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谷山浩子の「ガラスの巨人」の数々の謎を解釈!


 谷山浩子さんの歌が好きだ。
 大学生の頃に、サークルの先輩がカラオケで「COTTON COLOR」を歌っていたのを聴いて気になり、それからほかの歌も聴くうちに一気に好きになった。


 さて、今回解釈したいのは、谷山浩子さんの「ガラスの巨人」だ。
 大学生頃に初めて聞いたときは、幻想的なファンタジーだなあ…面白い雰囲気だなあ…とだけ思っていたのだが。

 最近、この歌詞にひどく感情移入している自分に気が付いた。
 せっかくなので、自分がどう解釈しているのかを、書き記してみたい。
 (ちなみに、約10枚の画像を見るだけでもだいたいわかるので、画像だけでも見ていってほしい

 解釈を読む前に、一度曲を聴いてみることをおすすめする。

●「きみ」=「理想の高い夢追い人」と読み解いてみる


きみは見上げていたね 見えない星空を
風吹くビルの陰 夜更けの街
両手を高く上げた 背伸びをしながら
でも星は遠すぎて きみは小さい

(谷山浩子「ガラスの巨人」より引用)

 筆者は、この物語の「きみ」=「理想の高い夢追い人」として、基本的には解釈していきたい。(さまざまな解釈は可能だろうけどね)

 「きみ」は「見えない星空」を見上げている。この「星」は「理想」や「夢」を意味するのではないだろうか。理想は、あまりにも遥か高みにあり、姿を見ることすらも難しい。
 「夜更けの街」の「風吹くビルの陰」にいるらしい、「きみ」の姿を見る者など、ほとんどいないだろう。(物語の語り手は見ているのかもしれないが)
 「両手を高く上げ」て、「背伸び」をするのは、つまり星(=遥か彼方の理想)に近づこうと頑張ってみる、ということだ。
 当然、理想(=星)に近づこうにも、まだまだ「きみ」は小さい存在だった。

 つまり、「きみ」は、ほぼ誰にも注目されていない所で、理想を追い求めて滅茶滅茶頑張る夢追い人だったのだろう。

ガラスの巨人_2

●「きみ」がライトに照らされる=世間の注目を浴びてBIGになり始める

クルマもヒトもいない
静かなアスファルトの ステージ
たたずむきみの姿を ライトが照らし出す
やがてきみのからだは 大きくひろがる

(谷山浩子「ガラスの巨人」より引用)

 さて、クルマもヒトもいない、誰もいないステージに「きみ」はいた。ほとんど誰にも着目されずに。
 しかし、その姿をライトが突然照らし出した。暗闇の中で密かにたたずむようにしていた所を、急に光を浴びて、その姿がくっきりと周囲から見えるようになったのだ。
 つまり、「きみ」は、夢の実現のために頑張っている姿を、注目されて(=ライトに照らされて)、人々から見られる存在となり始めたのだ。
 そんな「きみのからだ」は、大きく広がり始めた。注目された姿は、世間の中で存在感を増して、BIGになり始めた。
 もしかすると、何かしらの賞を取ったり、ファンができたり、テレビに取材されるようになったりしたのかもしれない。

ガラスの巨人_3

●「ガラスの巨人」という言葉が指すもの

高層ビルだきみは ガラスの巨人
ほら 歩き出したゆらゆら
空を横切るきみの影
チカチカ赤いランプが とてもきれいだよ

(谷山浩子「ガラスの巨人」より引用)

 語り手は、「きみ」を「ガラスの巨人」と例え始めた
 これは、はどういう意味だろうか。

 「巨人」とは、「世間で存在感を増してBIGになり始めた」こと。一方、「ガラス」とは、「壊れやすい、繊細である」ことを指すのではないだろうか。
 つまり、語り手は「きみ」に対して、「周囲に愛されるBIGな存在にはなったけどさ…きみは繊細な人じゃん…大丈夫なの?」とでも心配しているように筆者には感じられる。(しかし、空を横切る君の影に見とれたり、「きみ」と赤いランプの調和を美しがったりしているあたり。物語の語り手は、「きみ」に相当な好意を寄せている気もする
 ちなみに、「きみ」が「ガラスのように繊細」であることは。「きみ」が(見えない星々に手を伸ばしてしまうような)途方もない理想家だということともリンクする。美しい理想と比較して醜い現実に、普通の人よりも繊細に傷つくことも多いのではないだろうか。
 この、「繊細だけど有名になって大丈夫なの?」という語り手の不安は後に的中する。

ガラスの巨人_4

●「きみ」が、街を見て「ぼくのものだ」ととはしゃぐ理由

見おろせば街は 星の海のよう
ぜんぶぼくのものだって
きみははしゃいでいた

(谷山浩子「ガラスの巨人」より引用)

 「ガラスの巨人」となった「きみ」は、「星の海のよう」な街を見て「ぜんぶぼくのものだ」とはしゃぎだした。
 これは、人々(=街=星の海のようなもの)からの承認にはしゃいでいるのだろう。

 とはいえ。そもそも、「きみ」の「星(=理想)」とは、こっそり夜空に手を伸ばしても届かない所にあるものだったはずだ。
 それが、今では「街」を「星の海のよう」なもの(=自分の求める理想のようなもの)と考えるようになり、はしゃぎ始めてしまった。
 つまり、元々は「こっそり自分だけの理想を追っていた」のが、注目され始めてから「人々から承認されること自体が理想」になり始めてしまったのだ!

ガラスの巨人_5

●ガラスの巨人の胸に風穴が開いたのはなぜか

楽し気に歩くきみが 突然立ち止まるその時
胸にあいた風穴に 誰かがしのびこむ

(谷山浩子「ガラスの巨人」より引用)

 「きみ」の胸に、風穴が空いてしまった。ガラスのような心が傷つき、ひび割れてしまった。
 これは、「きみ」が世間の中で存在感を大きくする中で、(理想家で繊細な人間であるにもかかわらず)無理をしたからだろう。語り手の不安的中だ。

 多くの人に愛されるために、無理に周囲に適応して、自分らしくない演技なんかを、時にはする必要もあるかもしれない。そういう時に、間違いなく心は傷つくだろう。

ガラスの巨人_7

●ガラスの巨人の胸にあいた風穴に忍び込んだのは誰か?

 周囲に承認されるために頑張りすぎて傷ついた、「きみ」の心に忍び込んだ「誰か」。
 それは、過去の、承認欲求ではない純粋な理想を抱いていた時の過去の「きみ」自身ではないかと考える。
 これは、「誰か」が忍び込んだのちに、「さっきまで覚えていた」はずの「何か悲しいこと」を「忘れてる」と気が付いた、ということから解釈できる。どういうことか、詳しく見ていこう。

ガラスの巨人_8

●「きみ」が「忘れてる」「何か悲しいこと」とは何か?

忘れてることがある 何か悲しいこと
確かにさっきまでは 覚えていた

(谷山浩子「ガラスの巨人」より引用)

 「きみ」の当初の理想は、「承認欲求などではない、純粋な理想」だ。
 しかし、今や「承認」ばかりを求めて当初の理想を忘れているとしたら…その事実は、「悲しいこと」ではないだろうか。
 (少し前まででは、「純粋な理想こそが大切」と覚えていたのはずなのにね…。)
 そして、「きみ」は、過去からの自分の変化に気づかされてしまった。

ガラスの巨人_6

●「悲しみが攻めてくる」VS「もっと大きくならなければ」、となる理由

悲しみが攻めてくるよ もっと大きくならなければ
悲しみが攻めてくるよ もっとひろがれ ぼくのからだ
悲しみが攻めてくるよ もっと大きくならなければ
悲しみが攻めてくるよ もっとひろがれ ぼくのからだ
悲しみが攻めてくるよ……
悲しみが攻めてくるよ……
悲しみが攻めてくるよ……

(谷山浩子「ガラスの巨人」より引用)

 昔の気持ち(=当初の純粋な理想を抱いていたころの自分)が、「当初の理想を忘れて悲しい」と、「きみ」自身を責めるようになってくる。
 しかし、今の「きみ」は「悲しい」と分かっていながらも、「もっと周囲に承認されなければ」と考える。これはなぜか。「承認される」ことによって、「過去の理想から遠く離れたつらさ」を紛らわせようとしているからだ、と筆者は考える。
 もう、「きみ」はそのような考え方をするようになったのだ。しかし、どうしようもなく、過去の「きみ」の悲しみはの心を責め続ける…。
 そんな少し悲しい物語のように、筆者には感じられた。

ガラスの巨人_9

●「きみ」を見つめて分析している、語り手は何者なのか?

 ところで、「きみ」を見つめる語り手とは誰なのだろうか。
 明確に、語り手の立場は示されていないので、想像の域を出ないのだが。
 筆者には、「きみ」に恋をしている子のような気がしてならない。
 なぜなら、語り手は「きみ」にとって、次のような存在だからだ。

 ・星に手を伸ばす姿(=理想に近づこうと頑張る姿)を見ている。
 ・だれも見ていないような場所にいるときから知っている。
 ・「きみ」と赤いランプのコントラストを「とてもきれい」と感じる。
(恋人の活躍を見て、嬉しくなってうっとりしている)
 ・「ぜんぶぼくのものだ」と言って(周囲に承認されて)はしゃぐ姿を知っている。
 ・悲しみが攻めてくる中で無理してBIGになろうとする姿を、客観的に捉えている。

 ここで試しに。「きみ」を「夢追い人の理想家の男の人」で、「語り手」を「夢追い人の男に恋する女の人」、二人を恋人どうしだと考えてみよう。

◆◆◆

 男「俺って、~さんみたいになりたいって憧れがあるんだ!」
 女「理想家で頑張るあなたって素敵!誰にも見られてなくても私だけは見てるわ!」
 男「やっと注目され始めた…」
 女「ずいぶんはしゃいでいるわね!おめでとう!活躍してて嬉しいな…♪」
 男「滅茶滅茶頑張って、無理もしているけど。もっとBIGにならなきゃ…」
 女「ちょっと大丈夫?あなたって繊細な人じゃん。耐えられてるの?」
 男「ああ、本当になんでこんな仕事やってるんだろ…精神に来ている感じがする。昔の理想と全然違うことばかりしているよ…」
 女「ほんと大丈夫…?」
 男「あ、もう本当ダメだ…。いや、でももっとBIGになればいいのかな。そしたら、こんな苦しみ自体、なくなってしまうのかな…。もっとBIGにならなきゃ、もっと、もっと…」
 女(この人って、もはや「ガラスの巨人」じゃん…)

◆◆◆

ガラスの巨人_10

●筆者が考えたこと:「承認欲求」は悲しい麻薬となりうる

 承認欲求は、麻薬めいていると思う。
 ときに、本当に自分が大切にしたいことを見えなくする
 
 だから、承認欲求にとらわれすぎず、自分の本当に満足するものを追いかける気持ちを大切にしたいと思わされた。
 ガラスの巨人になってしまわないためにも。

 (まあ、もちろんお仕事をもらったりするためには、いろんな人に承認される必要があったりするから糞面倒くさいんだけどね。あと、承認されることだって、嬉しくなってテンションあがるきっかけにもなるし、悪いことばかりじゃないんだけどさ。)

 ここまで、こんな長文を読んでくれてどうもありがとう!