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美しいものの効能:7日目

美しいものをぼーっと眺めたい、と思う程度には、疲れている。
これまではこうだと思っていたものが、変わってきている。変化の時期にある、たぶん世界全体が。わたしの小さな世界、半径5m以内で起こる出来事も、それはもう変わりつつある。

変化と人について、今、考えている。変化とは、これまでの状況を一変させるような機会のことだ。それは一瞬にして、あるいはゆっくりと、世界を根こそぎ変えてゆく。暴力的で、強制的。それが変化だ。だから当然、傷つく人もいる。

それでも、自分で望んた変化なら、人はなんとか受け入れ、前向きに頑張ろうとできる。でも、自分で望んでいない変化なら? 
ずっとこのままがいいと思っていた現状が変わってしまい、泣いても笑っても、たぶん元には戻らない。その時、人は変化に対してどう対応するのだろう。

思うに、変化に対応してついていける人と、いけない人がいる。いけない人がどうなるかは今は考えたくない。それはとてもつらいことだから。だからついていける人のことだけを今は考える。けれどきっとその人も、変化の大波におぼれそうになって、周りの誰かに当たったり、傷つけたりするんだろう。

今日はそういうことがあった。すっかり疲れてしまった。悲しくて悲しくて仕方がない。気持ちがぐるぐると渦になる。大量の水がわたしの体を巡っているのを感じる。よどんではいないが、その流れの激しさから、小石やなんやらまで巻き込まれて薄茶色く濁り、澄んでいるとはけして言えない水。

だから今、ただ、美しいものをぼーっと眺めたい。

こうなって初めて、美しいものの効果が多岐にわたることを知る。ただ澄んだ水が流れるごとく、何にも自分に関与せず、それでいてこちらの想像の余地を与えてくれるもの。けしてわたしを傷つけないもの。そういったものを求めるわたしの気持ちと、美しいものの姿が、一致する瞬間がある。本来、美しいものが、人を傷つけないものであるかというと、けしてそうではないのだが、そんな自分に都合の悪いことは忘れて、わたしはただ美しいものに癒される。しばらくすると、元気が出てくる。わたしに襲いくる変化について、きちんと向き合って、いどむ気持ちになっている。

暴力的で、強制的。自分で望んでいない。泣いても笑っても、たぶん元には戻らない。そんな変化に毎日、翻弄されている。ついていこうとしているだけでも、えらいと自分をほめてやって、疲れたときは誰に気兼ねすることもなく、美しいものにすがろうと思う。

劇団・少女都市 主宰
劇作家 Mary Yoshi (葭本未織)


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