新るなすぺ楽屋裏・その3「雀魂玉の間攻略・甘口」
はじめに
半年以上前に書いてリリースするかどうかをずっと迷っていた記事なのだが、世にも出せないようなスパイシーな文体でずっとお蔵入りにしておくくらいならさっさとリライトしよう、ということで取り組むこと一ヵ月。ようやくマイルドな内容に仕上がったのでお披露目しようと思う。
この記事はタイトルの通り、雀魂における四麻半荘の玉の間段位戦においての攻略に際して、登り切ってみて自分の視点で気になったことや、集合として起きている事象を客観的に捉えることで気付きを得るためのテキストとなっている。
ややこしい導入になったが、簡単に言うと具体的な麻雀の戦術のようなものはほとんど書いておらず、メンタルコントロールなどの考え方を中心に据えた内容になっている。麻雀的な引き出しを増やしたい人は、もっと具体的な内容を紹介している記事を読むのが適しているかもしれないが、「技術ではなく、なんだか違うところで負けている気がする」と感じる人には、もしかしたら何か気付きになる内容が含まれているかもしれない、と期待して書き進めようと思う。
さて、攻略に関する話を始める前にまず、玉の間で起きている事象を客観的に捉えるというところをスタート地点としたい。
最初に一番血生臭い話をしなければならないのだが、雀豪1から魂天に昇るまで、私たちは途方も無い数の打ち手のポイントを踏み台にして登っていく必要がある。玉の間は基本的に、勝ち越さなければ生きていけない。雀豪1でちょうどゼロサムゲーム(全ての着順を均等に取る場合、ポイントは増えもしないし減りもしない)で、雀聖3に至っては全ての着順を均等に取るとなんと1試合当たりで20ポイントほど削られていく。つまりは「玉の間で勝ち越せる人間はギリギリ玉の間には残り、負け越してしまう人間(平均着順が2.5を超える人間)が金の間送りとなって、そのポイントを残存する人間がシェアするという構図になっているのだ。
そんな構図故に生まれた人口比がこれだ。
お分かりだろうか。豪1⇒豪2だけ突出して人口が減っている(「玉の間で勝ち越す」という壁にぶち当たっている)、という事実がここからは見て取れる。ちなみに私が玉の間を打った半荘数は実に1527半荘。その間のラス率は18.80%、すなわち、引いたラスの回数は287回である。本来?というべきかはわからないが、私が玉の間の平均的な打ち手だった場合に取っているであろうラスの回数は382回。すなわち、およそ100回分のラスを他人に無理矢理押し付けたと言い換えることも出来る。ラス100回を、豪1換算の段位ポイントに直すと約マイナス18000ポイントとなる。ざっくり考えると、約13人ほどの雀豪1を原点から金の間送りにするのと引き換えに、私は昇天したという表現も出来る。
これが、玉の間で起きていることをマクロで捉えた場合の、リアルである。
金の間で集めたポイントを持って玉の間に参戦し、その大半が、その他の段位へとポイントを供給して、落ちていく。無数の雀豪1の魂を食って我々は傾斜を登れている事実を、忘れてはいけないのだ。
さて、なんでこの項をわざわざ書いたのか、という話に移るが、私は主に2つの理由から、ちょっと生々しい玉の間の現実の話を書くに至った。
1つは、昇天を目指す上で為すべきことは、強者との知識、技術の勝負や駆け引きなどではなく、自分より段位が低いプレイヤーからの「搾取」であるという認識を持つべきだ、という意味合いからだ。
そんな他のプレイヤーを下に見るような言い方しなくてもいいじゃないか、と反射的に怒りを買いそうな表現を敢えて使ったが、敢えてこんな強い言葉を使ったことには意味がある。後にまとめるが、玉の間ではそもそも対等な立場で「勝負」をすること自体が間違っている、というケースが多々出て来る。
そしてこの項を書いた理由の2つ目であるが、これは、実は現実的に食い物にされてしまっている側の、雀傑3と雀豪1を行き来してしまっているプレイヤー、いわゆる金玉ルーパーのための話になる。※「きんぎょくるーぱー」である。決して重箱読みにしてはいけない。「玉の間まではいけるんだけど、金の間と同じ打ち方をしているだけなのに放銃ばかりが多くなって何度も傑落ちしてしまう」「他のプレイヤーばかり和了って、丁寧に打ってるのにラスを引かされてしまう」「なんか追っかけリーチにめちゃくちゃ掴むようになった」など、玉の間から何度も金の間に送り返されてしまうプレイヤーからは共通した「感想」が述べられることが多い。そこを紐解いて、技術向上のためのアドバイスが出来たらいいなと考えている。
さて、というわけでこの記事では「そもそも玉の間に留まれない」層と、「留まることは出来るけど、傾斜がきつくて豪3~聖2くらいで止まってしまう」層の2つに対象を分けて話を進めることとする。ただ前者向けのアドバイスに関してはかなり麻雀人口の多くをカバーできる汎用的な心構えなども書いているので、「既に魂天になってるぞ」という人も、「まだ玉の間まで辿り着けてないけど麻雀強くなりたいぞ」という人も、一度とりあえず目を通してもらえたらありがたい。
というわけで早速、金玉ルーパー向けの助言を箇条書きにしたので見ていこう。
①最低限、登るために必要なのは自力で和了を拾う技術
いきなり結論から入るが、凡そ大半の、雀豪1から先に進めないプレイヤーに共通している特徴は、和了が少ないことだ。ここで勘違いしないで欲しいのは、「和了が少ないプレイヤーがすべからく弱い」ということではなく、低和了率の強者ももちろん存在はする。しかしそういったタイプのプレイヤーは「その気になれば和了れる」手をいくつか放棄した上で守備力を極限まで高め打点的な価値のある手でのみリスクを負うようなプレースタイルだからこそ成立するものであって、皆本気を出せばもっともっと和了率は上げられるギアを持っているのだ。もちろん、状況次第でリミッターを外して、最大限に手を組むこともある。
玉の間くらいのレベルであれば、和了る技術さえしっかりしていれば、守備は平均より若干下くらいであっても、ベタオリする時の手順さえ大きく間違えなければ勝ち越すだけなら充分なんとかなる。まずは平面的な手組みの基礎である受け入れ枚数の比較などを数多くこなして、素早くテンパイに辿り着けるようになる練習をするだけでも劇的に戦いやすくなると思う。
ちなみに、「金の間は勝てるのに玉の間だと周りばかりが和了って、自分は悪いことをしていないのに負けを押し付けられる感じがする」という実感の正体もここにある。玉の間にはかなりの割合で中国サーバプレイヤーが存在するが、彼らは「ノーガードの殴り合いで下位卓を制してきた」筋金入りの攻撃偏重であることがかなり多く、平面のスピードに関しては高段者にも劣らぬほどの練度であることもしばしばある。こうしたプレイヤーに先手先手で攻められる環境でずっと麻雀をしていると、残るのは「ツイていない」という実感になってしまうのだ。ここに関しては相手を評価し、しっかり自分の手牌価値との比較でぶつける場面はどんどんぶつけて、手数を取りにいかなければ当然にして負けるという意識をもっと強く持った方が良い。
なお、玉の間で負け越してしまうというプレイヤーの中にも、もちろん手組がしっかりしていて和了率は平均を充分超えているが、放銃率が高過ぎて登れないというタイプも僅かながら存在する。ただ、そういったタイプの人の方が成長は圧倒的に早い。押し引きのバランスを少し変えるだけで劇的に成績が改善される可能性を秘めているので、強者に牌譜を見てもらってバランスを崩しているポイントを指摘してもらうだけでもかなり効果があると思う。
②スタイルを言い訳にするな
何を目的に麻雀をやるかは人それぞれなので、特にそこに関しては言及するつもりは無いのだが、もしこれを読んでいるあなたが麻雀の能力向上を第一に考えていて、少しでも早く成長したいのであれば、「自分のスタイル」みたいなものは早い段階ですっぱり捨てた方が良い。
麻雀は、同じ競技をやっているにも関わらず、個人によるスタイル差が大きいゲームだ。リーチを数多く打つタイプ、守備力が高いタイプ、副露が多くて手数が多いタイプ。トッププロですら大きな特徴が見えることもあり、「こうなりたい」という憧れが出るのは心情としても理解出来る。
だが、そういった個性豊かなプロのスタイルというものは、様々な麻雀に触れて一通りの経験をした上で、共通する大きな素地の上に最終的に花開いた個性のようなものであり、実は多くの何気ない打牌選択については強者の間で差が出ることは少ない。
だから、例えば守備に華がある選手に憧れて「守備力の高い打ち手になろう」と思って腕を磨いても、それはアプローチとしては多くの場合成長が難しくなるし、攻撃型を自称して何でも押してるような打ち方では簡単に限界にぶち当たる。
成長段階では、愚直に何でもやった方がいい。リーチダマ判断、副露判断、押し引き判断。個性を捨てて「正しく悩む」ことは基礎力を向上させることに直結する。麻雀は、ある程度形が分かるようになった後に待っているのはとにかく判断力を磨くことだ。同じ場面に遭遇することは生涯を通して珍しい。何を情報として使って、どう判断するか。こういった問題に対して、「自分は〇〇タイプの打ち手だから」といった要素を混ぜてしまうと、判断を歪めるファクターになったり、思考放棄の言い訳に使われてしまうことの方が残念ながら多い。「万人にとって最も良い選択」を常に心掛けるのが成長段階では大事なのだ。
麻雀の成長に飛び級は無い。ゲーム性がどこにあるか、という肌感覚に優れている人の方が全体として成長が早いという事実はあるが、それでも引き出しを増やすのは一つずつになる。少しずつ自分の感覚を磨き少しずつ使える情報を増やし、少しずつ強くなる。これが唯一にして最速のアプローチである。
繰り返しになるが、これはあくまで成績を上げること、強くなることを何よりも優先したい場合の話であり、とにかく自分が好きな麻雀を打つのが一番楽しい、という人は自分が楽しいと思う麻雀を打ち続けた方が間違いなく幸福量が高い。これは多くの強者が勘違いしていることではあるが、勝つことだけが絶対にして唯一の正義であり正解というわけでは無い、というのもまたボードゲームの真理である。身も蓋も無い話をするが、一般に、麻雀が飛び抜けて強くなったところでさして人生に良い影響はない。
③したいことより、得だと思うことをしろ
これも前項と類似した内容になるのだが、麻雀の打牌の根拠は、「損得の比較」に基づいて行うという意識付けがかなり重要である。これは自分の経験にも基づく話になるのだが、振り返りや座学などにも真面目に取り組んでいるにも関わらず伸び悩むプレイヤーに多く共通する事項として、「〇〇したいと思ってしまった」という振り返りが多過ぎる、という特徴がある。
もちろん「〇〇したい」という感情が最後のトリガーになって選択する打牌は多かれ少なかれ誰にでもあると思う。私自身もそうである。期待値の判断が全然つかないような場面では、「先を難しくしたくない」という感情で分岐が減る打牌を選択しがちになる。
しかしそれはあくまで、「判断が微妙な場面」における「最後の拠り所」として頼るべきものであって、日常的に使っていいものではない。
打牌の選択においての行動を時系列でまとめると、このようになる
①候補の抽出(これは正直直感9割なので、平面座学で正しく候補抽出出来るように頑張ろう)
②損得の比較(受け入れ枚数や将来的な安全度などが考慮のファクターとして使われやすい)
③意志決定
この流れを頭の片隅に置いておくと、自分の牌譜の振り返りをすることによっての打牌精度のブラッシュアップがより効果的になる。①で間違えた(候補にすら入らないような牌を選んでしまった)のであれば、そもそも平面の牌理や瞬間の判断力を鍛える必要があるとか、②で間違えたのであれば見落としてしまった受け入れや、安全度の判断を振り返ればいい。③での間違いが一番自分だけでのブラッシュアップが難しいので、ここは可能な範囲で人を頼るのをおすすめする。気軽に聞けるような知り合いがあまりいない、とか他人に負担を掛けたくない人はAIに頼るのも良いだろう。
逆に言えば、である。①や②の段階での抜け漏れが多い状態だと、AI学習においても強い人に教えてもらえる環境下でも。なかなか成長が難しい。何しろ、判断の根拠に出来ている材料そのものに差があるのだ。最終的に出力されている打牌判断だけ見てそれが成長の糧になるかといえば、無理があるだろう。この判断の根拠の可視化のために、損得の比較を言語化しながら選択することが重要なのだ。「ここは〇〇したいと思ってしまったんですよね」と言われたら、「そうですか」としか答えられないのは自明の話(感情は否定できないので)である。自分の選択の妥当性を確認したいのであれば、相手が「否定しやすくなるような」アウトプットをするのが重要だ。
たとえば上記のような牌姿で、「ピンフにしたいので7sを切りました」というアウトプットをされた時、ちょっと答えに窮してしまわないだろうか。いや、ストレートに返せる人もいるかもしれないが、私は表現に少し迷ってしまう。「これはピンフじゃなくて、タンヤオにしたいと思おう」みたいなトンチンカンなレスポンスを返してしまいそうな気さえする。
これを、「7sを切るとロスになる受け入れが7sと2pの縦受けで、こっちの方がロスが少ないから切りました」のように言語化すると、「4sの受けも消えてるよ」といった具合に、明確に誤っているポイントを言語化して指摘出来る。まあ、これはわざと作り出した極端な間違い方の事例ではあるが、仮に受け入れそのものは見落としてなかったとしても、「じゃあその役無しの9s受け、いる?」といったように、自分の思考を反芻させる上でも効果的だったりするので、やはり論理的にアウトプットさせる過程そのものに意味があるのではないか、と私は考えている。常に損得を意識して判断をすることを心掛けるだけで、座学や牌譜検討の効果まで上昇させることが出来るのだ。
さて、ここまで3つの項目を書いてきたが、以上が「玉の間に留まれない」層に向けての内容だ。「身に覚えがある」という人もいれば、「さっぱりピンと来ない」という人もいるかもしれないが、誰かの何かの気付きになってくれたらありがたい限りである。
ここからは冒頭に書いた通り「豪3~聖2で停滞」してしまっている層に向けての内容になるのだが、その前に前提として書いておかなければいけない大事なことがある。それは、便宜的に段位を基準に書いているが、もちろん一時の幸運や不運によって結果はかなり大きくブレが出るゲームなので、「停滞している」という事実が実力を否定するものではない、という話だ。
以前ツイートでも紹介した通り、魂天平均くらいだと思われる玉の間の平着2.35くらいに収まるであろう実力の人間が、1000人に1人クラスの尋常じゃない不運に見舞われてしまうと、1000戦打っても豪2で停滞してしまうという結果になる。そこまで極端じゃなくても、200人に1人クラスの不運でも豪3停滞となる。そして悲しい話になってしまうのだが、実例としても明らかに私より格上の打ち手が豪3で停滞している事実も観測しているので、段位を以てその打ち手を評価するという意味では決してないということを先に念押ししておきたい。あくまでもその段位に留まっているレンジの一般的なプレイヤーを想定して書いているので、明らかに適性段位より低いところで分散の波に揉まれている皆さんは、「お前なんかに言われなくたって、そんなこと分かっとるわ!!!」と憤慨せずに、どうかYostarだけを罵倒してほしい。
ただ、もう一つ大事な事実もあって、それは魂天のポテンシャルがあるレベルのプレイヤーであれば、「1000人に1人の不運に見舞われてもなお豪2」という点である。何が言いたいかと言えば、「私はそこそこ強いと思ってるんだけど、玉の間だと全然ツイてなくて、何度上がっても雀傑に落とされている」と感じている人は、実力さえ磨いていけばそもそもそんなもの発生しない現象になるので、とにかく自分が強くなることだけ考えよう、という話だ。
さて、前提の説明にだいぶ時間が掛かったが、ここからが今回の記事の本題となる玉の間の特性を考慮した立ち回りの話になる。
④リーチの威力
さて、まず玉の間の話をするにあたって避けられないのはリーチという武器の要素の分解だ。読者の皆さんは、リーチ麻雀の最強役は何だと思うだろうか。もちろんリーチ麻雀と言っても一発や裏の有無、赤の枚数などで多少の優劣が出るが、雀魂四麻段位戦ルールにおいての最強役は、間違い無くリーチだと私は断言出来る。では、リーチという武器はいかなる要素で構成されているかを考えたことはあるだろうか。リーチは実は複数の要素で構成されたちょっと特殊な武器であり、その強さが環境で変動する、という点を考えたいと思ってこの章を書いている。
①一翻縛りの解消
②打点上昇
③テンパイが確定している、と開示することによる牽制効果
この、強さを構成する3要素の中で、実は①②と③では決定的に違った性格を持っている。それは、強さの質として①②が絶対的な強さである事に対して、③が相手によって威力が変わるものである、という点だ。牽制は、当然にして牽制される客体が存在して初めて成立する。逆を言えば、極端な話リーチが何件入ろうが常に真っ直ぐ攻撃する人間3人に囲まれた場合、この牽制効果はゼロになる。
比喩として適切かは微妙なところだが、私はリーチを「麻痺効果を確率で付与出来る武器」くらいに思っている。そして武器そのものの攻撃力はもちろん自分の手格好に依存するので、自分の手さえ強ければ相手が強者だろうが弱者だろうが大きなダメージを与えられる。では麻痺効果についてはどうか?と言えば、これは事実を言えば、玉の間には一定数全く麻痺が通らないモンスターがウロウロしているので、これ頼りでリーチを打つのは危険だと認識している。麻痺が通らない敵には物理攻撃が比較的通りやすいので、ある程度打点的な威力がある形にしてぶつけよう、となるわけだ。特に、「麻痺無効」の特性持ちは、自分が麻痺に掛からないだけでなく、脇二人も一緒に麻痺が通りにくくなるというバフ付与まで性質として合わせ持つので、対局開始時にスタッツを確認して、誰か一人のネジが飛んでると判断したら、フィールド全体の安牌増加スピードが上がると思っていいと私は思っている。
さて、比喩ばかり書いていても仕方ないのでもう結論を書こうと思うが、玉の間ではリーチを打つ基準として一般的に言われる「先制」「好形」「高打点」のうち、「先制」が持つ効果の価値がやや薄い。何故かと言えば全くリーチを意に介さず押しまくってくるプレイヤーに道を開拓された挙げ句、全く別の第三者が本手のリーチを被せてくる、といったことが頻繁に起きるからである。その代わり、先手でも後手でも好形であれば和了率が高くなりやすいので、打点が多少心許なくとも、好形でさえあればなんとかなる、という側面もある。この辺はもちろん具体的な場況にかなり依存するのであまり一般化して話しても仕方ないかもしれないが、
・レベルが低いフィールドは「先制」の価値が下がり、「好形」の価値が上がる
・レベルが高いフィールドは「先制」の価値が上がり、そして「好形」の価値が下がるわけではない
と捉えていいのではないか、と考えている。ざっくり言えば、玉の間は役無しの愚形先制は打点が伴わないならメリットが薄いので、ハナから打点寄せして後手の好形で押し返しにした方が良い結果になりやすい。何しろ自分の手が間に合わなくても、自分ではない他の誰かが飛び込んで無傷で済むことも多いし、先手を取って無限に押されて危険な状態のフィールドから降りられない、ということも無くなる。
後は、同じくらいか、ほんの僅かにマイナス、程度の期待値であれば、愚形先制は出来るだけ打たないバランスにしておくと、酷い目を引いた時の偏りを緩和出来るという側面もある。これは後述する項目にもまとめるのだが、「勝負を先延ばしにする」ことがうまく玉の間を登る上でのコツとも言える。
ちなみに冒頭に書いた「追っかけリーチに掴むようになった」という体感の正体の多くはこれが原因のひとつだったりもするので、身に覚えがある人は自分のリーチスタッツの好形率と多面率を見てみよう。
⑤ラス回避ゲームを勘違いしない
この項目は、結構思考の罠にハマってしまっている人が多いのではないか、という体感もあるのであえて明示的に書いておこうと思う。赤入りの麻雀は、放銃がゼロでも傍観しているだけで1局あたり2000点以上失点する。そして1半荘の平均局数は10~11局、ラスを引く場合の平均的な持ち点は10000点前後である。これが何を意味しているかと言えば、要は和了に全くいかなければ当然にラスを引く、というゲームだということだ。
それどころかマンガン1回の和了でもかなりラスになるし、どんなに減らしても人間11局に1局くらいは放銃するので(それ以上減らせる超人もいるが、その類の人は多分このnoteを読む意味が無いのでここでは考慮しない)、それも含めて考えたら高打点2回は平均して必要になってくる。
大事なのは「拳を固めて殴る」という意識だ。低打点の局回しばかりでは息切れするしリスクも背負いやすい。ドラドラの鳴き手だったり、メンピンドラ1くらいの、決め手になり得る手をしっかり最速で組んでしっかり貯金に回す。その上で、終盤の選択で悩むところは「ラス率が上がらない」ことを最優先にする、くらいのバランスが大事だ。
常に放銃リスクばかりを優先に考えた手組みをしてしまうとどうしてもツモによる削られの機会が増えるし、地蔵(のように勘違いしてしまう)ラスも増える。腕を振っていれば回避出来た、という機会損失を過小評価せず、出来るだけ東場はリスクがあっても期待値を取りに行く、という姿勢が結果的にラスを少なくしてくれると考えよう。
⑥運は万人にとって不平等だが、万人にとって公平である
「運の良い人」なんてものは存在しない。結果的に、「運が良かった」は言えることが多いし、同様に「運が悪かった」としか言えない牌譜もたくさんあるのだが、「運の良い人」も「運の悪い人」も存在しない。
これを意識しておくのは結構重要だ。以前牌譜検討で話したことがあるのだが、どうしたって打点が必要な場面で「ここはドラ単騎でリーチが一番期待値高いし、失う順位点も無いから分散一番大きくしてリターン取りにいこう」と話したら「私の場合は運が悪いのでドラ単騎は和了れないと思ったんですよね」と本気のトーンで返されたことがある。
これは個人的には衝撃的だった。私もネタで「運量が枯渇している」とか「運量を食べてます」とか言ってラーメンや肉の写真をアップすることはあるのだが、もちろん全人類ネタでやってるって分かるよね、という前提で書いているつもりだった。しかし、どうやら世の中には一定数本気で「運が良い」「運が悪い」というパラメータのようなものを信じている人間がいそうなので断言しておくが、そんなものは無い。
あってたまるか、という話である。人によっては人生の大半に及ぶ、狂ったような時間を割いて、微差の有利不利を突き詰めている世界を、「運が良い」「運が悪い」なんて話で済まされてたまったものではない。
もちろん、かなりの長い時間に渡って不運に苛まれるようなことが起きるのは私も重々承知している。しかし元よりそういったゲームだし、確率というもの自体もそういった性質のものだ。100回くらいサイコロを気まぐれに振ってみればわかる。全ての目がまばらに出たりせずに、固まって低い目ばかりになることもあれば高い目ばかりになるゾーンが含まれるのが普通だ。その自然な偏りに耐え得るだけの精神力を身につけて、どんな時でも一定の基準と一定のリズムで打てる人間が真の強者だと私は思う。これは次に書く予定の記事のメインテーマにするつもりの項目でもあるのだが、1フレーズだけ抜粋して書くと、「たかだかボードゲームの不運に、自分の背骨まで渡すんじゃない」という話である。真っ直ぐ背筋を伸ばして打とう。
⑦「期待値がプラス」では根拠が足りない場面がある
「新科学する麻雀」をお持ちの方はよくご存じだと思うのだが、実は赤有りのリーチ麻雀において、両面でテンパイしている、という事実はとても重い。例えば親のリーチが入っていて、自分が両面1000点のノミ手でも無筋が10本以上残ってたら余裕で押した方が期待値がプラスになるのだが、ここには実は罠がある。
これは冒頭に先述した内容の回収となる話なのだが、雀聖にとっての玉の間は「搾取」と表現した通り、言うなれば「大きく勝ち越して当たり前」のフィールドなのだ。僅かなプラスにしかならない期待値を捨ててとにかく分散を小さく小さくしていき、地力の差で引き離して最後はラス回避をする、という行動を強いられる局面が数多く存在する。
元より、「長くやれば自分が圧倒的に勝てる」前提のフィールドで打っているのであれば、「非常に微妙なところだが、押した方がややプラス」は基本的に引いた方がいい。何故かと言えば、「僅かなプラス」を取る行動を続けていくとトータルのポイント収支では結局勝てないし、何より「微妙な場面の勝負を先延ばしにして出来るだけ多くの局耐える」ことが地力の差で相手を下す可能性を引き上げてくれるからである。これはまさに玉の間ならではというか、フラットに麻雀を考えた場合に損な行動を取らなければいけない場面の典型と言えるだろう。
⑧メンタルゲーム玉の間
私が「雀聖病」と名付けた疾患がある。主にこれは玉の間後半、すなわち雀聖2~3くらいでの停滞時に起きやすいのだが、他家の無茶苦茶な打牌に頭を抱えてストレスを溜めるくらいなら、もしかして王座の間を打った方が登りやすいのではないか?という発想が頭を過ることがある。これが雀聖病である。
はっきり断言するが、ストレスが緩和されるとかそういった副次的メリットは置いといて、王座の方が登りやすいなんてことがあるわけがない。しかしまあ、言い換えれば玉の間ではそのくらいにストレスが溜まる場面が連続することがある、ということは私もよく理解している。白状すると、私も腹の底から煮えるようなラスを連発で食らった後に一度だけ王座を打ったことがある。※なお、レベルが高いことは承知の上で、チャレンジとして王座昇天に取り組んでいる人々はもちろん雀聖病なんかではなく素晴らしきチャレンジャーなので、それは素直に応援したい。
ただ、立ち返って考えれば、玉の間で遭遇する考え難い理不尽は、全てその先へ登ろうとするプレイヤーにとっての原資である。皆が皆理知的で効率的な麻雀を打っていたら、そもそも雀聖の坂なんて凡人には登れるわけがない。そのくらいのとんでもないレギュレーションなのだ。傾斜のみで換算したら、天鳳十段坂と同じ傾斜が倍量続くことになる。天鳳の場合は鳳凰卓のレベルだからそれが更に際立って過酷に(というか人類には不可能に)見えるが、これは雀魂の王座の間で打つとしてもまあなかなかにハードな傾斜だ。言葉を選ばずに言えば、玉の間のレベルの低さだからどうにか一般人にも登れるくらいの傾斜なのだ。どんな目に遭おうとも、「そこで他者と自己のギャップを作れている」という自己意識のもと、ただひたすらに我慢して効率だけを追う、その結果理不尽に遭遇したとしても、ただの事故と割り切る、というメンタルコントロールが何よりも重要である。
不幸を嘆くことに意味も無ければ、自分を過剰に卑下することにも意味は無い。フラットに、「その瞬間に別の選択が出来た可能性」をただ考えるのみなのだ。有限な脳のメモリやカロリーを、無駄なことに割かないのも立派な技術である。
特にこれは自分自身に限っての話になるが、打つのがただでさえ遅いのに、その間の思考をどうでもいい恨みつらみに回していたらいくらあっても時間が足りない。また、「自覚出来るミスを反省しない」も一つのメンタルコントロール技術だ。自覚出来ているレベルの失着、例えば壁の数え間違いや勘違いでの放銃は人間である限り、基本的には誰でもやってしまうものだ。常に時間が無制限であれば流石にそこまで増えないだろうが、時間が限られている限りはどうしたってやってしまうことがある。
後で見返して、「絶対こっちの方が良かったな」と自分で分かるレベルのものは、場面の記憶だけしておいて、悔いる気持ちはすっぱり忘れた方がいい。回避可能性があったラスを引かされた、という慚悔は、真面目な人であればあるほど、その後のプレーに大きく影響してしまう。過剰に「丁寧に打とう」として抱えられるはずの攻撃余剰牌を先打ちしてしまったり、その逆で、目一杯効率を追って気合オリに追われたり、本来のバランスを崩してしまうこともしばしばある。
「また頑張ろう」くらいのラフなポジティブさが、段位戦にはちょうどいい。ずっと同じことを続けても、良い目が出る時もあれば、悪い目が出る時もある。最も大事なのは心折れずに、ただ、落ち着いて次の予約を押すその勇気だけだ。もちろん、どうしても落ち着かないくらいにアツくなってしまった時は一回手を止めて息を抜くことも、続けることと同じくらい大事ではあるのだが。
まとめ
実はこれは元々完全にお蔵入りの予定のテキストだったが、書きためておいたことが意図せず役に立つ場面がやってきた。
何を隠そう、それがチームメイトのフレアさんの四麻段位戦配信だったのだが、玉の間への向き合い方に関して言語化しておいて良かったな、と思える場面がたくさんあった。これはフレアさんに限らない話なのだが、玉の間を登り切るだけの牌理の力は持っているのに、昇天の手前で停滞しているプレイヤーが抱える問題の多くは、メンタルに由来するものだと私は思っている。
特にフレアさんの場合は、思考の瞬発力や細かい部分の読みの能力など、私を上回っているんじゃないかと思えるポテンシャルを初対面の時から見せながら、成績が不安定だったことが印象的だった。蔵から出してきたこのテキストにまとめていた内容を断片的に伝えることで、多少なりともメンタルゲームとしてのアプローチがうまくなってくれたかな、と思うと個人的には達成感がある(本人の実感を聞いていないので何とも言えないところではあるが)。
「悔しい気持ちは持っていいけど、それでも壁を殴りながらベタオリ」とか、「チンパンジー3人とオレ」とか「不運じゃない、お前が弱い」とか全体的に強めの表現で書き上げた元記事の方がユーモア多めだったのもあって愛着はあるが、私もSNS押し引きは割と「勝負を先延ばし」にする体質になってしまったこともあって、今回はこちらの甘口で勘弁してほしい。
この記事が誰かの玉の間攻略に役立ってくれたら、うれしい限りである。
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