9/2 日記 「恐怖と嫌悪とセミファイナル」

セミファイナルと呼ばれている現象に、今日は3度も遭遇した。夏の終わりが近づいているんだな……と感慨に浸る余裕はなく「クソが…(敗北)」と捨て台詞を吐きながら暴れる心臓を抑えていた。

以前はそこまで苦手ではなかったように思う。「セミが家の前にいて入れない」と電話してきた姉に呆れていたはずだが、今はその気持ちがわかる。何か嫌な経験、例えばセミの大群に襲われただとか、そう言う経験をしたわけでもなく気づけばすっかりダメになっていた。

同様に苦手なものを挙げるなら暗闇だろうか。これは幼い頃からてんでダメで、特に狭い通路や廊下は目を伏せて早足になってしまう。自宅でも。当然お化け屋敷なんかも入れないし、以前無理やり入れられた時には友人の背中にへばりつく『チープ・トリック戦術』を強行した。
そういえばジェットコースターも乗りたくないしで、遊園地に行ってまともに楽しめた記憶が無いような気さえしてきた。

飼い主に似てしまったのか最近はネコさえ怖がりになってきている。小さい頃は何てことなかった雷に怯えるようになってしまい、今日は雨が窓に当たり始めただけで腰が引けていた。
「野良じゃ無理だね」なんて笑っていたが、ちょっと心配。

生きてきて「苦手なものを克服した経験」があまりにも少ない。逃避と妥協で生きてきた。強いて言うならコーヒーをカッコつけたくて飲めるようにした、ぐらい。

苦手だとか 怖いとか 気づかなければ
俺だってボールと友達になれた
頭が悪いとか 思わなけりゃ
きっとフェルマーの定理すら解けた
すれ違ったマサヤに笑われなけりゃ
ずっとコマつきのチャリをこいでた
力が弱いとか 鈍臭いとか 知らなきゃ
俺が地球を守ってた

自分でも驚くほどにこの楽曲から勇気と活力を貰っている。好きなものだけを発信するようにtwitterを運用しているつもりで 実際そうなっているはずだが、twitterに浸りすぎて自分の嫌悪するものに向き合えなくなっているのかもしれない。
何が許せて何が許せないのか、もしかしなくともここに「自分」があるのかも。

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