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かわいいお嫁さんになりたかった

可愛いお嫁さんになるのが夢だった。

こんなことを書くとあんな演劇つくっといてまじかよと言われそうだし、両親には教育の敗北を感じさせてしまいそうだけど、まじでお嫁さんになるのが夢だった。

理由は簡単で、親が共働きだったからだ。わたしはずっと専業主婦の家の子に憧れていた、いや、羨ましかった。それとお母さんが家にいてほしかった、的な気持ちは全く違うので先に言っておきたい。お母さんはお母さんで働いてくれてモーマンタイなのだ。そうではなくて、別で、家に主婦がいてほしかったのだ。血の繋がった母がその仕事をやらなくていいので。話を聞いてくれて、可愛がってくれて、時間割どおりに教科書を一緒に並べ替えてくれる主婦がほしかった。他の家にはいるらしいアレ。わたしはアレになりたかった。

だから小さい頃から自分は絶対にお嫁さんになろう、と心に決めていた。それは恋人が欲しいとは全く違う欲求だった。だから人には言えなかった。そして当然のように、お母さんが結婚した26歳に、わたしはお嫁さんになるのだと信じていた。

さて、現在26歳で、計画上では26歳には結婚しているはずだったわたしに、現在その予定は皆無なので、ゼロか100しか許容できないわたしは、きっとこれから結婚することなく死んで行くんだと思う。予定がないので、「子供とか欲しい?」って男の人に聞かれたら無邪気に「すっごく欲しい!」と返答する。一生持たないなら、無責任でいいからね。

男女付き合いというのを長らく、殴る蹴るなどの暴行を加えるのを許す代わりに職務以外の一切の時間をこちらに提供してもらえる専属契約だと勘違いしたまま来てしまった。

これは最近気がついたことだ。わたしはあまりにも暴力を内面化しすぎてしまっていた。これはまったくもって両親のせいではないので先に言っておく。そうではなくて、幼少期のわたしと、14歳のわたし、そして18歳から23歳までのわたしが経験した様々なことに原因はある。とにかく自分には乗り越えなくてはならないトラウマが山のようにあり、恋人をつくるよりもそれを超えられるかの方がずっとずっと大切なのだ、そして間違っても恋人というジャンルの人間をつくることでそれを乗り越えたような嘘に身を浸してはいけない。これが最近気がついたこと。

今は山が大きすぎて乗り越えられる気が全くしないので、自分が結婚するビジョンは全く見えない。だから今の所、これからもきっと、わたしは誰とも結婚しない。それはかわいいお嫁さんにはなれないと気がついたからでもある。だってわたしは作家だから。家にいて子供の時間割に合わせて教科書を並べてあげたりできない。さよならわたしの長らくの夢。でもやっぱり母にはなりたいな。無責任なところからまだ夢を見たがっている。

かわいいお嫁さんになりたかった。

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