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勝手に傷つくなと言われたので

自分がバカみたいにメンタルが弱いことは自覚している。すぐに傷つくし、小さい頃から泣き虫と言われて育ったし、もはやすぐ泣いてしまうことはアイデンティティと言っても過言ではないかもしれない。できれば過言であってくれ。


さて、最近「勝手に感情的になって傷つかれても困る」と言われて人と言い合いになったので、自分の歪みを客観視して考えてみることにした。

上記を言われた時、更に傷ついてしまう自分がいた。(勝手に)傷つけられたと思っているのに、さらにそれを困ると言われるんだから、たまったもんじゃない。

↓そのタイミングで自分が自分を落ち着けようと書いてたメモ

その言葉が1番傷つく
これ言われるまで泣いてないし自己完結しようとできてた
迷惑かけないように 私と話してて嫌な気持ちにさせないように がんばってるのに 上手くいかないことを責められても それこそ困る


そして、泣きながら寝て、起きて、

勝手に傷つく ってどういうこと?

と 疑問に思った。


調べて見たり、人に聞いてみたりして、行き着いたワードは、「愛着障害」と「パーソナリティー障害」だった。

別にすべてに完全に当てはまってる訳ではないし、わざわざ自分をカテゴライズしなければならない理由はないけれど、とりあえず、なるほどな、と納得するところがあったので記してみる。

下記はここから引用。

何も起こっていないうちからひとり、「みんなに傷つけられた」物語を作り出してしまうという。これ、愛着障害の特徴のひとつです。
いつまでもこの自作自演の、妄想の世界での自己攻撃をし続ける必要なんてないですよね。「痛む世界観」を作り続けること、やめていいと思いませんか?

これを踏まえて、ちょっと置き換えて1つ事例を考えてみた。

例えば…

予定では、今日は泊まって行くはずだった好きな人が「やっぱり帰って 明日また来ようかな。」と言ってきた時の自分の思考回路って、大袈裟にいえば

一緒にいられると思ってたのに、どうして変わったの?→自分がなにか悪い事をした?なにか嫌な気持ちにさせた?→一緒にいるとしんどい気持ちにさせている?→自分と一緒にいたくないのかもしれない→自分は一緒にいたいのに→つらい→でもここでわがままいっても困らせてしまう→本当は帰って欲しくないけど我慢しなきゃ→そう思わせないよう自分が変わろう→以下、自分の反省会。

って感じ。自分にとってはこの思想、そんなに変なロジックではないのだけれど、友人曰く「そんなん辛いししんどすぎる」らしい。

そんでもって、私の反省は反省ではなくただの後悔らしい。言われてみればそう。だめすぎる


ただのなんも出来ない赤ちゃんみたいな人間であることが十二分に分かった。


パーソナリティーうんぬんも、たしかになあと思うところもあればいや、違うなあと思うところもあればという感じだった。

色々知って、現状を客観視すると、「全ての物事を、自分に対してのアクションだと思い込んでいる節がある」らしい。そして、現実はそうじゃないから、もっと鈍感になった方がいいらしい。

他人の言動や行動は別に全然自分に関係ないことの方が多いんだと 頭では理解出来ているけど、それが自分の好きな人たちだったりするとそうもいかない。依存的なものなんだろうな。


なんというか、自分は全能じゃなくて欠陥があるんだなあと開き直って生きた方がまずは精神衛生上すこし気が楽になりそうと感じている。だから、まあ自分には欠陥品的なとこがあるからしゃーないな、次々!と思って過ごしてみよーと思う 24歳の冬。


おしまい。














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