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イブのケーキになってしまう

毎日はたらいている。

自分の頭で考えきれないことをするのは本当に嫌いだし、とはいえ誰にでもできることばかり続けているとこんなの私でなくてもいいじゃないかと思う。

そう考えると「あなたにして欲しい」「あなたが言うなら」と言われるのは本当に嬉しいし、きっとそれが働く1番のモチベーションになるのだと考えている。

ただ、そう言ってもらえるだけの力を私はまだまだ持ち合わせていないから、頑張らないといけなくて、考えなくてはいけなくて、それは日々業務に追われる平日では時間が足りない。

だから定時後も細々した作業をしてみたり、思考したりする。そして勝手に疲れて「働きたくね〜!」と言っている。完全に自業自得である。頭が悪いにも程がある。

なぜ急にこの話をし始めたかというと、そんな生活をいつまで続けるのだろうかと漠然に思ってしまったからだ。体力、思考力も、ずっと今を維持できるとは思えない。少しずつ蓄えては、それより早いスピードで消耗している気がする。
結局若さにかまけて、若さを盾に、どうしようもない仕事(そして生活)をしているのだ。

さて、若さといえば。
私は「かわいい」が好きだ。めちゃくちゃ好きだ。かわいいものが好き、かわいいという概念が好き、「かわいい」になりたいし、かわいくなるためにする努力も好きだ。たまに面倒くさいけど。お洋服も年相応より多分幼いものを選んでいる自覚があるし、でも好きなんだもんと言って着ている。多分まだキツいとは思われていない、はず。


この「若さ」に支えられた「かわいい」をいつまで享受できるのかということに、悩み始める時が来ている。

女性のクリスマスケーキ理論というものを聞いたことがある人は多いと思う。女性とクリスマスケーキの需要と価値を重ね合わせて考える例のアレである。最近は女性の初婚年齢が後ろ倒しになっていることもあり、年越し蕎麦理論なるものも出てきているらしいが、取り急ぎクリスマスケーキ理論でここは考えようと思う。蕎麦よりケーキの方がかわいくて好き。話はかわいくないけれど。

誰が女の需要と価値など決めるのだと、失礼だと憤慨する人間は一定数いるし、それを否定するつもりは全くないが、思想の古めかしい私は正直納得してしまっているところがある。

話した通り、若さにかまけて、若さを盾に、若さに支えられた「かわいい」を享受しながら生きている私は、いわゆるクリスマスを過ぎたらどうしていけばいいんだろう?


たぶんきっと、いくつになったって愛されたいし、誰かのとくべつになりたいし、自分で自分のかわいいをたくさんアップデートしていきたいんだと思うけど、そんな甘えたことを言っていられるのはいつまで?

26歳をこえても若々しくてかわいくって、私の今考えることなんて杞憂だと思わせてくれる人もたくさんいるけど、私はその人じゃないから、少し先の私はどうなってるかわからない。


どうかずっとかわいいに貪欲でありたいし、歳を理由に何かを諦める自分にはなりたくないのだけれど、すこしの先さえも見えなくて暗中模索の日々なわけだ。

あと数日で24歳になる。

もう大人だけど、大人になりたくないよ〜って気持ちになるから多分まだ子どもなんだと思う。自分の好きなことを諦めないイブになりますように。


おしまい。

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