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〈わけわからない〉と〈不安〉—『骨の髄』と地下鉄日記—

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〈わけわからない〉と〈不安〉 —『骨の髄』と『地下鉄日記』—(第4回・了)

〈わけわからない〉と〈不安〉 —『骨の髄』と『地下鉄日記』—(第4回・了)

『東京』と『骨の髄』
 『東京 都市の闇を幻視する』は写真家・内藤正敏にとって『婆バクハツ!』と並ぶ代表作のひとつである.写真集は1985年に刊行されたが,撮影を開始したのは1970年からだ.それまで内藤は山形県庄内地方や青森県の恐山付近に棲む婆たちをストロボを用いて撮影した.そして,撮影場所を農村から都市へ移行するように東京を撮り始めたが.内藤が被写体にしたのは夜と地下という東京の闇の世界だった

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〈わけわからない〉と〈不安〉 —『骨の髄』と『地下鉄日記』—(第3回)

〈わけわからない〉と〈不安〉 —『骨の髄』と『地下鉄日記』—(第3回)

まつりごと 「骨の髄」で撮影された「竹うち」の写真を見て,「全共闘たちの学生運動みたいだな」と当時を知る人が言っていたのを聞いた.ヘルメットを被り,竹竿(あの運動のときは角材)を手にして対抗する光景からそう連想されるのはもっともかもしれない.
 祭りは集団で行う.デモなどの政治運動も集団となって訴える.ここで想起されるのが「まつりごと」という言葉だ.漢字にすると「祭りごと」あるいは「政」もしくは「

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〈わけわからない〉と〈不安〉 —『骨の髄』と『地下鉄日記』—(第2回)

〈わけわからない〉と〈不安〉 —『骨の髄』と『地下鉄日記』—(第2回)

 あの日の記憶を振り返る.
 1995年3月20日.その日の天気は快晴で,春の陽気が感じられる穏やかな日だった.その頃,私はアルバイトとして神田神保町で働いていた.20歳のフリーターだった.書籍の取次店にいつものように出社し,いつものように本の仕分けをしていた.変哲もない日だ.午前がそろそろ終わりに近づく頃だったか,サイレンの音が遠くから聞こえてきた.その音がいくつも重なり,何か異様な雰囲気が伝わ

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〈わけわからない〉と〈不安〉 —『骨の髄』と『地下鉄日記』—(第1回)

〈わけわからない〉と〈不安〉 —『骨の髄』と『地下鉄日記』—(第1回)

 2020年3月に甲斐啓二郎の『骨の髄』(新宿書房)が,4月に村上仁一の『地下鉄日記』(roshin books)が刊行された.これを書いている現在(2020年4月),世界はコロナウイルス禍により生活に多大な影響を受けている.私も例外ではない.仕事をなくし,家にいて出来ることは,文章を書くことと,たまにデザインの仕事を受けるぐらいである.そんな渦中で二人の作品集が出版された.『地下鉄日記』は東京都

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