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冬の和歌6・式子内親王

命よ絶えるなら絶えてしまえ、で有名な式子内親王。激情の人。ヤンデレ。この人の恋の歌はすごいです。
しかしそういう歌ばかりでもありません。

見るままに冬は来にけり鴨のゐる入江のみぎは薄氷りつつ

「見るままに冬は来にけり」のフレーズが素晴らしすぎて特に言うことはございません。
何度も口に出してしまうような素晴らしさです。
見るままに冬は来にけり、と言われたらどんな光景が浮かびますか。雪景色、霜、枯れ葉なんかでしょうか。
この歌では鴨のいる入り江という案外のどかな光景ですね。
私は朝早い人なんですが、まだ空が白み始めた頃洗濯物を干していると遠くの山に月が沈んでいくのが見えて、そういうときに「見るままに冬は来にけり」と思います。
平易でありながら共感を呼ぶ良い言葉ですね。


色々の花も紅葉もさもあらばあれ冬の夜ふかき松風の音

花も紅葉もそれはそれでよいけれど私にとっては冬の夜中の松風の音こそが身に沁みる。
式子内親王を花や紅葉から切り離したのはなんだったのか。
花や紅葉は誰もが愛する対象である。これは単に花や紅葉だけではなく世間一般の価値観そのものに背を向けているのである。
彼女は床に一人眠れずに松風の音を聞いているのだろう。
私はひとり私の道をゆく、というような孤独で凛とした姿が浮かぶ。
式子内親王の生き方が顕れた歌だと思います。


さむしろの夜半の衣手さえさえて初雪しろし岡の辺の松

冬を描写した歌です。筵で寝てたら冷え切った、というのが屋内で、初雪が白く積もった岡の松が外です。場面の切り替わりが鮮やかですね。
寒いなあ、っていう主観から急に雪景色になり人の気配が消える。
床で寒さに震える人間も冬の風景の1つのパーツになったかのように。
「さむしろ」「さえさえ」「しろし」と音韻的にも大変巧みに詠まれた歌です。


最後。

天つ風氷をわたる冬の夜の乙女の袖をみがく月かげ

いやあいいですねえ。
いわずとしれた僧正遍照の天つ風雲の通い路吹き閉じよ乙女の姿しばしとどめむ、の本歌取りですが、本歌より私は好きですね。
ロマンティックな、お伽噺の一場面のような歌。
式子内親王っぽくない。
むしろこういう歌は男性が詠むイメージすらある。
完全に幻想の世界で、中世和歌文化の極致を感じます。

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