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5月15日、国会答弁の後の日記

ものすごく文章が書ける最近。ううん、というか、物語が書ける。現実に悩みが無ければ物語が書けるのだと思い込んでたけど、そうではなくて、むしろ現実が八方詰まり、でもそれを打破するんだという強い意志があるときだけ、物語が書けるのだ。

ちなみに、心が疲れているときは詩しか書けない。前後関係なし、今思いついた言葉を書き留めることしかできない。でもそれだって、あまりにはっきりとした意志があるときは思いついたりしないものなので、仕方がないよね。

なお、文章は書けない。困ったなあ。

今かんがえていること。
なんか、男女の恋愛モノを書くといやおうがなしに、こういう男をえらべよ!ってメッセージになってしまう。もしくは、こういうシチュエーションでも恋愛はうまくいきますよ!みたいな。んなわけね~だろ、これはファンタジーだよ!と、各シーンで言っていかないと、人間は何かを信じて生きていく生き物だから、信じられてしまう。困った。わたしはまちがったことを書いたりしたくない。

どんな文章でもそうだけれど、はっきりとした結論があって書くんじゃなくて、書いているあいだに結論がはっきりみえる……という感じだから、なかなか書きあがらなくてしんどいな~と思ったりする。

はっきりとした結論を持てばいいじゃんと思うかもしれないけど、そうすると文章はただの説明文になってしまう。わたしが書きたいのは、説明文よりも、もう少し幅の広いものなのだ。

こうして書けないなあとうなっていると、過去の嫌なことを思い出してしまったりする。
ありがたくて大好きだったけど、マジで真剣に人付き合いしてたけど、ちょっと燃え尽きちゃって、どう関わればいいのかわからないし、できたらもう関わりたくない枠。というのがわたしの中にあって、わたしも誰かのその枠に入ってるんだろうなと思う。

でも、他人のことなんて本質的にはわからないからね。別にいいか、とつぶやいて、またパソコンに戻る。

今日の国会答弁、与党の態度は最悪だった。野党の質問に答えず、論点をずらしたことを何度も繰り返す。そうして時間稼ぎをする。質問に答えない。これが≪真摯な態度≫なのか、わたしはたずねたい。

だけど感動的なこともあって。答弁の間ずーっと、国会の前でデモをされている方たちの声が、画面を通して聞こえてきた。換気のために開けていた窓から入ってきているのだという。

後藤議員が「森大臣、この声が聞こえますか?これが国民の声なんですよ。」と言った瞬間、涙が出てしまった。

世の中に、わたしと同じ気持ちの人がいて、わたしにはできないことをしてくれてる人がいる。一人じゃない。一人じゃないんだよ。

信じる力を忘れない、と、かつて自分の作品のセリフで書いたけど、本当に、信じる力を忘れてはいけないよ、自分。あきらめずに、ずーっと声を上げ続けるんだよ。一人じゃないんだからね。大丈夫なんだよ。

垂れる稲穂かな、という気持ちでやってきたけど、生きてるだけで実ってんだし、背筋を伸ばして生きていきたいな。

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