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ネオメロドラマティックの歌詞の全ての謎を徹底解釈! ~都会で希望は抱けるか?~

今回、ポルノグラフィティの『ネオメロドラマティック』の歌詞を解釈したい。

思い返せば、この曲入りのCDを10年以上前の中学生の頃に持っていた。
当時は「なんかカッケー」と思っていただけだったが、年を経た今だからこそ解釈できたこともある。

後に続く文章は結構な長文だ。読む前に曲を聴くことをお勧めする。
また、画像を10枚以上作成しており、画像だけでも大まかに伝わると思うのでそれだけでもぜひ見てほしい。


●そもそも「ネオメロドラマティック」とは?

一言で言って、「ネオメロドラマティック」は、<残酷な都会の消費社会で生きる人々が、希望を信じたり落ち込んだりもがいたりする、ゆえに盛り上がる恋物語>であると考えた。

まずは、冒頭の歌詞から見よう。

行こうか逃げようか 君が望むままに

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

以下のように考えた。

  • 「行く」とは、都会で希望を信じて生きていくこと。

  • 「逃げる」とは、都会で希望を信じて生きるのをやめること。

  • 「君」とは、物語の語り手が愛する存在。

後の歌詞での描写(街・群衆に紛れて・地下鉄)から、舞台は都会だと考えたい。
また、なぜ「希望を信じて生きていく」か否かを迷っているらしいのかは、後々の解説でおいおいわかる。
後の歌詞で「君は~している」「君の愛してが助けてと聴こえた」「最後まで付き合おう」などの表現から、「君」を語り手が愛していることにはほぼ間違いないだろう。
これも、くわしくは後に解説していく。

幸か不幸か ネオメロドラマティック

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

「幸」は、「恋が盛り上がっていること」。
「不幸」は、「消費社会で生きるのはつらいこと」。

「ネオメロドラマティック」は、3つの言葉が組み合わさってできた造語だろう。
NEO(新しい)+メロドラマ(恋愛ドラマ)+ドラマティック
(=劇的=劇を見ているように緊張・感激させられる様子「新明解国語辞典より」)

言い換えれば、「幸か不幸か、新しい時代の(都会・消費主義社会での)恋愛劇で劇的に盛り上がっているようだ」とでもいうべきか。

咲こうが摘まれる 君の絶望こそ
こんな時代か ネオメロドラマティック

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

以下のように考えた。

  • 「咲く」…希望を抱く・願いが実現する

  • 「摘まれる」…希望を失う・願いが叶わない

つまり、「君は希望を抱くかもしれないが、どうせそれは失うだろう。でも、それはこんな時代(残酷な消費主義が横行して人が都会に消費されて希望を抱けない時代)だから仕方ないのか」と諦めている。
ただ、そのような時代だからこそ、ネオメロドラマティック(新しい時代の恋が劇的に盛り上がる)とも言える。

なぜ、ネオメロドラマティックなのか。(=このような時代だと恋が盛り上がるのだろうか。)それは、同じ都会という舞台で、自分と近い問題で苦しむ他者の心の痛みや希望に触れた時に、深い共感や同情心や尊敬の念を抱くなど、激しく心動かされるからではないだろうか。

これから、具体的に語り手と「君」の物語を見ていけば、このことがはっきりしていく。

●「純情のかわりに街からキャンディが貰える」とは?

自分の純情を スプーンにひとすくい
街に喰わせるたび 貰えるキャンディを
舌で転がしながら 記号化した言葉に
「助けて」というWordは 無いようだ

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

純情の代わりにキャンディが貰える。
つまり、純情(自分の本当にやりたいこと・純粋な願望)を、街(都会・消費社会・会社)に食わせる(その場所で時間を消費して働く)と、キャンディ(対価としての給料・給料を使って得られる娯楽)が貰えることを指すのだろう。

好きではない仕事をした経験があれば、誰でもわかる感覚のはずだ。
語り手は、聴き手の私たちと同じく消費社会で生きていて、その構造を冷静に認識している。

●「記号化した言葉に助けてというワードがない」とは?

消費社会で記号化した言葉に「助けて」というワードはない。
これはどういうことか。

思うに、<消費社会内で、その場所向けに記号化した>言葉の中には、「(純情を犠牲にして生きねばならないことがつらいので)助けて」というワードはない(気持ちは通常伝わらない)ということではないだろうか。
消費社会(都会での望まない仕事)で純情(サッカー選手の夢など)を犠牲にして働くのはつらいが、そんな社会でキャンディ(お給料)をもらって生かされて娯楽を享受しているのだから、言っても仕方ないものを感じてしまう。

●「幸せすぎるのが不幸なこの頭」とは?

いつも感じている 寒く深い闇の
この場所がもう既に 街の胃袋の中
幸せすぎるのが 不幸なこの頭が
切れない剃刀を探している

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

主人公は、寒くて深い(不快な面があってそう抜け出せない)街の胃袋(都会・消費社会・会社)の中で生きている。すっかり取り込まれている。

さて、「幸せすぎるのが不幸な頭」とはどういう意味だろうか。(一見かなり矛盾している。)
考えるに、「幸せ」とは「消費社会で街から労働の対価(キャンディ)などを得ていること」で、「不幸」とは「嫌な仕事をせざるをえないこと/本当に大切なのは労働の対価のお金・キャンディではないこと」を指すのではないか。
給料をもらうのは嬉しいことだが、それを得るためにつらい時間をすごすとしたら、「幸せだがつらい」と感じるだろう。

幸せすぎるのが不幸なこの頭

●「切れない剃刀を探している」とは?

さて、そんな幸せと不幸を感じる語り手が「切れない剃刀」を探す。
そもそも、「切れない剃刀」とはどういう意味で、何故探すのか?

まず、「剃刀」は、髪の毛やひげなどを剃るための刃物だ。
刃物なので、<傷つける、破壊する>ことにつながる危険なものだ。
とは言え、「切れない剃刀」だし、剃刀は所詮は毛を剃る道具にすぎない。激しい破壊にはつながらない

このことから考えるに、語り手は(無理して都会の消費社会で生きることへの)自己嫌悪や他者嫌悪から、自己や他者に対する生ぬるい破壊衝動(=切れない剃刀と言って良い程度の物)を抱えているのだろう。

(この生あたたかい苦しみが物語全体に流れている。自己嫌悪に陥っても、都会で働き続ける程度のことはできて、徹底的に病むほどではない。他者嫌悪に陥っても、そもそも消費社会のメリットも享受しているわけで、都会生活を嫌い切れない。)

切れない剃刀を探している

ちなみに、もっと激しい感情だったら、「バチ切れる刃物を探す」になるのかな。

●「ボイルした時計の皮むき」とは?

君はボイルした 時計の皮むきに
ただ夢中になっている 

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

「ボイルした時計の皮むき」の意味とはどういうことか。順を追って解説したい。

まず、ここでの「時計」とは、「消費社会で過ぎる残酷な時間」のことだ。
例えば、都会の消費社会で、「時間にはお金になる以外の意味がない」かのように、無情に、無機質に、時間は流れることがある。そうした時間だ。
(やりたくない仕事のとき、「はよ終われ」と感じるようなこと。)

さて、「君」は、「消費社会での残酷な時間」を「ボイル」・「皮むき」している。
そもそも、「ボイル」「皮むき」とは、食べ物を食べやすくするために行うことだ。当たり前のことだが、「時計」は食い物ではなく、ボイルしても柔らかくならないし、皮もない。(一方これが食べ物なら、「ボイルしたじゃがいもの皮むき」となり違和感がない。)

「ボイルした時計の皮むき」は、食えないものを食えるものかのように扱う行為だ。つまり、この描写は、「消費社会で過ぎる残酷な時間」=「意味のないような時間」を、「意味がある時間」であるかのように捉えて自らの糧とすることを指すのではないか。

「何の意味が?」と思う時間でも、自分なりに工夫をしたり、捉え方を変えたり、心を込めたりすることで、「意味のある時間になった」と感じ方が変わった経験はないだろうか?その時に希望を感じたことはないだろうか?

ただし、「ボイルした時計の皮むき」という言葉は、一見あまりにも不可能でばかげている「君」の行動は、はた目から見ると不器用でばかげているのかもしれない。

ボイルした時計の皮むき

●「ここにだって見つけられるかもしれないもの」とは?

どこから聞こえる情熱の歌が
泣こうとしている 君へと寄り添う
過去か未来か 確かにあったなら
ここにだって みつけられるのかも

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

ここの解釈を、ざっと四コマにしてみた。

「情熱の歌」とは、かつて「君」が聴いていた歌(或いは信じていた誰かのメッセージ)を指す。それが、どこから聴こえてきた(思い出した)。

そして、希望についての昔の気持ちを思い出したのだ。
その歌を聴いていた「過去」には希望が「あった」と、今となっては感じられる。また、その過去には「未来」への希望が「あった」(未来への希望を信じられた)と、今となっては感じられる。

だったら、「ここ(今)」にだって、希望は見つけられるのかも?と「君」は考えようとしている。希望を見つけようと、まさに今もがいているのだ

●群衆の中で、「希望」は失われそう

群衆に紛れて 息を殺しているうち
枯れてしまいそうになる 希望というアイデンティティ
空気を奪い合う 地下鉄のホームで
生暖かい風を浴びている

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

アイデンティティとは、「他者と自分を区別するもの」だ。
皆にはない「希望」を、自分だけは持っている、と語り手は意識する。しかし、その「希望」は、群衆に紛れて自分らしさを発揮できずに息を殺しているうちに、枯れてしまいそうになる。

「空気を奪い合い合う地下鉄のホーム」も、消費社会で競争し合うことや、通勤の様子を想起させる。それは「生暖かい風」のように、どこか不快だが消費社会で生きる以上、逃れようがない

●「コンクリートになった岩のために祈る」とは?

君は砕かれ コンクリートになった
岩のために祈った 

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

砕かれてコンクリートになった岩のために祈る者など、普通いない。

都市は大量のコンクリートで覆われていて、私たちは便利に道路を使用する。
砕かれる前の岩は、それぞれ独自の形や大きさがあった。しかし、均質化されてコンクリートになった岩には、もはやその個の特徴などない

この「砕かれコンクリートになった岩」は、「消費社会で生きる人たち」のメタファーと考えられそうだ。個性を奪われ、労働力の一部になるときの話だ。
しかし、そういう状態に対して「祈った」君だからこそ、語り手は好きになったのかもしれない。語り手の苦しみを理解して慈しむ力のある「君」だからこそ。

●「ここには僕らしかいないみたい」とは?

最後まで付きあおう
僕が果てるまで 最高のエンドに
辿り着けるから
格好つけて 言うわけじゃないけれど
ここには僕らしかいないみたい

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

語り手は、「君」に深く共感する。
ゆえに、そんな君が希望を求めてもがくところに付き合おう、と考えるのだ。なんらかの美しい未来(最高のエンド)に、きっと二人なら辿り着けるから、と考えて。
「ここには僕らしかいない」=「自分たちだけは、希望を求めて苦しむ気持ちが分かりあえる」と、思っている。
(「自分たちだけ」という意識も手伝って、より惹かれるのかもしれない。
より「ドラマチック」な「メロドラマ」につながるのだ。)

行こうか逃げようか 君が望むままに
幸か不幸か ネオメロドラマティック
咲こうが摘まれる 君の絶望こそ
こんな時代か ネオメロドラマティック

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

↑再び、サビパートの1つが繰り返される。

●「愛してが助けてに聞こえた」とは?

君の「愛して」が 僕に「助けて」と
確かに聞こえた

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

当初、「助けてというワードはない」と語り手は感じていた。
(消費社会で消費されゆくつらさへの共感者などいない、「助けて」という気持ちは伝わらない、と思っていた。)
しかし、語り手は「君」の「愛して」が「助けて」と聴こえたのだ。
「君」が「愛情を求める」のは、「消費社会におけるつらさからの救いを求めている」ためだと、語り手は推測したのだろう。
つまり、「助けて=つらさ」を理解しあえる相手が、ようやく見つかったのだ。

どこから聞こえる情熱の歌が
泣こうとしている 君へと寄り添う
過去か未来か 確かにあったなら
ここにだって みつけられるのかも
行こうか逃げようか 君が望むままに
幸か不幸か ネオメロドラマティック

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

↑サビパートが繰り返される。

●ラスト:語り手は「君」の希望を信じ始める

咲こうと もがいてる 君の力こそ
こんな時代の ネオメロドラマティック

ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」より引用

かつて、語り手は「咲こうが摘まれる 君の絶望(=君の希望はいずれ失われる)」と決めつけていた。
だが、今は「君」には「咲こうと(希望を求めて)もがく力」があると認めて、少なくとも「希望が失われる」という決めつけはやめたのだろう。

では、なぜ「咲こうが摘まれる(=希望が失われる)」と考えるのをやめたのだろうか。
それは、語り手が「希望を信じる」ことが愛情である・信じたいと、「君」を見つめて関わるうちに感じるようになったからかもしれない。
加えて、「君」の「助けて」という言葉に、「希望を信じてほしい」という意味が込められていた、と考えることもできそうだ。

希望を信じてくれる存在がいれば、それだけで励ましになる。
その愛情もまた、残酷な消費社会で苦しむ者にとっての希望なのだ。

●スガシカオ「黄金の月」を連想

この歌を解釈しながら、スガシカオの「黄金の月」が連想されるところもあった。こちらの歌も、一度は希望を失ったらしき語り手が、希望を信じているらしき「君」に対して、どう関わるべきか、悩む物語であると筆者は解釈している。
(ちなみに、「黄金の月」をスガシカオとポルノグラフィティが歌ったこともあるらしいので、影響もあるのかな?とも想像した。)
力を入れて書いているので、暇があればぜひ読んでほしい。

https://note.com/giraisan/n/nc9f079dd8435

●ひどいおまけ:真反対の歌詞:「ハッピーメロドラマティック」

「ネオメロドラマティック」の歌詞内容が真逆なら、どうなるか?というクソ実験を行った。
そのタイトルも、「ハッピーメロドラマティック」
意味は、<幸福な世界で生きる人間が、希望を信じられて疑いようがない、いまいち盛り上がらない恋物語>である。

「ネオメロドラマティック」(=残酷な都会の消費社会で生きる人間が、希望を信じたり落ち込んだりもがいたりする、ゆえに盛り上がる恋物語)とは全くの真逆である。)

↓「ハッピーメロドラマティック」の歌詞

このまま行こうかな 僕たちの望むままに(逃げるか悩む必要もない)
幸福でしかない ハッピーメロドラマティック(とにかく幸せ)
見事に咲き誇る 君の幸福こそ
こんな時代だ ハッピーメロドラマティック

自分の純情をそのまま持っているし(運が良い)
この街も会社も人がやさしいね!(良い街・良い職場)
おうちにキャンディがたくさん!(金持ち)
楽しい日々を送りながら 
言いたいことを分かってくれる 優しい人がたくさんいて幸せだなあ
(理解者もたくさん)

いつだって感じている 暖かくて淡い光に包まれた
この場所はもう本当に 世界のゆりかごのなか(良い場所)
幸せすぎるから 悩みもないこの頭は
そんなに欲しいものもないのかもね(自己嫌悪も他者嫌悪もない)

君はたくさんの ブランド時計を集めて
ショーケースに飾ってにこにこしている(好きな相手もなんか幸せそう…!)

どこから聞こえる幸福な歌が
いつも笑顔の 君へとよりそう
過去から続いている今、そして未来へ
いつだって光はあるとしか言えない(昔からずっと幸福で今も未来も幸福そう!)

あたたかい人たちに囲まれて 優雅に過ごすうち
じんわりと心もほぐれていく 希望に満ちている日々
都会だけど自然豊かで 空気もおいしいし(都会の便利さと自然の豊かさまで!)
心地よい風を浴びているよ

君はダイヤの原石も加工されたダイヤも
両方持っててにこにこしている(好きな人も金持ち…!)

それなりに付き合おう
僕たちが飽きるまで それなりに楽しくは
やっていけるから
当たり前のことを言うようだけど
やさしい人がいっぱいだから 別に君じゃなくてもいいんだ(今いち盛り上がらない恋)

このまま行こうかな 僕たちの望むままに
幸福でしかない ハッピーメロドラマティック
見事に咲き誇る 君の幸福こそ
こんな時代だ ハッピーメロドラマティック

君は「幸せだね」と言い 僕も「そうだね」と
確かに思えた(お互い、当たり前に幸福…)

どこから聞こえる幸福な歌が
いつも笑顔の 君へとよりそう
過去から続いている今、そして未来へ
いつだって光はあるとしか言えない

このまま行こうかな 僕たちの望むままに
幸福でしかない ハッピーメロドラマティック
とにかく咲き誇る 僕らの力こそ
こんな時代だ ハッピーメロドラマティック(とにかく幸福!)

…こいつぁひどい詩だ…。



さて、ここまで長い文を読んでいただきありがとうございました!

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