美味い=好きな食べ物?

以前、カルディ行ったらこれは買うべき!と言うものを
リスナーさんにお伺いする、といった音声配信ライブをやったことがありまして。

その時におすすめされたのが、ご飯のお供「明太子なめ茸」。

明太子は好き。なめ茸・・・はどうだろう。おそらく何年も食べていない。
けどオススメされたし人気もあるし、まぁ間違いないものだろうって思って、カルディに行って買ってみた。

ワクワクしながら帰宅して、早速白米に乗っけて食べてみる。

うん。美味い。
ご飯がすすむ。

そう、この時は間違いなく、確かに美味しかったのだ。
それなのに気づいたらその後しばらくは、もういっかなーってなってしまった。

オススメしてくれた人がこれ読んでたら申し訳ないなと思いつつ
なんかハマらなかったのよね。不思議と。

思い起こしてみると、もしかしたら最初から、なめ茸が好きじゃなかったのかもしれない。
確かに、もしすごく好きだったら、何年も食べてないってこともなかろうに。


ここで、ふと思ったこと。


「食べ物の好き嫌い」と言う言葉は非常によく出る話だけど、
好きな理由、嫌いな理由って、美味しさの他に何かあるものなんだろうか。

例えば、美味しいから好き。この味が苦手だから嫌い。
そう言うのはよくわかる。単純明快。

だがこれがねじれることはあるだろうか?

つまり「苦手だけど好き」「美味しいけど嫌い」と言うのは
あり得るのだろうか?

確かに僕のケースで言えばなめ茸は「美味しかったけどなんか苦手」と言うことにはなった。これは稀な話なのか。よくあることなのか。


さらには、今日の音声配信ですこし話題に上げたのだが
今日はマクドナルドの月見バーガーの発売日だったそうで。

月見バーガー。ハンバーガーの間に目玉焼きが入っている、アレ。

あれも美味しいのだ。確かに美味しいのだが、僕が求めているハンバーガーには目玉焼きは入っていない。

願わくば目玉焼きが入っていないハンバーガー、
バンズ・肉・バンズ、のやつの方が食べたいのだ。


そう考えると「美味しいけど、どうせならこっちの方がいい」と言った相対的な考えが、美味しいけど嫌いと感じる理由なのかな、と思い始めた。

確かに、美味しい銀シャリをなめ茸で食べるよりは、納豆や明太子の方が嬉しいなとは思う。
(もちろん個人の好みの話なので、なめ茸派の方は石を投げないで欲しい)


興味深いから色々考察を掘り下げたいところだが、
時計を見ると今は23:30。

note毎日更新を掲げた身としては、そろそろリミットか・・・
ここで一旦筆を置くのが正解だな。
また気づいたことがあれば、続きを考えていきたいと思う。


・・・これはいい口実を見つけたぞ。
なんて思ってないぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?