「竜とそばかすの姫」を観たお話

紅白歌合戦をぼんやりと眺めていたら「竜とそばかすの姫」の主題歌が流れてきた。あぁそうだ、夏頃にその映画を観てなかなかに良い作品だと思って、twitterで「後でnoteに感想を書くぞ」と呟いたけど、結局投稿していないままだった。正直細かいところは覚えていないので手短に書きます。

言葉として表現されたものと、現実とで、乖離が生じていると、どうにもきまりの悪い気持ちになる。その乖離を解消しようと、人間は何かしらの行動をする。認知的不協和というらしい。
「いつもトイレを綺麗にご利用くださりありがとうございます」が良い例だ。その文言と現実が矛盾しないよう、人々はトイレを綺麗に利用するようになる。
何かを為そうと思ったときには、それを言葉に表すのがいいかもしれない。紙に書いて机に貼ったり、或いは、今回の僕のようにSNSに投稿したり。そうすれば何時か実現されるかも。でも次は「何月何日までに」と期限を設けるべきだなとも思う。

「竜とそばかすの姫」の話に戻す。この作品を観て感じたことは幾何かあるが、特に強く感じられたのは「インターネット社会への批判」だ。

架空のSNSが流行した世界。そのSNSの中で、主人公や他のキャラクターが世界的有名人になって……というお話だった。
SNS上で有名になると、世界中の人々から「あいつの正体は誰なのか?」「正体はあのデザイナーか?」「あのプロ野球選手ではないか?」と憶測が飛び交う。何の根拠もなく好き勝手に言われる。
SNS上の秩序を保つための自警団みたいなキャラクターも登場する。自らこそが正義と言わんばかりに、素行不良ユーザーの身元特定に奔走する。

現実でも、有名人であろうとなかろうと、誰かしらが所謂「炎上」に遭っている場面を見る。「竜とそばかすの姫」はSNSに見られるそういう現象をかなり直接的に描写していて、観ていてどきりとした記憶がある。

恐らく「炎上」に遭う人達は、世間一般的に見て「悪い事」をした人達なのだろう。けれども、炎上させている人達はそれに憤りを感じている人達なのだろうか。ただ単に鬱憤を晴らしたいだけなのではないか。満場一致で「コイツは馬鹿にしていい、何をされても仕方ない」とされた対象を見つけて、喜々として石を投げつけているだけなんじゃないのか。実際どうなのかは知らないけど。

SNSは他人の意見を知ったり自分の意見を発信したりするのを容易にしてくれるけれど、そういうきな臭い部分もあるよね、と思う次第です。

気付いたらnote更新5か月ぶりですって。そんなに開いていたとは思わなかったなぁ。皆様良いお年を。



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