衝動的な音楽

一応音楽家、作曲家の端くれなので、自分が何を作りたいのか(あるいは作るべきなのか)、日々あーでもないこーでもないとなっているわけだが、こないだとあるところでこんな言葉を耳にした。

「センスは時代の先を行く。技術は後からついてくる。」

これ、最初に発した方がどなたで、どんな意図を含ませた言葉なのかわからないのでなんともあれなんだが、なんだか勘違いした解釈をする人が続出しそうな表現だなぁって思う。

というのは、僕がこの言葉を意訳するのであれば、「技術はセンスを具現化する手段である。従って、センス無し男くんが技術をどれだけ磨いたところで時代を追い越せはしない。ただし、具現化されないセンスもまた無意味だよ。」てな感じだと思うから。つまり、短絡的に「技術なんてどうとでもなるんだから、とにかくセンス磨こーぜ!」とは読めないよってことです。

そこまで考えればこの言葉には大いに賛成というか昔からずっと思ってたことと同じなのだが、実は僕がこの思想に至る背景には、かの有名なsex pistolsがいる。

sex pistolsを初めて聴いたのは、確か高校生の時だった。当時やたら木更津キャッツアイにハマってて、主人公のセリフにちょびっと登場してきたのがきっかけだったはず。

その時の僕はフィラーソウルどハマり期(delfonics最高)だったので、はじめてピストルズを耳にした時はそりゃあ悪い意味で衝撃的だったのを覚えている。

それでも何回か聴いているうちに、演奏もヨレヨレだしただシャウトしてるだけだしコードもめっちゃシンプルな中に何かグルーヴに似たものを感じるようになってきた。技術だとかじゃなくて、彼らの初期衝動をそのままぶつけたパフォーマンスに少なからず共鳴したからだと思う。(だからこそ、のちにこれらがマルコム・マクラーレンによって計算され尽くされて世に出たものだと知った時はちょっとショックだった)

でも、結局その共鳴は長くは続かなかった。今思うと簡単な話で、きっとその衝動があまりにわかりやすすぎたからだろう。わかりやすいものは飽きやすい気がする。きっと技術ってのは、わかりやすさの中に奥深さを加えて恒久的なものに昇華してくれるものなんだろうな。

それでもたまにこうして動画をみて、まるで今にも画面から飛び出てきそうな迫力に息を呑み、久々に音源聴いてみようと思う。時には何も考えずに、直接的に脳味噌に働きかけてくれるものも欲しくなるよなぁ。

なんだか話がまとまらなくなってきた。まあもう眠いし仕方ないか。とにかく、僕がやりたいことは、自分のオリジナリティを出そうとするあまり難解な表現を連発したあげく、理解の追いつかない消費者を突き放して開き直る評論家肌なもんでもなければ、かといって何もかも噛み砕いて説明してくれる、それを聞いただけでさも全てを悟ったかのような気分になれるテレビ番組みたいなもんでもない。そこに必要なのは、適度に想像を巡らす余地と、奥ゆかしさを醸し出す確かな技術なんだよ。

とまあ偉そうに書きましたが、かくいう僕は音楽技術者としての力量にはからっきし自信がありませんので日々精進する次第でございます。

ではでは。


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