では人間が生まれてきたこと自体を否定する思想に対して、1-②では『他人は知らんが、俺は生まれてこない方が良かった』という自省的な考え方になります。これって全く違いますよね( ˘•ω•˘ )

 ちなみにぼくは2の「出産否定」を自分にのみゆるーく課しています。具体的には『生まれてくる子が幸せにならない要因が自分や周りの環境にある場合、子を産まない(産ませない)ようにする』というものです。

 なおこの考え方についてはヴェターとナーベソン『負の功利主義』という”幸福を最大化するのではなく苦痛を最小化しよう”とする思想の中で、すごく腑に落ちた決定倫理的テーブルというのがWikipediaにあったため置いておきます。

倫理テーブル

 上の表にあるように負の功利主義では、子を出生させない事で親としての倫理的責任(守るべき秩序)は履行されるとし、”子供は出生させるべきではない”と結論付けています。

彼らの主張と、なぜ思想に共感している人が増えているのか

 反出生主義者の多くは”苦痛回避論”に共感していると言われています。『生きていれば苦痛を感じる。逆を言えば生まれてこなければ苦痛がない』という考え方です。もちろんこれには反論がたくさん出ています。その代表例がこちら。

「人生には苦しみもあるけど、喜びだってあるじゃないか」

 ド正論すぎる意見です。ただこれに対して反出生主義にはある回答を用意してあります。「快楽と苦痛の非対称性」という論理です。そしてそれは”誕生害悪論”という基本的に人間は生まれてこない方が良かったという主張を補強することになります。

 この理論を世に推し出したので有名なのが、哲学科の教授であるデイヴィット・ベネター氏です。氏は2006年に出版した著書『生まれてこない方が良かった―存在してしまうことの害悪』で、はじめに基本的に人間は生まれてこない方が良かったと主張し、その根拠として「快楽と苦痛の非対称性」という論証を行います。
 そうして氏は”人類は絶滅すべきだ”と結論付けました。

 その根拠となる「快楽と苦痛の非対称性」を要約をすると以下のようになります。

反出生

①苦痛が存在しているのは悪い
②快楽が存在しているのは良い
③苦痛が存在していないことは良い。たとえ苦痛の良さを享受している人がいなくとも(苦痛が存在しないことは)良い
④快楽が存在していないことは、それを剥奪する人がいない場合に限り悪くない

 氏は人間にとって"良い"と"悪い"の本質がそれぞれ「快楽」と「苦痛」であるとします。
 そして「苦痛」がないことは良いことであるが、「快楽」がないことは悪くないという『非対称性』があるとしました。これを「快楽と苦痛の非対称性」と言います。
快楽がないことは悪くないなら、初めから生まれない(苦痛がない)方が幸福じゃないかという指摘となります。

 なおこの論証の長所は、快楽と苦痛の本性そのものを分析することで、先験的に「生まれてこない方が良かった」ということを基礎づけられる点にあります。
 こうして氏は『基本的に人間は生まれてこない方が良かった(誕生害悪論)』ことを論理的に示しました。

 反出生主義の中では「人生には苦しみもあるけど、喜びだってあるじゃないか」という反論に対して、まず対比したり量的に見ることがおかしンだわ。そもそもの前提が狂ってるってことに気付いてくれや。と回答しているのです。

反出生主義は最終的に何を目的としているのか

 ベネター氏は著書の中で、段階的に人類を絶滅させるための政策を考案しています。
 これは哲学界のみならず民衆の間で大きな反響を呼びました。その影響を受けて2016年1月にイギリスでは『反出生主義の党(The Anti Natalist Party)』という氏が考案した、段階的に人類を絶滅させることを公約に掲げた政党が正式に発足され、現在も活動しています。


 ────ここまでの説明で、まるで危険な思想が形を持ってしまったかのような焦燥感に襲われた方もいるかもしれません。
 ただ決して勘違いしないでほしいのは、ベネター氏は今を生きている人の自殺や虐殺は全く望んでいないということ。また本の最後に彼は『人間が好き』だと言っているのです。

 全ては氏の慈しみと深い愛から”人類は絶滅すべき”と考えたことが伺えますね。

 また氏曰く、既に生まれてしまった人間は手遅れであり「しょうがない」。せめて生きる上での苦痛を減らす努力をすべきとしています。

 これが現代の反出生主義のコアになる理論でした。

絶滅すべきは人類か、反出生主義者か(個人的な意見)

 ここからは個人的な意見となります。
 ……みなさんはベネター氏の「人類は絶滅すべき」だと言われて納得できましたか? 権威ある人間が論理付けることで、反出生主義は”正しかった”と本当に言えるのでしょうか? ぼくにはこの独善的な押し付けこそまさに、危険な思想だと思います。

 ここではじめに言った”反出生主義者は絶滅すべき”理由を説明します。もったいぶってきたものの中身は単純です。

『もしも人類は生まれながらに幸福になると”約束”されているならば、生まれない事こそが当人にとって損失となり、生まれる事が利益となる』ということです。

 要するに、生まれた方が絶対コスパ良いじゃん!的な社会を作れたら、そこでは人を生ませない理由がないのです。
 そうなれば反出生主義者そのものが必要がなくなるのではないでしょうか。

 願うならぼくはみなさんと一緒に、「反出生主義なんていう悲しい思想が昔はあったね。でも今はもう大丈夫だね」と笑い合えるような、反出生主義者が”結果的”に絶滅した明るい未来をつくることを望んでいるのです。それは例えぼくらの世代では実現出来なくともです。

 そうは言ったものの、今のところぼくは人生を振り返った時「生まれてきて得た苦痛 > 生まれてきて得た快楽」だと感じているから仕方なく反出生主義という思想を掲げています……。というかほとんどの反出生主義者は、この不等式を抱えていると思われます。

 ですが、もしこれを読んでくれているみなさんがぼくとは逆に「生まれてきて良かったー! もし子供が生まれても、自分が育てれば絶対幸せになるぞー!」と思えるのなら、それはとっても喜ばしいしぼくも嬉しいです……‪(´,,・ω・,,`)‬♡ 

現実の問題点

 ぼくの主張に対して「それは理想論ではないか?」「どうやったらそんな未来を作れるのか?」という話になると思います。ただこれ実は個人が怒りや悲しみの声を上げる必要なんてないんですよね。
 だってもう既に世界は良くなっていってるんですから。

推移指数

 20年前と比べて日本だけではなく、世界の犯罪率は減り続け毎日の食事に困るレベルの極貧層も減少しています(相対的貧困率は世界中で増えていますが)。それに女性や子供は誰だって教育を受けられる社会になり、医療についても様々な病気や障害について解明していくことで理解し対応できるようになっています。

 他にも環境的な問題にだって、今まで知らんぷりを決め込んできたけれど学者さんたちが論文を発表して根拠が増すにつれて対策を考えるようになりました。今話題のSDGsが最たる例です。ただSDGsウォッシュについては監査が必要だと思いますが……。

 反出生主義の人たちに理解してもらいたいのは、人類の未来が暗いなんてこと決してないんです。人間は記録することで未来に情報を遺します。そうしてぼくらは過去から学ぶことができるので、知識を堆積することで少しづつ前進しているのです。
 っていうか100年前まで遡ったら日本なんてずっと、下手すりゃ人権すらままならなかった国なのにマジすごい進歩ですよ。

 要は歴史を見ればわかることで、人類全員がいきなり賢い人に変わるなんて無理なんだから目の前の出来ることをやっていって、ゆっくり変わっていけばいいだけということです。

おわりに

 みなさんには主義や思想というテーマを話し合う時、必ず前提に置いてほしいことがあります。それはどんな主義思想でも『誰かを幸せにするために生まれてくる』ということ。

 デイヴィット・ベネター氏の”人類は絶滅すべき”という主張は『人間が好き』だからこそ人類の最大限の幸福を追求した結果だったんです。
 この行為自体を善や悪で語ることはできないし、誰にも否定はできない。

 ただ、ぼくはその結論に至るにはまだ待ってくれないかと言いたいのです。だって前述したように、少なくとも人間社会はこんなにも良くなっているんだから。

 ぼくはこう思います。氏の言う通りきっと「苦痛と快楽の非対称性」は正しいし、既に生まれてしまった人間は「しょうがない」のでしょう。
 しかしだからこそぼくら苦しみを知っている人達が、新しく生まれてきた人間は最大限の幸福になれるよう願えばいいのではないかと。

 ここで言う願いというのは他力本願の事ではありません。人は祈り願うことでやがて実現するための行動をしてきました。雨よ降れという祈祷が「雨じゃなくて水なら何でもいい」という願いになりやがてダムを考え生み出したのが人類です。

 ……500万年前に自然発生した人類。そんな彼らに、ようやく産まれてきた意味を、ぼくらが後付けしてやるんですよ。
 あなたは自分と”誰か”を幸せにするために生まれてきたんだと。

 子どもを作った人も作らなかった人も、これから産まれてくる人も既に死んでしまった人も、またこれから死んでいくぼくらにも。あなたが産まれてきてくれたおかげでここまで人類は繋いでこられたと。今これだけ人間は成長できたんだと。
 地球上に産まれてきた全ての人間には意味があったのだと、ぼくらは肯定してやることが出来るんです。

 この、自分だけではなく誰かの幸福を願う”祈り”が途切れない限り、そうして人類が絶滅しない限り、必ず人と人が大きくしてきた『社会』はもっと良くなっていくとぼくには確信があります。それについてはまた別の機会に書きたいと思います。

 ここまで読んでくれて本当にありがとうございました。
 そしてぼくは、また他の誰かを幸せにするだろうあなたの主義思想を聞きたいと思っています!

 書いた時はぜひ教えてください。楽しみに待ってます。

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