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必然が足らない:11日目

今書いている文章が、当初自分が思っていたよりも大変なものであったことに気がつき、七転八倒している。正確には、変な時間まで寝て、ばかみたいに食べて、そのあと変な時間まで机に向かってる。今日食べたもの、カレーラーメン、クノールのスープ、しじみとこんぶの甘辛いやつ、甘酢のかかった唐揚げ、ごはん、お味噌汁、それからチョコレート。それでもまだまだ食べられる。こんなに食欲が出たのは久しぶりで、まるで思春期の頃のような食い意地にかなり引いている。せっかく落とした体重もまた戻ってしまうかもしれない。それはちょっと、いやかなり悲しいので、なんとか食い止めたい。

『また劇場で会いましょう』のために文章を書く。なん1000字か書いていると、思いのほか良いものが混ざるようになる。すると「あ、これは連載で使おう」となり、更新分から取り下げる。結果、なかなか完成した文章にまでたどりつかない。たくさんの良い文章というのが、どんどん溜まって堆積してゆく。その一つ一つはすばらしくとも、お互いをつなぐ文脈が見つけられないので、なんだかバラバラとしたまま、所在なさげにWordの中にたたずんでいる。

テーマ、テーマ、テーマと口に出す。テーマはある。しっかりとある。無いのは文脈。つまり、ぼんやりとした言葉で言い表した気になっていたテーマは実はテーマなんかじゃないってこと。必然、必然が足らない。わたしの中でなぜそうなるのかの必然。できたら人に開示できて、かつ納得してもらえるような、必然。

世の中で大変なことが起こっても、「自分が考えてる文章が書けない!」と泣いたり苦しんだり打ちのめされたりする間だけは、自分が誰にも関与されずに生きているソリッドな存在な気がしてとても嬉しい。そんなの残念ながら幻想なんだけどね。

それでもわたしは必然を探す。わたしにとって必然で、他人にとっても新しい必然になるような必然を。ただわたし一人が、わたしにとって理路整然であること。一人一人がそういう状態に在るようになれば、何か言った気になってる言葉なんかに惑わされなくなるんじゃないか。必然のなさばかりの政策で地獄の街道を突っ走る、このHELL JAPANの脆弱さをあばき、変えれるのではないか。

そんな夢想をしながら、Eテレの『バリバラ』を見た。救われた気持ちになった。できるなら、ううん、絶対にいつか、わたしもあの中に入りたい。たぎる気持ちをもう一度感じた。

4月の終わりのある夜はまだ終わらず、わたしは必然を探してる。



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