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日常の当たり前を疑うところから始める。「ジェンダード・イノベーション」の提唱者が伝えたいこと

こんにちは。今回は、このnoteのタイトルでもある「ジェンダード・イノベーション」概念の提唱者である、スタンフォード大学、ロンダ・シービンガー教授のインタビューをお届けします。
 
シービンガー教授は去る2023年11月、お茶の水女子大学での講演会やワークショップ、セミナー実施のために来日しました。
 
科学、ビジネス、街づくり、教育……あらゆる分野でジェンダード・イノベーションが形になるシーンを目撃してきた教授に、「性差の視点」をどう活かすべきか、日本に期待することは何か、率直に聞いてみました。

ロンダ・シービンガー:スタンフォード大学歴史学科ジョン・L・ハインズ科学史教授。アメリカ芸術科学アカデミー会員。ドイツのアレクザンダー・フォン・フンボルト財団フンボルト研究賞、米国のグッゲンハイム・フェローシップなどの受賞歴がある。『科学史から消された女性たち:アカデミー下の知と創造性』(工作舎)、『女性を弄ぶ博物学:リンネはなぜ乳房にこだわったのか? 』(工作舎)など、邦訳も多数。

「性差」の研究で、助かる命がある?

━━まずは、科学史の専門家であるシービンガー教授が「ジェンダード・イノベーション」という考えに着目したきっかけを教えてください。
 
元々、私は科学史を専門としてきました。公平な社会を創るために、科学をどう役立たせることができるか。それを考えながら、ジェンダーの観点から科学史を研究してきました。
 
研究を進めていく中で、科学やエンジニアリグの分野における研究にはジェンダーバイアスがあることがわかり、1989年以降、専門家にその事実を指摘し続けています。

そうした機会が増える中で、2005年、研究や技術開発に性差の視点を取り入れ、バイアスをイノベーションに転換させる概念である、「ジェンダード・イノベーション」を提案しました。
 
それから現在に至るまで、公平な社会を創ることを目指して、科学者たちとのさまざまなコラボレーションを実現してきました。
 
「心臓発作の症状は生物学的な男性と女性によって異なる」という、今となっては当たり前の事実も、性差の視点を取り入れたことで、医療現場に浸透しました。
 
それまで、心臓発作の症状としては、胸や腕の痛みがあると考えられていましたが、それらは主に男性にみられるものでした。
性差の視点を取り入れることにより、女性の心臓発作の場合は、吐き気や胃のムカつき、疲労感が症状として現れることがあるとわかったのです。
 
ジェンダード・イノベーションの基本姿勢である「性差は当然ある」という考え方が浸透したことで、女性が救急車で運ばれてきた時に、適切な救命処置を受けることができるようになりました。

女性の課題は、新たな発明のチャンス

━━医療分野に限らず、教授がジェンダード・イノベーションを提唱してから現在に至るまで、世界中でどのようにこの考え方が広まったのでしょうか。

ヨーロッパの公的科学技術資金の助成機関である欧州委員会が、研究資金を得る審査において、生物学的な性差やジェンダーの視点が含まれることを必須条件としたのは、ひとつの大きなきっかけになったと思います。
 
ジェンダード・イノベーションは欧州と北米で確立され、ジェンダー研究が盛んなカナダは、この分野における先進国です。
カナダ保健研究機構とカナダ自然科学・工学研究会議がジェンダー関連の研究に助成金を提供していることも大きいですね。
アジア諸国で見てみると、2015年のジェンダーサミットの開催地となった韓国は、「ジェンダード・イノベーション・センター」を設立しました。そしてこのお茶の水女子大学でも2022年「ジェンダード・イノベーション研究所」が設立されました。

━━ビジネスシーンで見てみると、どうでしょう? 女性が起業することがまだ珍しい日本でも、女性がジェンダード・イノベーションの概念を活かして、新しいアイデアを形にしたり、ビジネスを立ち上げることは可能だと思いますか?

フェムテックの分野は、女性が大きなチャンスを得ることができると考えています。

科学史において、女性は取り残されてきた歴史があります。男性から集めたデータや、主に雄のマウスを使った実験結果をもとに医薬品の開発や病気の治療方法が研究されてきた中で、女性特有の体の問題に関する研究開発は長く進んできませんでした。

ただそれは現代において、女性が自分自身の経験に基づいて、誰にとっても優しいアイデアや製品を発明する素晴らしい可能性にもなるのです。また、女性のためになることが、すべての人のためになるケースも多いのです。

それこそ、日本の大学発ベンチャー「Lily MedTech」は、精度が高く、乳房を圧迫するマンモグラフィ検査とは異なり痛みがないように設計された乳がん用画像診断装置リングエコーを開発しました。

被検者がベッド型の装置の上にうつ伏せになり、水で満たされた穴に乳房を入れると、リング型の超音波トランスデューサが上下に動いて乳房の3次元スキャンを行い、潜在的ながんを発見することができます 。

また、私の生徒が立ち上げた「Evvy」は、自宅で膣内のマイクロバイオーム(細菌、真菌、ウイルスなどの総体)の管理ができるテストを開発しました。

自宅で検査キットを使用し、その結果に応じてアドバイスを受けたり、処方箋による治療プログラムを受けたりすることが可能です。
膣の不快感や膣炎を抱えて医者に行っても、不快感の理由を簡単に見つけられないという課題感から、このスタートアップビジネスは始まったのです。
このように、女性たちによる、女性医療のギャップを埋める取り組みが少しずつ広がっています。

科学史において、女性が取り残されてきた歴史がありますが、それは現代において、女性が自分自身の経験に基づいて、誰にとっても優しいアイデアやアイテムを発明する素晴らしいチャンスでもあるのです。

最新技術がジェンダーステレオタイプを助長しないために

 ━━たとえば日常生活において、私たちがジェンダードイノベーションの基本姿勢でもある「性差の視点」を活かすためには、何ができるでしょうか?
 
「性差の視点」とは、あらゆる課題を取り上げ、「どうすればすべての人に機会を与えることができるか」を考えることです。
私たちの身近にある技術や医療は、誰にとっても安全で、使いやすいものであるか。そうなるにはどうすればいいのかを考えるのも重要です。
例えば、近い未来、多くの家庭でロボットが掃除や片付けを手伝うようになるでしょうし、そのロボット自身にも性別が割り振られることになるでしょう。

でも、なぜ、ロボットに性別が必要なのでしょうか?

全世界で看護師の約90%が女性であることを踏まえれば、エンジニアは、ロボットを女性として設計するかもしれません。
しかし、ここで私たちがすべきは、このようなステレオタイプに対抗することです。

これから広がる最新技術が、「ケアは女性の仕事」というようなステレオタイプを強化するようなものであってはいけません。
iPhoneのSiriは女性の声がデフォルトでしたが、「なぜ女性の声でならないといけないのか?」と指摘をされてきました。それもあって、現在では、男性の声やジェンダーレスボイスを選択することができるようになりました。
また、社会のジェンダーシステムを変えるには、小さな子どもたちへの教育も変えなければなりません。幼い頃からジェンダー・ステレオタイプについて疑問を持つようになれば、今あるジェンダーの固定観念が強化されることはありませんから。

スウェーデンには、男女の役割分担が一切ない幼稚園があります。男の子はドレスを着てバレエシューズを履いてもいいし、女の子も「女の子らしく」する必要もない。ジェンダーバイアスのないまま、子どもたちがやりたいことをやれるようになれば、未来はもっと明るくなると思っています。

「当たり前」をデザインし直すために

━━最後に、シービンガー教授は、今後どのような形で「ジェンダード・イノベーション」が広がっていくことを期待されているか教えてください。
 
ジェンダード・イノベーションは、あらゆる人々の個性に着目する視点をサポートするものです。だからこそ私は、ジェンダーの枠を超え、「交差性(=インターセクショナリティ)」についても考えたいと思っています。

「インターセクショナリティ」とは、ジェンダー、民族、年齢、社会経済的状況、セクシュアリティー、地理的位置、障害などに関連した差別が重なっていたり、複合的に交差していたりする状態を示します。

スタンフォード大学の私の研究グループが開発した 「インターセクショナル デザイン カード」は、スタンフォード大学の「d.school」(学部問わず、多様なバックグラウンドをもつ学生がデザイン思考を学ぶ授業)の授業などで使用されています。また、プロのデザイナーや企業を対象としたワークショップを開催しています。
 
ワークショップでは、インターセクショナリティを構成する12の交差要素、12の質問、16のケーススタディを記載したカードを用いて、社会に貢献する新しいアイデアを考えたり、すでに社会にあるサービスやアイデアの問題点を探ったりしています。
このカードを使う目的は、新しいアイデア、特許、テクノロジーを開発し、ビジネスに価値を加え、社会全体のあらゆる人のニーズを満たす製品とサービスをつくること、それにより、社会的公平性を高めることとしています。

2021年11月にリリースされたこのカードは、これまでに多くの学生、スタートアップで使用され、現在私たちのウェブサイトから、誰もが自由にアクセスすることができます。

この、インターセクショナリティの視点が活かされたアイテム事例として、2023年10月にリリースされた、「Apple Watch Series 9」と「Apple Watch Ultra 2」があります。
それまでのアップルウォッチは、時計をしていない腕の指でタップしないと動かない、「片腕しか使うことのできない人」のことは考慮されていないデザインでした。
新しいアップルウォッチは、手をひねったり、指を動かしたりするだけですべての機能が使うことのできる、全ての人が使いやすいものになりました。
こうした最新のテクノロジーに限らず、オフィスも、大学のカリキュラムも、社会全体のすべての人のためにデザインし直す必要がある分野はたくさんあるのかもしれません。

今後さらに多くの人が、身の回りにある当たり前のものや事象を当たり前のことだと思わず、「これは誰にとっても安全で使いやすいものか?」という疑問にもつことから始めてくれたら、と思っています。


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